15's eyes
- 2002年11月08日(金) きょうはしごとのはなし
私は仕事上、守秘義務というものがあるから、
今日、これこれこんな仕事があって、
こんなことがあったんですよう
という事を書くことができない。
一般論は言えるけれど、
具体物をあげて公に言うことはできない。
仕方ない。
だから、私は今日あった「ああ、もうやだわ。こんなこと。」
という内容の話を返事が返ってこない
植物やいきものに話してるんだけど、
もしも植物やいきものが人間の言葉が理解できているとしたのなら、
たまったものじゃないよね。
植物さんいきものさんゆるして。
今日もまた、
そんなものたちに話しかけたくなるような出来事があった。
所詮他人の子供だけど、
私が受け持っている以上は、
どんなに、性格がねじまがっていようが、
どんなに、にくらしいことをやらかそうが、
私は自分の受け持っている子供達が、
かわいいと思えるのです。
だって、毎日毎日喜怒哀楽をぶつけあって
生活しているのですよ。
恋人よりも過ごしてる時間が多いのですよ。
愛情がでてきて当然だろ。
大事なものは守ってあげたいと思って当然だろ。
私がこの仕事についたときに、
私の師匠にあたる人は、
「私が思っている数十倍も親ってもんは
子供がかわいいと思ってるんだから、
それを肝に銘じておきなさい。」
とおっしゃった。
それから、
私はどんなに矛盾して怒鳴り込まれようが、
文句をぶつけられようが、
言いがかりをつけられようが、
「方向は間違っていたとしても、
その親はその親で子供を真剣に思ってのことなんだから…」
と考えることで、話し合うこともできたし、
対処することもできたし、
けんかもすることができた。
ところが。
最近、自分のことにかまいすぎて
子供を育てることを放棄してしまったような人にたくさん出会う。
戦線放棄というか…
「ホントにかわいいって思ってるわけ?」
と質問したくなっちゃう。
親がなくても子は育つという言葉をはき違えてる。
それは、あくまで親の遠巻きの包み込む視線があったり、
目に見えない信頼関係があってから言えることだろ。
はっきりいって、
子育て放棄親は、
私の仕事にしてみたら、
最初から試合放棄されたみたいな感じ。
私は、いい。
彼らとは限りあるつきあいだから。
でも、一生つきあっていかなくちゃなんないのは、
家族でしょう?家族!
いいのかよ、このままで。
こどものときの環境や人間関係って
人格形成にとても大事だよ。
後からひびくよ。
ある程度の年齢になるこどもたちをみてると、
申し訳ないが、このまま人生のすごろくを進んでいくと、
先の未来が見えてしまうときがある。
だから、今!
今なんだけどなー
気づいたときの今が修正のチャンスなんだって。
…と今日もまた強く思い、
血管がぷちっときれそうなほど、
憤りの気持ちを抱えてしまった一日だった。
そのうち私の血管がきれたら、
職業病に認定してもらえたらいいな。
しかし。
この仕事をして、
自分が自分が思っている以上に、
仕事に対してはあつい人間だということに気づいた。
彼は、私の仕事ぶりがまったく想像できないらしい。
ホントに怒れてるのか、とか。
ホントに教えられるのか、とかね。
やっぱりプライベートとは違う顔でしょう
仕事って。
そういうものでしょう。
でも、仕事の時にであってそのままだったら、
お互い恋愛の対象になっていないかもね。