人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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| 2003年03月27日(木) |
パブリックモードの私とプライベートモードの私 |
まさに、職業意識。
パブリックモードのときは、結構衝撃的な事柄にも耐えられるもの。
ナースやってたときは、苦痛に顔を歪める人の顔だって普通の顔して見ることができたし、血みどろのもげた手足だって平気だった(ある意味、非現実的で恐怖を感じられなかったのかもしれないが)。 白衣を着ていなくても、怪我や病気罹患者を見ると、途端に意識はナースになっていた。
でも、パブリックヘルスナースになった今は、スプラッタ系はちょっとダメ。というか、だいぶダメ。職業名は長くなったけれども、医療処置を直視するのは苦手になってしまった。 その代わりと言っちゃなんだが、どんなごみ屋敷でも入れるし、どんなにすごい骨肉の争いをしている親族の中にいても「ご本人の為に、何をするのが一番だと思います?」と微笑める、そんな性格を手に入れることができた。
だけど、それらすべて、あくまでも、パブリックモードのときだけ。
プライベートだったら全部ダメ。 指先を紙で切っただけの傷でもイヤだし、採血しやすいような血管が浮いているだけでもなんか恐ろしい気分になるし、ごみの臭いにだって耐え切れない。怒鳴り合ったり殴り合ったりする人たちも嫌いだし、死に近づいていく人の前で遺産相続の話をしたりするのにも耐えられない。 しかも、そういうのに対面すると、お尻が、というか、大事なところが、ぎゅっとすぼまるみたいな、ぞぞぞっとなんともいえないかゆみが走るような、そんな不快感が起こる。
だから、プライベートモードだと、逃げちゃうこともある。職より恋だとか家族優先ってこともある。 その職業に就いてるんだから最初から最後まで責任持てと言われても、技術屋だって人なんです。 赦してくだされよ。
でも、これらのモード切替が自然にできなくなったら、なんか、人としてダメなんじゃないかと思ったりする、今日この頃。
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