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2003年02月15日(土) ■ |
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くれよん。 |
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わたしは、小学校の時に使っていたクレヨンをまだ持っています。エスプレッソのコーヒーカップくらいの大きさの陶器のいれものに。6本たてて。
赤、緑、オレンジ、黄色、青、茶色。の6色。
父の同僚の、3歳の子どもと1歳の子どもが遊びに来たので。スケッチブックといっしょに提供しました。
かわいくて、かしこくて、礼儀正しい、よい子たちだったので、好きになりました。
「ちっちゃいころ、わたし、英語とアラビア語話していたんだって」
という友人がいます。その通りだろうと思います。
小学校の時は、英語とポルトガル語と日本語をあやつっていた友人もいます。
わたしは、英語と日本語を使っていました。
その頃の頭がどんな構造をしていたのか、気になります。
私の場合は、ふたつの言語が、まったくリンクしていませんでした。
極端な話、「apple」と「りんご」を、別のものとしてしか認識できないのです。
まだ、リンゴのように、実体のあるものならよいのですが、抽象的なものになると、お手上げです。
happyを単純にしあわせと訳せる人を尊敬します。
happyはhappyで、しあわせとは、べつもんなんだよっ。
loveと愛は、べつもんなんだよっ。
子供達は父親が英語、母親が日本語。のバイリンガルっ子でした。
こういう場合、美しい日本語と、美しい英語。どちらか、片方でも身につけることはむずかしかったりします。
がんばれちびちゃん。
でも、美しい日本語って、どんなのだろう。美しい英語を使う人は何人かすぐに思い浮かべることができるのだけれど。。。。
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