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「平成の御三家」<カワイイ男論の検証> - 2002年11月13日(水) 「平成の御三家」。 今から10年ほど前、こういうふうに呼ばれた三人の若手俳優がいたのを、皆さんは覚えていますか? ―反町隆史・竹野内豊・金城武? ノンノン! 吉田栄作・織田裕二・加勢大周。このひとたちのことです。 彼らはTVドラマや映画での活躍により(さらに吉田・織田はCDも出していました)、当時もっとも女性に人気のあった俳優でしたが、今はどうでしょうか? 現在でも映画・TVドラマ等で昔とかわることなく活躍しているのは、織田裕二だけであるといっていいでしょう。 あとのふたりは、一応現役ではあるものの、第一線とはいいがたいところで、細々とやっているに過ぎません。 彼らが登場した10数年前は、まだバブル全盛期の余韻が消えやらぬ頃。 当時この三人の中で、いちばん勢いがあったのは、吉田栄作だったと記憶しています。 CDデビュー即大ヒット、即紅白歌合戦に出場したほどですから。 (織田裕二もその後ヒットを飛ばしましたが、吉田栄作にはそうとう遅れをとってのチャートインでした) 三人の中でも一番「カワイイ」顔立ち、和製マイケル・J・フォックスとでもいうべきルックスをしていたことが、吉田の人気の一番大きな理由だったといえそうです。 ところが何年かのうちに、彼のその勢いは急に失速します。 なぜでしょうか? 彼は自分の人気ぶりにやたらと自信をつけて、「自分は大物」という意識を誰はばかることなくちらつかせるようになりました。 これに一番気分を害したのは、ほかならぬ彼をスターダムにのし上げたファンの女性たちでした。 「カワイイ感じだから応援してスターにまでしてあげたのに、そんなゴーマンなオトコだったなんて、私たちを馬鹿にするにもほどがあるわ」 と、いうことです。 おまけに彼は何を勘違いしたのか、「日本ではオレの大きな器を生かす場がない」とでもいわんばかりに、アメリカへと役者修業に旅立ってしまいました。 これが裏目に出て、その後彼はすっかり「忘れられたスター」となってしまい、気づいたときには、日本のどこにも自分の戻るべきポジションがなかった、とこういうわけです。 一方、加勢大周もまた、デビューして数年後に大きなつまずきをしてしまいます。 彼もまた自分の人気に自信をつけて、「独立」を考えるようになります。 ところが、所属事務所から独立するにあたって、今まで通り「加勢大周」という芸名を名乗ろうとしたところ、旧事務所の社長から、「その芸名は、自分が腐心して考えたものだ。使用まかりならん」とクレームをつけられ、法廷での係争にまで発展します。 一時は、加勢大周と、旧所属事務所が擁立した新・加勢大周(現・坂本一生)が同時に芸能活動を行うという、異常な事態にまでなりました。 結果的には、もともとの加勢大周が、その芸名の使用権を認められ、現在に至ってはいますが、その一件ですっかり「ミソをつけた」というのが、実状です。 彼の人気も、デビュー当時にくらべるとすっかり下火となってしまったのです。 その後加勢は、活動の拠点を日本から台湾に移すことで新たな人気を獲得し、なんとか活路を開いたように見えます。 が、それでも旧事務所とのトラブルはいまだ解決していないようで、つい先日も旧事務所に損害賠償として6600万円を支払うよう、東京地裁の判決を受けています。 当然、解決にいたるまでは、今後かなりの年月がかかりそうです。 よくよくトラブルと縁の切れないひとなのでしょう。 これらの件に関しては、一概に彼に非があるとは思いませんが、最初の「独立」のときはよくよく慎重に事を運ばないと、富も人気もすべてパーになりかねないことを、もう少し自覚してやるべきだったように思います。 スキャンダルというものは、なんら非のない、いわば被害者側でさえも大きなダメージを与えてしまうものだということですね。 さてその間、もうひとりの御三家、織田裕二は実に地道に仕事に励んでいました。 彼は87年に「湘南爆走族」で映画デビュー、その後いくつかの作品に出演しましたが、器用にはこなすものの、これという当たり役もないままでした。 そんな彼のイメージを大きくアップさせたのは、91年に放送されたTVドラマ「東京ラブストーリー」でした。 柴門ふみさんの漫画を原作としたこのドラマでは主人公カンチとして、奔放な帰国子女リカ(鈴木保奈美が演じました)に翻弄されながらも一途な愛をつらぬくという役柄を好演、これまでは人気の面で他の二人に水をあけられていたのを、一気に盛り返したのでした。 そして同年夏公開の映画「就職戦線異状なし」に出演、「若い世代の代表選手」的なポジションを得るようになります。 そして、最近の「踊る大捜査線」「ホワイトアウト」にいたるまでの活躍ぶりは、皆さんご存知のところです。 もともと、後のふたりにくらべると、さほどハンサム・タイプではないことも、むしろ大いにプラスになっています。 いわゆるカッコいいヒーローよりも、等身大の、普通の若者たちにも共感できるような役柄をおもにもらい、地道に演ずることで、彼は人気を徐々に伸ばしていったといえます。 私生活でも、それこそホモじゃないの?といわれるくらい女性の噂が少なかった(うまく隠したのかも知れませんが)ことも、彼の「好青年」的な印象を高めたといえそう。 そしてなにより、彼が好感を持たれたのは、彼自身の言動にまったく「驕り」が感じられない、ということだと思います。 スターには、人気を得ることで天狗となりダメになっていくタイプと、人気を得ても淡々と仕事を続け、決して偉ぶらないというタイプにはっきり分かれると思います。 もちろん、前者のスターとしての寿命が後者にくらべて著しく短いのは言うまでもありません。 後者のような、人間としての「カワイイ」部分が欠けていては、いかにカワイイ顔をしていても、平成御三家のだれかさんのように、人気がどんどん下がっていくものなのです。 演技、ふりによって「カワイイ」男に一時的に「なる」ことは、さほど難しいことではないでしょう。 ですが、長年「カワイイ」男で「あり続ける」ということは、存外難しいものです。 さまざまな場面で、さまざまなひとたちが、彼自身の「素」のキャラクターを観察し、その情報は光なみの速さで伝わり、あっというまに皆に知られるところになるのですから。 ムリに演技してみても、早晩ボロが出てしまう、そういうことです。 そういう意味で、織田裕二は最終的に、素の「人間性」で勝利を手にしたといえそうですね。 この「平成の御三家」の事例ひとつをとってみても、ただ顔がカワイイだけではダメ、むしろ性格こそ決め手にほかならないことがよくわかります。 ということで、若いみなさんも、見かけのカワイサを磨くことにばかり血道を上げず、内面こそ磨いていただきたいものです。 ...
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