『IZO』 |
表記はこれでいいのかしら……
キャ〜、ゴウを観に行ってきたよ!
と、ちゃかした言い方をしたくなるほどゴウが素敵だったよ! 観終わった後の感想はただ一言
「だめなこ……」(ゴウではなく以蔵が)
だったんですが、ラストで救われたのでまあ良しとする。 しかしこういった役を演じるとゴウはホントにピカイチで、それを分ってる確信犯のスタッフが彼にとオファーした仕事だと思うので、ホントにありがたい仕事をさせて頂けたなと思いました。
しかし私の思っていた岡田以蔵とかなり違ってたので、これはどこまでが史実に近いんだろうと大変気になりました。 (しかしあれだ、この役は過去に長瀬も演じていたのね……非常に似合いそうだ、あの子も) 気になったので取急ぎ、司馬遼太郎の『人斬り以蔵』と『龍馬がゆく』(こっちは長編なので、ちょうど長州の勤王党が没していくあたりだけ)を読んだのですが、切り口が違うと随分印象が変わるなあと思いました。 どちらも舞台上ではかなり非道に見えた武市半平太が、結構魅力的な人物に描かれていました。 たしかに100人を越す人間が慕って集まる訳だから、それなりの人物であったんでしょう。 しかし、『龍馬がゆく』で以蔵がかなりダメな子として描かれていて(しかし他人が以蔵のことを龍馬に言う時の表現はかなり良かった……「人間もあれだけ人を殺すと、獣に戻るのかね。あれはそういう目をしている」とか何とか)若干ショックをうけつつ『人斬り以蔵』を読んだら、出だしから「ある不幸な男が生まれた」とかから始まっててよむのが辛かった………! こちらの方が、以蔵の苦しさとかが垣間見える感じでした。 でもやっぱり以蔵は、頭が………その………やっぱりよろしくなかったのですね……。 まともな教育をうけてないから仕方がないが。 でも舞台であんなに以蔵のコンプレックスの対象であった田中新兵衛が、以蔵と大差ない、あまり頭のよろしくない子として描かれていたのでかなり驚きました。 そして武市先生はあそこまでひどい人じゃなかった。毒薬にしろ、毒薬と分る様に差し出して(以蔵が投獄されてから)いたので、あんなに人の心を踏みにじる感じじゃなかったかなあ。 まあその前に、寿司にまぜて以蔵に毒を盛るんだけど、以蔵が腹痛も起こさないのでやむを得ず、って感じでしたが。 『龍馬〜』で「毒が効かない異常体質」とか書かれていて、思わず「以蔵たん……!」と思ったんですが『人斬り以蔵』ではその状況が衝撃的な文章で表現されていて、同じ作者の同じ題材なのに驚きました。 パンフに『人斬り以蔵』の以蔵が一番実在に近いとされている、と書かれていたので、だとしたらやっぱり可哀相な人だったんだなあと思います。 拷問の上自白した、というくだりもちょっと違う解釈になっているし、天誅の最中に自分の名前と藩名を名乗ったというところも、同志に殺されそうになってその者だけに名乗ったつもりだったのが当然皆に聞こえていた、とか……どうにも以蔵を煙たく思った者が以蔵をついでに始末しようとした様にも取れてしまって。 そこで以蔵は武士として己を誇り高く名乗ったのに、最後は土佐藩に存在を認めて貰えず、本来武士なら絶対にされることのない入れ墨刑をされて放置されてしまう訳で…… その上、放置された彼を土佐藩は武市の罪を立証する証人としてのみ捕らえるんだけど、そこで名前を聞かれても、以蔵はもう己を以蔵とは名乗らないんですよね。 苛ついた容堂が、以蔵であろうと促すと「藩が私のような者は土佐には居ないといった、だから私は以蔵ではない、私には名前がない」と答えるんですが〜……つらい……このあたり……! ゴウがこんなこと言ったら悶絶です……つらくて………!!
それにしても、内容とキャストが合過ぎていて、よかったけれどある意味きびしかった。 以前大好きな作家が、ゴウを評して『彼は生まれながらに、自分でそうと決めてしまった孤独とも言えない渇き』を持っている、と言ってらしたのですが、ホントにそんな感じです。以蔵もそんな子だったのかも。
余談ですが、容堂は今際の際に武市を利用したことをすまなく思う、と言い残したと書いてある部分があって、文献なのか創造なのか分りませんがちょっと萌えました。
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2008年01月26日(土)
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