日記帳




2009年09月05日(土) 隣の芝生は何色か

本日の読書メモ。題材は、『マイ グランパパ、ピカソ』(マリーナ・ピカソ)。パブロ・ピカソの孫娘である、マリーナの自伝です。

・私のおじいちゃん、という温かみのあるタイトルに、ものの見事に騙された。たった数ページで、私はこの本を最後まで読み切ることはできないかもしれない、と思った。それほどまでにこれは、凄惨で悲劇的で救いのない人生の記録である。

・多分に感情移入して読んではいけない、と頭の片隅で戒めつつも、時に冷水を浴びせられたかのように、棍棒で殴りつけられてもしたかのように、否応なく衝撃を受ける場面がある。例えば、「世の中には知らない方が良いことがある」と彼女が振り返る、祖父からもらったお菓子に関する回想。例えば、祖父と同じ名を持つが故に、自らの名前を名乗ることすら拒まれた兄のこと。

・私自身は、かの天才の作品を特別に好んでいるわけではないし、彼のひととなりについて先入観も抱いてはいない。類まれな才能を持つ人物というのは、一定の距離を置いて称賛を贈る人々にとっては崇拝に値する偉大なる存在であるけれども、家族のように血を分け生活を共にし、そのために強い影響力を受けざるをえない人々にとっては、ほとんど怪物のように恐ろしく、時には憎しみすら掻き立てる対象になりうるのだ……という感想は、あまりにも月並みすぎるだろうか。

・祖父はあらかじめ自分たちから奪われていた、と彼女は言う。ならば、逆説的ではあるけれども、彼女の祖父についても同じことが言えるのではないか? 彼からも、いわゆる「普通の家族の愛」とでもいうべきものが、あらかじめ奪われていたのではないのか? とてつもなく傲慢な言い方に聞こえることは承知の上で、敢えて言おう。天は二物を与えない。その人の持っている「ひとつ」が、その他の人々には手に入れることの敵わないほどに傑出したものであればなおさら。

・しかし、どれほどの苦しみを味わおうとも、彼女は「偉大なる祖父」から継いだ名前を捨ててはいないし、冒頭のポートレートに映るその目は、驚くほど彼に似ている。それは、逃れられない呪縛であるとともに、彼女が「生き残る」ことができたエネルギーの源でもあるのだと思う。

***

拍手御礼。相沢さんへ。
こういう時だけ発揮される行動力を駆使して、食べてきました、月見バーガー! 当たり前のことながら一年ぶりの再会ですが、やっぱり良いものですね……! 相沢さんにも、早く邂逅の時がやって来るように、お祈りしております! 
それにしても、最近は大好きな作家の新作ですら発売初日に買いに走ったりはしなくなったというのに、自分のことながら「食べ物の推進力」には驚いております。だって、食欲の秋ですものね!(強引に結論付ける)
そして、私も、こうして日記を通じてのキャッチボールの楽しさを久方ぶりに思い出しているところですので、当分の間は頻々と顔を出す予定でおります……!





BACK NEXT 初日から日付順 最新 目次 入り口へ


ほたる