ねぎぼう業務日報

2002年11月15日(金) 今も時計は時を刻む

「大きな古時計」は、おじいさんとともに生き、時を刻み、
おじいさんの死とともに役目を終えた時計の物語。
「今はもう動かないその時計」という詞が改めて、
古時計がおじいさんと命を共にしてきたことを強調
しているようです。

ただ、機械は設計仕様さえ適切ならば、機械そのものの
寿命まで動きつづけるものでもあります。
昔のSF小説で、宇宙船に乗る飛行士の心を慰める
ためのロボットが飛行士が死んだ後も、正確に
起動しつづけるという話がありました。
目覚めることのない飛行士を起こし、料理を作り、
主の愛した曲を奏でる。
ロボットではありませんが、渋谷駅で帰らぬ主人を
待ちつづけたハチ公もそう。
あるじがなくても定められた通りに動く姿は
忠実であればあるほど哀愁を感じるものです。
定められた行動が「他には何の役にもたたない」
ものであるほど。

大きな古時計はたとえおじいさんが死んでしまっても、
動けばその子供、孫、家の人のために役に立つことは
出来たのですが、あえておじいさんについていった
というところでしょうか。
時計にとっては、幸せなのかもしれません。

おじいさんのために、時を刻む古時計、
毎晩10時におじいさんが好きな
サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」を奏でる。
ある日おじいさんがなくなった。
それでも時計は時を刻みつづける。
そして今も10時に「ツィゴイネルワイゼン」が響く。
コーヒーを飲みながら穏やかに耳を傾ける
おじいさんはもういない。


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