栃木県日光市今市。
かつては栃木県今市市であったが、旧・日光市や近隣の町村と合併し、栃木県の1/4の面積を占める広大な新・日光市となった。結果、「市」としての今市は消滅し、現在は日光市の一部となっている。
「世界遺産」、「日光を見ずに結構と言うなかれ」等、栃木県よりもネームバリューがある日光に比べ、今市は日光街道において日光の手前の街であり、有名なモノはあまりない。強いて言えば
「イマイチだなー」
と言いたい時に
「日光の手前だなー」
というギャグが一番有名である。しかし魅力のない街はない。今市にはかつて遊郭があった。場所は現在の上今市駅のすぐそばにあった。
「朝日町新地」とも呼ばれていたらしい。
1907(明治40)年発行の「栃木県営業便覧」には「大出楼」「大出楼支店」「巴楼」「開盛楼」の4つの妓楼が記載されている。
1922(大正11)年、松井天山による「栃木県今市町鳥瞰図」には「栄楼」「今市楼」が加わり6軒が描かれている。
1911(明治44)年ごろから1910年代前半(大正時代の始め)にかけて、東京への電力の供給のために設立された鬼怒川水力電気株式会社(ちなみに当時の小田急電鉄の親会社)によるダム建築工事があり、その前線基地となった今市は工事開始とともに異常な活気と好景気に覆われ、遊郭も繁昌したという。
また、1930(昭和5)年発行の「全国遊廓案内」には
「日光が近いのと鬼怒川温泉に近いので日光の遊覧客や、鬼怒川温泉の湯治客で可成今市は賑わっている」
と書かれている。
現在は住宅や材木置き場になっており全く面影はない。普通の住宅地のわりには少し幅が広めに思える真ん中の道路が辛うじて遊郭の区画の名残りと言えるかもしれない。
左手前にある元商店っぽい建物は、もちろん遊郭の時代からあったものではないが、気になって古い住宅地図を調べてみたら左から「斉藤菓子屋」「斉藤食料品屋」と記されていた。駄菓子屋さんとパン屋さん的なお店だったのかもしれない。
画像右奥、電柱と建物の間に見えるのは栃木の名山・男体山。画像では分かり辛いが実際は結構「どーん」と雄大な姿で壮観である。妓楼の窓からの眺めも良かったのではないだろうか。

遊郭エリアの端にお稲荷さんがあった。
他に遊郭跡に特筆すべきものはないので、今市市街を散策。
レコードショップ。外観は30年ぐらい何も変わってなさそう。
おもちゃこでら。なんかこういうのを見ると、幼き頃親と一緒におもちゃ屋に来て、買ってもらう時のドキドキワクワクバクバク感を思い出して泣きたくなってくる。
こぢんまりしたゲーセン(跡)。古い民家にくっついているのが面白い。
カオルの手造り定食。どんなんだろ。
スナックDULCE(ドゥルセ)。寒々とした木々が幸薄そうな女性の顔に見える写真がいとをかし。
ニノキンこと二宮金次郎a.k.a.二宮尊徳を祀る報徳二宮神社参道にあるスナックはじらい。はじらい…既に失って久しいもの。取り戻したくても出来ないものにノスタルジーを感じるのだ。
道の駅、「ニコニコ本陣」内に貼ってあった、イベント「名画ニッコウ座」のポスター。2018年3月9日、10日、無類の映画好きで知られる水曜日のカンパネラ・コムアイさんが厳選した映画を無料で上映するという。「日光サードプレイス」という地域イベントとも連動しているようだ。
コムアイさんが訪れたという「純喫茶アラジン」。喫茶店の1階はモダンな感じだけれども、2階が日本家屋丸出しなのが面白い。
アラジンの向かい側にある「おいしい いまいちの水」。日光連山のふもとであるこの地、水が美味しいことは想像に難くないが、名前のせいで美味しさがイマイチに思えてしまうのは気の毒である。

ニコニコ本陣の隣にある喫茶店「日光珈琲 玉藻小路」。明治時代の連れ込み宿を改装したお店ということで、遊郭関連を調べている者としては連れ込み宿は大変興味があるが、残念ながら時間がなくて今回は入店ならず。


昼食は餃子の正嗣で食べた。日光や今市ではなく宇都宮の名物であるが、宇都宮の本店だと死ぬほど並ばされる。今市店はそれほどでもないのでおすすめである。勿論餃子は美味しい。
日が暮れるまで今市を散策してみたが、先程書いた「名画ニッコウ座」のために来月再び訪れる予定である。
今市だけに、いまいちど訪れるでしょう。なんちて。
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今日もアリガトウゴザイマシタ。