ペパーミント・アップルミント
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2003年07月29日(火) |
「アジアンタムブルー」(つぐない テレサ・テン) |
昨日「アジアンタムブルー」(大崎善生作)を読了。
表紙にアジアンタムがあしらってあって、それに惹かれて借りました。 先月買った我が家のアジアンタムが、世話不足で見事に葉がチリチリになったせめてもの償いに…。
「本の雑誌」で以前、誰かの書評でお薦めになっていただけあり、なかなかの作品でした。
「死」の概念について語るところがあって、主人公は中学生の頃インコの死をきっかけに「死」について考えるようになる。 自分が死んだらどうなるのか。 自分の肉体がなくなくなっても、時は永遠に流れていくのか。 その時自分の精神はどうなっているのか?
答えの出ない底なし沼にはまり、怖くて怖くて精神的に参ってしまう。 そんな時あるコラムを目にして、少し吹っ切れる。 〜『永遠』という概念とは、二つの言葉を思い出す。 ひとつは千年に一度空から天女が舞い降りてきて、三千畳敷きの岩を羽衣 で一掃きする。そしてその岩が摩滅してなくなるまでの時間を永遠とい う。 もうひとつは宇宙が無限である意味はただひとつ。膨張を続けているとい うことにほかならない。〜
という内容。 「死」と「永遠」は正反対の意味だから、「死」に対する答えが曖昧でも「永遠」について自分なりの解釈ができれば少しは落ち着くっていうことかな…?
私が始めて「死」についてつきつめて考えて、この主人公と同じように足元から暗闇が迫ってくるような経験をしたのは、幼稚園児のころ。 何がきっかけでそんなことを考えたのかは覚えていないけど、夢うつつで幼いながらもあれこれ思いを巡らせました。 やはり一人ではどうしようもなく怖くて夜中に泣き叫んで父母が慌てて駆けつけてきた記憶があります。
「死ぬのが怖い」と説明するわけでもなく、ただ「生きている」ことを噛み締めるために泣きじゃくってました。 父母もわけがわからずただ背中をさするだけでしたが、その感触がとても心地よかった…ような気がする。
今でもごくたま〜に布団に入って眠りに落ちる前に、漠然と「死」の暗闇が迫ってくる時があります。 とことん考えてしまうとまたまた、暗闇に取り込まれてしまうので「お気楽日和見主義」の私は途中でプツッと思考を切断します。
やっぱり仮面夫婦かしら〜
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