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……を、登校日直前になって必死で片づけようとしている学生の気分を、今味わっています。 例によって図書館の返却期限が迫っている(明日!)ので、読み終えたばかりでまだ消化もしきれていない、読書録以前の書き散らしを。題材は、『家のロマンス』(加藤幸子)。なんとも感想が言い辛いしお勧めもし辛い……けれど、私は好きでした。 ・和洋折衷様式の邸宅に、季節ごととりどりな花や実を実らせる五百坪余りの庭。関東大震災も、あの戦争も潜り抜けた後、結局は時代の流れに取り残されて解体され、「断末魔の叫びを上げ」つつ死んでいった「家」。 ・前半は祖母ミヤが、後半は孫娘ヨシノが語る、「家」の住人たちの物語。しかし、「家」への執着心にしても、個人的な性格にしても、まるで共通するところがないように見えるふたりの女性たち。けれども、芯にある冷淡さのようなものや、それでいて夢想的なところは(本人が否定しようとも)確かにどこか共通している。 ・しかし、あの劇的な最期といい、埃になってもまだ「家」に取り付き、物語の結末を見届けようとする祖母は、やはり只者ではなかった。「私は女であることを悔やんだ」の一文に、ぞくりとした。 ・どんな悲劇も骨肉の争いも、例え激情を迸らせようとも、どこか冷ややかな風情を失わない文体が美しい、と思う。 ・(1)伝奇的空想的な要素をもつ物語。ロマン。 (2)恋物語。恋愛事件。 (大辞林) なるほど、甘く切ないだけがロマンスではない。 ・傍にあるからこそ上面の価値だけに惑わされる。遠くにあるからこそ冷静な目で真価を捉える……そして、知らず縛られている。囚われている。 ・全てが明らかになった謎など、安堵感とともにすぐ忘れ去られてしまう。本当に残っていくのは、謎のままの謎。 日付が変わる頃にもう一冊、『アースダイバー』(中沢新一)を読了したので、メモを追加。 ・アースダイバーとは、アメリカ先住民の神話に登場する概念。昔、一面海に覆われていた地球に陸地を齎そうと、多くの動物だちが海底に潜っていった。皆が失敗を重ねる中で、最後に小さなカイツブリが息も絶え絶えになりながらも泥をひとかけら、水かきに挟んで持ち帰ることに成功した。大陸は、その一握りの泥を元に創られた、という。 ・そして、現代のアースダイバーは、縄文時代の地形図(遺跡や神聖なる場所が記されている)を手に、大都会東京の深層(あるいは真相)に潜っていく。 ・見慣れたはずの街が、まるで異界のように容貌を変えて見える、というのは、当然ながらその街を「見慣れて」いることが必要。そういう意味では、古い歌ではないが「ちょっと振り向いてみただけの通りすがり」である異邦人には、綺麗にラッピングされた表層の東京も、泥と水の匂いに包まれた深層の東京も、同程度のファンタジーに思えてくる。しかし、エピローグを読む限りでは、そんな異邦人にこそ、アースダイバーたる資格がある、ということになる、らしい。 ・東京タワーにも、銀座とファッションの関係にも、秋葉原(アキバハラ)と「おたく」の関係にも、歓楽街と呼ばれる場所がなぜその地にできあがっていったのかにも、縄文時代からの根深い記憶が影響を及ぼしている。全てにおいて信じられるわけではないけれども、「どんなことにも意味がある」と考えることは、決して嫌いではない。それに、正直なところ「消費の街」であるとしか考えてこなかった東京を、見る目が変わった、ことは確かである。 ・小さな怪物である金魚の物語と、「お酉さま」の祭りを巡る考察には、ぞくぞくした。むしろ、東京を見る目よりも金魚を見る目が変わりそうなくらいに。 ![]() ![]() ![]() ![]() |