Sports Enthusiast_1

2003年07月01日(火) コンフェデ杯とは・・・

試合中の選手の死。私の知る限り、もっとも異常なサッカー国際大会が終わった。優勝チームはホームのフランス。でも、このフランス代表チームには、ジダンをはじめとするレギュラークラスはいない。欧州は各国リーグ戦が終了したばかり(スペインは開催中)、南米はコパリベルタドーレス開催中、異常に暑い気候、過密スケジュールなどの悪条件が重なった。だれもが開催の意義を疑い、監督は代表選手の選出に苦慮し、選ばれた選手達は調整に苦しんだ。そんな状況の中、日本代表だけが唯一の例外で、Jリーグ中断というわけのわからぬリーグ日程のおかげで、万全の体制でこの大会に臨めた。故障の小野(フェイエノールト)以外、海外組を含めて最上のメンバーである。かくも恵まれた日本代表であったが、予選リーグで敗退した。
さて、優勝したフランスは、報道によると、代表選手のほぼ全員を実戦で使い切り、新しい戦力のテストに成功したという。これはトルコ(3位)も同様らしい。フランスはホーム優勝という結果を出しながら、新戦力のテストを果たすという、理想の展開となった。
日本代表はどうだろうか。新しい試みはあった。まず三都主の左サイドバックへのコンバートが最大だろう。台頭した新戦力として、坪井(DF)、山田(右サイドバック)、もっとも注目を集めた大久保(FW)らを挙げることができる。それなりに、実験をしたものの、フランスのように結果につながらなかったというわけだ。
ところで、この期間中、私は、Jスカイのリベルタドーレス予選の映像を見ていたのだが、気になったのは、日本選手の甘さについてであった。南米の選手はまず、リーグで厳しい戦いを経験し、さらにその国の選手権、そして、この大会に臨んでいる。厳しさ・激しさは、上に行けば行くほど強まることは言うまでもない。
ホームの応援はホームの選手のモチベーションを高める。強いモチベーションの相手とアウエーで戦うことによって、強さ・激しさを体験する。さらに選手権の経験を積むことによって、大きく成長していく。世界のサッカーとは、厳しさのメカニズムに支配され、それが優秀な選手を作り上げていくものなのだな、としみじみと感じてしまった。たとえば、話題のブラジルのロビーニョ、ジエゴの二人の若手選手の表情はあどけない。まだ、少年のようだ。だが、やがてその顔は1、2年もしないうちに、40代の大人のように変わってゆくに違いない。アルゼンチンのボカの選手達の表情は、まるで傭兵のようだ。彼らの年齢は平均で25〜6歳らしいが、人生の苦悩を背負い込んだように老けている。一般にアジア系人種は童顔だが、それだけではないように思う。
南米では日本とまったく異なるサッカーが行われている。何度も書いたことだが、その差は、厳しさの度合いである。かの地で生きることの厳しさが、サッカーに反映しているようにも思える。
日本と南米のサッカーの土壌の違いを見ていると、外見的に、つなぐサッカーが南米的だとか、内面的に、個人の創造性を生かすのが南米的だとかという言葉が空しい。中味のない「南米的」という表現を、いまの日本代表に使わないでほしい。
ホームであればあたたかいわけではない。自軍の怠慢プレー、ミスに対しては、敵に浴びせられる激しいブーイングと同じ圧力の非難となって返ってくる。勝てなかった監督への責任追及も同じである。W杯でオウンゴールした選手が射殺されたのは、コロンビアでの事件であった。むろん、そうしたことの善し悪しはあるだろう。でも、南米(世界)のサッカー界は、「結果が全て」という極めて理不尽な論理で動いていることだけは確かなのである。Jリーグのように、負けても拍手を送るサポーターなど、世界ではまれである。日本のサッカーを巡る環境は、グローバルスタンダードからは遠く、きわめて異質な土壌を形成しているのである。
こうした背景を無視して、サッカーのスタイルや技術だけを取りだしてみても、同じものにはならない。日本代表には、日本人にフィットした組織や規律や戦術、戦略の基礎的な習得が欠かせない。南米の選手が本能的にもっている相手に立ち向かうパトスを日本選手は欠いているのだから。
なお繰り返せば、日本のサッカー選手は、チャンスがあれば、できるだけ海外に行ってほしい。そこで世界標準を経験することがレベルアップの近道だ。あと、10年もすれば、日本のサッカー界にも厳しさのメカニズムが働くようになっているだろう。とにかく、それまでは・・・


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