ネットオークションで「日本ハム」を検索し、 ざっと見ていると、改めて 「背番号2」=「小笠原」を実感します。 実は私は先代の背番号2の鈴木慶裕外野手のファンでした。 俊足巧打の選手だったのですが、ドラフト前の時期に 当時としては珍しく「日本ハムへの入団を希望」する発言を したのをきき、日本ハムというユニフォームは派手でも、 チームカラーは地味なチームに入ることを望むとは 変わった選手もいるものだと思ったものです。 あのころのハムの外野の選手層を考えると理にはかなって いたのですが。
シーズンイン後のプロ野球ニュース(現すぽると)か 何かで特集があったとき、そのスマートで理路整然とした 受け答えをみて「かっこいいな」と思いました。 当時のユニフォームの「SUZUKI」は、今まで球界に いた「鈴木」選手のなかで一番ぴったりきていると思った ものです。
昭和から平成への年、ちょうどこれは南海がダイエーに 売却された年のオフで、ダイエー応援するのもなあ・・・と 思っていた時期。 当時は近藤貞雄監督(現名古屋80D'sers監督)が就任 したばかりで、いろいろ斬新なことをぶち上げていました。 ドラフト1位はダイエーとの競合の末、当りくじを引き当てた 全日本の4番中島輝士内野手でした。これ以降ドラフトで 当たりくじを引いたというのは記憶にありません。 くじ運最悪の上田監督もいたことですし。 鈴木は2位指名でした。この他には陸上選手なみに足の速い 川名外野手、アンコ型ながら立教大で巧打には 定評のあった矢作内野手、投球の時には奇声をあげ、 言葉尻には「ごじゃる」をつける、 まるでダイナブラック星川竜のような上岡投手など 個性的な選手も獲得していました。 次の年は全員投手指名というご無体をしていました。
続きはまた明日です。他のねたで書きたくなったらさらに その次にてよろしくお願いいたします。
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