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2002年04月25日(木) ■ |
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HARD DAY |
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や。なんてかね。いそがしかったのよとても。午前中はほえほえとすごしていたのだけれど。12時から16時迄今出川でアルバイト。16時に大好きな人の1人と逢い引きをする約束をしていたのです。時刻を16時としてたのだけれど。ごめんなさい。16時迄のアルバイト。いくら、待ち合わせ場所の地下鉄の駅の上とはいえ、16時ジャストには間に合うのはむずかしかったのね。結局5分?いや7分ほど遅刻してしまいました。16:45から授業。さぼりたいさぼリたいと思いつつ。半時ほどの逢瀬の相手からいってらっしゃいと。いわれて。出席しました。で。授業中にぼーいふれんどから電話。伝言に切り替えて、こそこそとおやゆびメール。「いまじゅぎょうちゅうおわったらcall u back」あれ。人が授業中にやっているのはほんとに不愉快なんだけれど自分がやるのは全然平気だわ。発見発見。 授業終了と同時に電話を。いわく、「今から三条に来い」と。その時刻は18:15。わたし、このあと20:05からの7講とかもあるんですが。なんだろう。こういう時、次の予定をいえない人なのです。選択は行くか行かないか。授業に出るかでないかのふたつしかないので。結論しか云わない。「ん。じゃ。これからそちらに向かいます。てか三条ってどうやって行くの?」京都の学校に通って10年目なのにこれは多少情けないかも。結局、勘でバスを選んで乗りました。しかし。40分もかかってしまったのは何故だろう。高島屋のホールで会ってそこから夜の京都をふらふらと。なんと云う小路なのか知らないけれど四条と三条の間の細い道。賀茂川にそった道で。不愉快な思いをしました。ぼーいふれんどがそれに気付いてないところがさらに不愉快。 結局ビニールの。なんていうんだろう。のれんというのかカーテンというのか。のようなのが扉の代わりにかかっているラーメン屋さんでラーメンと共にビールの中を。ついでに、セルフサービスのだいこんきむちとかもつまんだかな。店を出て。隣の王将でぼーいふれんどは餃子を。幾つ買っていたのだろう。家にあげてはくれぬのかと聞けば。かたづいてないから駄目だと抜かす。一番近い「京阪」の駅へとつれられて。ごめんねここまでしか送っていけないけれどここから帰れるよね。と。20時の5分前。地下に続く階段を指してわたしに背を向けた男を見つつ。タクシーを拾って今出川迄。信号で停まっている自動車やらその間をすりぬけようとする二輪車やらの交錯する中。わたしが乗った自動車もぼーいふれんどが去って行ったのと同じ方向に少し進んで。その男はjay walkで窓の真横をわたしには気付かずに通り過ぎてゆきました。抜きつ抜かれつするのをああわたしだけが知っていると。おもいながら。 学校の正門でおりて授業に。20:05分。しかし。いくらなんでもそのまま教室に入るのも気が引けたので。お手洗いで顔を洗って歯を磨いて。ついでにフリスクもかりこりとかじって。後ろのドアを。大きく音のするドアをできるだけ静かに開けて。すべりこみました。 机についたとたんに。あの四条と三条の間の小路での出来事を思い出して。涙がとまらなくなっていた。 そう。前を歩いていた観光客と思しき男女が。後ろを歩いていたわたしたちをさりげなく先にゆかせたのですよ。袖を引き合って立ち止まって。それを短い距離で3回も。アメリカ人には見えなかったのでヨーロッパかどこかかな。ベルギーあたりやもしれぬが。おもわず「てめーのきたない女に触れようとは思わないしてめーのもちものにも興味はないよとあいつらにゆってくれ」とぼーいふれんどに云いそうになったのだけれど。それを押しとどめていたせいか。 結局、授業が終わるまでこぼれつづけるなみだはとまらず。嗚咽することなくただ流れるにまかせて。 つか、わたしのぼーいふれんど。中国人のような風采だが日本人だっつうの。国籍だって日本なの。ちゃんとパスポート見て確認したんだから。といっても。その外国人観光客にIDをみせるわけにもいかないでしょう。 ただ口惜しかったのです。口惜しいと云うか哀しいと云うか。なんとも遣りきれない気持ちって。こういう時に使うのかしら。でもこの感覚。もしかしたら夜の海外の都市を歩いたことのない人にはわからない感覚なのかもしれない。
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