春夏秋冬
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| 2002年11月12日(火) |
それを癒しと呼ぶならば |
世の中には「癒し系」なんて言葉が溢れてしまうほど、 今の人達は疲れているのだろうか。 こんな疑問、いつもはさらっと流すのだけれど、 今日はちょっと立ち止まってみたり。
「癒し」ってなんだろう。 誰かにとって、「癒し」と呼べるものでも、 他の誰かにとってはそうじゃないだろう。 「癒し」だったものが、ある日、突然そうじゃなくかもしれないし。
「癒し」の反対の意味って何だろう。 「苦痛」「悲しみ」「疲労」???
今日はあの子に癒しを求め、明日は誰に癒しを求めるの? あなたの存在は誰かの癒しになっているの? 私の存在は誰かの癒しになっているの?
誰かの癒しになりたくて、誰にでも愛想を振り撒いて、 そして自分自身を見失って、癒しを求めつづけてる。 そんな自分、本当に嫌いだけれど、そんな自分だから、生きている。
私の存在を「癒し」と呼んでくれる人は、 私にとって「癒し」でありうるのか。
別に求め合うような存在じゃなくたって、 ただ、搾取し、搾取されるだけの関係だって、 二人がそれを癒しと呼ぶならば、 誰にそれを咎めることができるというのか。
寂しがり屋のこの私に、人の温もり無しで こんなに寒く苦しい季節を越えて行けと言うのか。
「癒し」を求めているのはただ、私。 癒されたいのはこの私。 たとえ癒されたとしても、今の私の癒す力はないよ。
そう、もし、あなたが私に癒しを求めるのなら、 私はこの私全てであなたを癒してあげたい。
けれどね、何かに癒されることはあっても、 「誰かを癒してあげよう」何ていう気持ちは ただ、人の傲慢でしかないんだよ。
全てのつながりの中で生きている、この私。 全てのつながりを断たれても生きていけるのだろうか。
今、私を癒している存在。 それは、今、私とつながっている全ての存在。
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