15's eyes
- 2003年01月15日(水) 意図的な… 今日はまじめな仕事の話
来月やる研究授業の原案を立てている。
ちっともさっぱりぜんぜん進んでいなくて、
はぁ…
終わらない終わらないってため息ばかり。
こういうのは、
平日の授業が終わった後の数時間で練ることなんて
絶対ムリだから、結局休みの日とか、
夜にやることが多い。
私の仕事はタイムカードというものがナイ仕事なので、
月平均何時間働いてるかはわかんないけど、
おそらく、労働基準法には違反していることでしょう。
世の中に違反してない先生は若干でしょう。きっと。
センセの仕事を一言でたとえるとするのなら、
「雑用半分創造半分の仕事」と定義できるかな。
ふぇ、かっこいいな、こう書くと。
わずか5年の教職経験でこんなこと言い放つ私は
若者の分際でーと上の人から叩かれそうだけど。
雑用とは、
日常の雑務。
会議の文書・時間割の作成、お掃除とか、
そういうのはごくごく日常のありふれた仕事。
これは雑用と私は思うけれど雑用を侮ってはいけないね、やっぱり。
創造とは、
授業、授業、授業でしょう。
授業しかないでしょう。
たとえば、当たり前のことをコドモは知らない。
それがコドモと言う生き物だから。
体積の公式が縦×横×高さだなんて大人はみんな知っている。
塾で習ってる子どもだって、公式は知ってるとしても、
「じゃぁなんでその公式がどっからでてくんだよ。」
と問いかければ、
「塾で習った」、「チャレンジで習った」、「兄ちゃんが言ってた」
とかそういう出どころでしかない。
私、塾は今ドキだから、通ってもいいと思う。
通信教材だって、家庭教師だっていいと思う。
ただ、
「じゃぁ学校の勉強って必要なワケ?」と聞かれたら、
「必要だ。あたりまえだ。」
とコドモに話すと思う。
違いは、求めているものだと思う。
学校ってきっと自分の考える道筋や、
感じることの道筋をつくっていく場所なんだと思う。
確かに、学校のお勉強で、
「この解き方だけは覚えてくれよー」
と私もコドモに懇願することはあるんだけど。
まぁ、それを忘れてしまっても
怒ったりなんかしない。
私の考えだけなのかもしれないけど、
「なんで?」
って思うことを忘れないでいてくれたらそれでいい。
その「なんで?」に対して、
「こうなのかなー」
って自分の考えが持てれば最高。
合ってても間違ってても、
考えも持てなかったら、先に進めないんだから。
自分の考えを持つためには「なんで?」って
思わなかったら持てないでしょう?
学校の勉強なんて、
生きていく上ではきっと実社会ではあんまり役に立たない。
おつりの計算ができて、
百分率ができれば消費税の計算ができる。
漢字のぼんやりとした形を覚えておけば
新聞やテレビのテロップが読める。
そんなもの。
でも、徐々に難しい問題を解いていくことって、
「なんで?」
に強くなることだから、
その難しいことに対して、
「きっとこうなんじゃないのー?」とか、
「こう思うわー」とか、
自分の考えを持っていくことって、
大人になるためには必要だよね。
自分の考えを持てなければ、
人とつきあえないじゃない?
なんで?
なんで?
なんで?
なんでなんだようぅぅ
って思いたくなるような授業の原案を今つくってるんだけど。
私は悲しいな…大人になってしまったから、
もう、コドモには戻れないから、
予測でしか進めない。
こんな場面を設定したら「なんで?」って思うかな。
こんな聞き方したら「なんで?」って思うかな。
なんでなんでなんで?
とコドモが思えるように意図的にその場を
設定するにはどうしたらいいのだろう?
うーん
うーん
うーん