++Madcat's Diary++

2005年07月25日(月) ずいぶん空いちゃった…

前回、15日の日記のタイトルが「下り坂?」ってなってるのが、ホントにそのとおりで、

あまり良くないことが続きました。

17日の早朝、母方の祖父が永眠しました。

実家のアルバムを開けば、私がまだ何ヶ月かの赤ちゃんのときにだっこしてもらって

写ってる写真があります。

そこから24年足らず、とても私をかわいがってくれた祖父でした。

2ヶ月ほど前に、肺炎で入院し、主な原因がわからないこともあって「危険」

と判断され、あわててお見舞いに飛んで帰ったことがまず思い出せます。

でも、その後「回復の兆し」があるとかで、1ヶ月ぐらいで退院もできるかも、

というほど回復したんです。

私もそのときお見舞いに行って、思ったより元気だなぁとか思ってたんです。

祖父が亡くなるほんの一週間前のことだったんです。

その日は、深夜まで、バドミントンの遠征で近所まで来ていたヒトミちゃんと会っていて、

すごく楽しい時間を過ごせて、おじいちゃんの見舞いに先月、今月と何度か

帰ったんだよ、って話もして、回復しそうだって話していたところでした。

ヒトミちゃんをホテルまで送って、明日も試合頑張ってって言って別れて。

自宅に戻った直後でした。

夜中の2時ぐらいかな。

ケイタイに母から電話があって、いつもは電話口で聞き取りやすい母の声が

喉の奥に詰まったような、篭った声になっていて。

すごいショックでした。

しばらくナニも考えられなくて。

私は身近なヒトを失うの、初めてだったから、どうしたらいいかわかんなくて。

母も、祖父が亡くなったこと以外ナニも伝えてこなくて。

とりあえず、実家に帰らなくちゃ、って思って、バスの手配とか、喪服とか

いろいろ考えなくちゃ…だったんです。

でも、私そのとき現金をほとんど持ってなくて、バス代もなくて。

おまけに始発のバスは、始発の電車より早くて、どうしようかと思って。

バスの時刻表をネットで見てるときに、週末だったこともあって、

獣医の友人がオンラインに上がってきて、ワケを話したらお金貸してくれて。

真夜中なのに、雨のなかお金持って外で待っててくれて。

車持ってる友人には真夜中に電話でたたき起こしたうえ、朝6時には駅まで送ってくれて。

「黒い服もって行きや」とか、「黒い靴もいるよ」とか、パニックになって

泣いてる私の思いつかないことをアドバイスしてくれて。

たくさんの友人に支えられて実家まで帰ることができました。

すごい、友人のありがたさを感じました。

今思うと、母からの電話で、母が泣いていたのがわかったのがイチバン私を

動揺させたんですよ。

実家に戻ると、母は結構気丈にいろいろ用意してくれてて、すぐにお通夜に

向かうことができました。

前回お見舞いに行ったとき会ったイトコとは、普段なら年に何回も会う子じゃ

ないのに、たったの1週間ぶりで、余計に悲しくなりました。

祖父はまだ納棺されてなくて、親族が見守るなかで丁寧に棺に入れられました。

遺体を目の前にしてしまうと、祖父が亡くなったことが一層実感に変わって

ボロボロ泣いてました。

祖母は疲れた顔をしていて、看取ってからはほとんど眠ったりしていなかったことが

すぐわかる顔でした。


通夜と葬儀は、親族だけの静かなもので、粛々と…といった雰囲気でした。

叔母が勤めている葬祭会館で執り行ったので、

勝手のわかるおばが、出すぎずしっかりと仕切ってくれていたみたいです。

祖父の姉はしっかりしたおばあちゃんで、ボケが来ていない分、兄弟が下から

下から逝ってしまうことが悲しそうでした。

供花もお骨拾いも、祖父が亡くなったことをいちいち実感させるようで

つらかったけど、親族みんなで見守ってました。





長くなるので続きはまた明日…


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