春夏秋冬
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基準でも、標準でも、何でもいいのだけれど、 物を見る時、考える時、もしくは何か行動をする時、 もっと言えば、全てにおいて判断する時には基準なり、 標準なりが存在すると思う。
それを自分の中に求めるのであれば、当然、 過去の自分か、現在の自分か、それとも未来の自分か。
いずれかの自分を目安にして物事を判断するわけで、 その基準が全く、内にも外にも存在しない人は居ない様に思う。
そこで、私の基準について考えてみた。 私はいったい「何時」の、「何処」の、「何」を 基準にして物事を判断しているのか。
例えば「幸せ」
幸せって感じるという事は幸せじゃないという事もある訳で、 当然、幸せか、否か、の基準が存在する。
私の「幸せ」の基準は、「あの人」と一緒にいた二年半。
付き合う、それ以前はそんな「幸せ」なんて考えていなかったし、 ただ、そこにある現実、を受け入れるだけで生きて来たように思う。
それが変わったあの二年半が私の「幸せ」の基準。
その基準が今、ずっと私の中で私を苦しめている。 あの幸せな時は戻らない。決して戻ってこない。 あの幸せな時があるからこそ、今を生きていけるのだけれども、 あの幸せな時があるからこそ、今の私はこんなにも苦しんでいる。
もう、基準なんていらない。 全てをゼロに戻すことは出来なくても、 全ても忘れることは出来なくても、 私の存在を消すことくらいは出来るんじゃないだろうか。
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