日常の小さいことに幸せを感じられる心が欲しいと思いながら月日は経つ
私はきっと幸せなのだろう そう感じることができないのは過大な期待のせいか
悲観的に生きることはそんなにいけないことですか 未来に期待して生きることほどせつないことはないだろうに 壊れたときの儚さに打ちひしがれることを避けるのがなぜいけないのだろう
電話がかかってきた。 やっぱり思ったとおりと言うか、悪い知らせでしかなかった。 こんなんばっかりやん。 バイトで疲れた(気疲れが殆どだったり)私はただため息をつくしかなかった。
私は人前でガラが悪い(らしい)。 先日翔の会社がセールやってるときに冷やかしに行ったとき。 翔の会社の人が、翔に「彼女なんかイメージと違うねぇ」と言ったらしい。 写真を見せたことがあるらしい。 しゃべらなきゃ大人しそうに見えるのだろうか。
昔から言葉遣いを注意されることが多かった。 でも背が高く可愛くなかった私が可愛い言葉遣いしても馬鹿にされるだけ。 そう思っていたらいつの間にかそれが当たり前になっているようだ。
どうせ直りゃしないしと思っている節がある。 今更直しても気持ち悪がられるだろうといつも思ってる。 というよりそんなにガラが悪いのかと自分がわかってない。 翔と二人でいるときと全然違うらしいけど、全く分からない。
分からんのに直せるわけがない。 でもそう言うと怒られた。 それでも私は直せそうもないなぁって内心思ってる。 やっぱ私みたいなんが彼女なんが間違ってんのかなぁと思った。
恵まれた生活してるはずなのに生きるのがうっとおしいとか思ってる。 このままだと社会に出られる人間にはなれないんではないか。
|