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2004年12月04日(土) ■ |
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figaro atack |
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雑誌の旅行記事は誰が どのような意図を持って ロケーションを決定しているのだろう。 予期せずに そして 不本意ながら 彼らが取材した土地に 居合わせてしまうことがある。 わたしが行ったことのあるどこか ヨーロッパの 自動車でなくてはいけないような ほんとうに 小さな町も 占領されていたことがあった。 その記事の 余波に。
小さくて 落ち着いていて しっとりした 古い石畳の町が 男女二人連れの団体にうめつくされている。
日本の町で就学旅行の一行とぶつかってしまったときのように 途方にくれてしまうのだけれど 就学旅行のほうが まだ よほど ましなのだと 思う。
経過。 日本の雑誌に その町が紹介される。 フランスの小さな 落ち着いた田舎の町。とかなんとか。
>>雑誌発売の翌週くらいからその記事を見たと思しき人々がぽつぽつと現れ始める(この頃に韓国の取材スタッフも着ていると思われる)
>>販売半月後くらいにその雑誌に掲載された店が当該ページのカラーコピーや 時には雑誌そのものを店頭に掲げたりする(フランスの田舎町に。英語だって、おじいちゃん、おばあちゃんの世代くらいしか、しゃべれる人のいないような、田舎に、日本語の雑誌!)
>>日本での雑誌発売の翌月か、翌々月に韓国あたりで同様の特集が組まれた雑誌が発売される(フランスの田舎町に。(中略)ハングルの雑誌!)
>>アタックの第二弾。。。そこまではフォローしてないのでわかりません。
何が厭といって、人目をはばかるような態度があからさまに見て取れる。絶対に夫婦ではなさそうな雰囲気がひときわ強く漂っていて、またそれが、日本で見たらそこそこいけてるだろうカップルなのだろうけれども そのような人々が そのような空気を発しているのはなんとも鬱陶しい。
なんだろう、普段は衆目を気にしているような関係なのでしょう。常から人目をはばかる空気がふたりのあいだにしみついていてそれが漂っているのではないだろうかとか その 周囲からの視線がなくなったと思って 人目をはばからずに 二人の世界を作っているのは なんといったらいいのだろう。 何かをむさぼっているようで みっともない。
熟れすぎた果物のような。でも、場所によってはそれもありかな。とも思える。
だけれども そのような人を海外で見てしまうことほど気がめいることもないし、そのような男女のカップル同士が 同じようなカップルと 牽制しあうのもわからないでもない。嫌悪感って、他人の中に自分のいやな部分を見つけたときに おこるんだってね。
と。 首都圏から来たらしき 夫婦ではなさそうな 二人組をみながら 一緒にいた方に 京都駅の ベンチに座って あれは 絶対 夫婦じゃないよね と いわれて ああ もしかして この人も 同じような見方をしているのかと。 考えてしまった。
京都駅のクリスマスツリーは 毎日通学のときに通り過ぎたりしているのだけれども だれかと一緒に見るのは また 違って見えるものだと
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