サッカーのことを全く書いていませんがちゃんとチェックはしています。しかしtotoの予想が出来そうにありません。 でも私の占ったとおり今期一番運勢悪い監督はいなくなってしまいましたね。ちょっとびっくり。試合の1つ1つは全く予想当たらないんだけど、監督の運勢的には当たるかな? そして俊輔。21日試合出るのかな?だがしかし見に行けない。分身の技が使えたらなあ。 てゆーかサッカーと宝塚と吉岡君と3つも同時進行て今までなかったよ。大変だ。 どうでもいいけど、俊輔のインタビューをスパサカでやってくれるのはいいが、 短く前後編にわけたのには参りました。まあ時間的にもキャッチ-なのかもしれないけど。
ナンバープラスに戻るんだけど、パラパラめくって(しかし広告のせいで開きにくい雑誌だ。) 最後の頁から読み始めてしまいました。 小学生の絵と作文で1ページだったから読みやすいのと、絵のインパクトがすごくてつい真っ先に・・。 そして作文の方もパワーがほとばしっていた。楽しく拝見しました。 と同時に私のメンタリティと酷似しているかもしれないと思い、照れる。 カメルーンの選手が来るというので盛りあがりまくる村民たちのことは記憶に新しい。 そして作文の彼女のカメルーンの選手を迎える準備からウィンクされてすっかりファンになり、一緒に踊ってさらに固め、全身全霊で応援して燃え尽き、カメルーンの選手が世界のどこかでがんばるかぎり、自らも頑張るのだ!宣言。 その様子と心意気がイキイキ書かれている。 微笑ましいと思いながら、どこか自分のことのように感じて、「ハッ私って小学生くらいから成長していないのかな?」とドキドキ。 いつも家族から人より10年、20年遅れてると年々遅れが増えてしまい逆に若返ってしまっている有様。 この小学生の作文を読んで「それはやはり事実かも」と思ったヨ。 小学生の方すみません。、こんなことかくと誤解を招くかもなあ。ひょっとしなくても外見は充分大人であるはずの私が小学生の彼女と 同じメンタリティあるいは彼女より度胸も知恵もないから性質悪いかも・・ 小学生であるなら全然OK!というかそうであっても可かも。大人が思う小学生のイメージで安心するかも。
でも待てよ。私がたまたま正直者(?)で自分の日常を隠す事無く出しているだけで、私を子ども扱いする人の中にもそういう部分を隠して、見せない振りをしているだけかもしれない。 見せない振りが大人な行為なのか?ハテ??やっぱり正直者はバカを見るのかもしれない(チガウ)
さてそんなことを踏まえつつ・・・ 再びこんな事を書いている理由の1つとして、アエラ 7/15号 no.29(またしても!この号て私的にものすごく無視できない記事ばかりでやんの(笑)で「暴走する悲しいロリコンアイドルおたく」という今更っちゃあ今更な話題があって、男女の理想のギャップや女性が追っか
ける対象の真実をとことん食らいたいのとは対照的に男性は自らの理想のままでいて欲しくしりたくもない〜という内容の中、セーラームーンミュージカルに通う成人男性のことも書かれていた。一瞬、その様を想像するとコメント不可能な気分だ、だがしかし自虐的な書き方で申し訳ないが私もその記事で紹介されているロリコンオタクとそう大差はないのかもしれない。 サッカーや宝塚はいいとして、やっぱり某特撮系アイドルのイベントはいい訳出来なさそうである。実際、その場にいてかなりかな〜り居たたまれない場面があり、気持がブルーになった。 そんな気持を味わわなくてはならないのは全部自分のせいなのだ。みんなオイラが悪いのだ(いや悪くないけど) 本来の対象から外れる人が幅を利かすというのはやっぱり目立つし、異常に映ってしまうだろう。 だからこそ自分で戒めて、なるべく悪目立ちをしないように他人に迷惑をかけないよういに気をつけたつもりだが・・・。それが成功していたか自分ではわからない。 そんなワケで自分の大人レベルに自信はもともとない。でもだからって開き直ったりなどはしない。 常に自分の求めることには正直で、しかし節度を保つようにしていたい。これが私のスタイルなんだろうと決まってきた。
さて別に子ども向けのプログラムに行く人ばかりでなく、私が仕事や趣味でアチコチ見聞していると大人げない行動をしている人間をよく見かける。 ここでは割愛するが(でも1つだけ、先日駅ビルの通路で座り込んでいる飲食している妙齢なご婦人がいてインパクトあったなあ)大人
げないという言葉は不適切かも、子どもでもやって欲しくない事ばかりだ。 それでもまず先輩である大人が後輩である子どもに大人げある所を見せなくてはならないのだろううなあ。 なんだか再三こんな事書いている気がするが・・・ 行く場所や好きなものが特に特異(?)なものだと、目立ってしまい浮きやすくなるのは当然といえば当然だが、一件埋もれているような日常にも、つまり大多数の大人がいて、行動していてもなんら不思議はない空間や組織にも大人でない(=子どもというわけではない。)人が擬態で目立たないだけなんじゃないかと思う。 そういう人たちは自分が立派な大人だと勘違いしているのだから、「万年青年でいいもん」と開き直る人々よりももう少し性質悪いかもしれない。 しかし、日本人全般が大人げない国民という説がある。それは否定できなさそうである。 無邪気で幼稚で真面目な国民性はどうしてもある。それが善い悪いの問題ではなく・・・そんな国民がW杯を共同で開催し終え、次のW杯に向かうのにまず監督を決めなくてはならない。
そこでナンバープラスに戻るのですが、次に読んだのは金子達仁さんの「熱病フットボール」。なんといっても彼の文章はキャッチ-で読みやすいのでランチタイムには最適なのだ。 今回は新監督であろうジーコのことについても語っているので、「ほほ〜」と読んでみた。 実は等と言わなくても、私は金子さんの著書「28年目のハーフタイム」を愛読している。 サッカー素人な私はそこで書かれていた監督の話など理に適った分析に多いに影響受けました。 簡単にいうと「経験とカリスマ性が大切」ということで、日本人では無理だろうということ。 そんなワケで今回のジーコについてはどう書くのかな?と楽しみにしていた・・かな。 結果は「ジーコのカリスマ性に賭けるんだな〜ふ〜ん」てところ。 私はジーコで不満というより心配。この心配の理由は詳しく書けるほど技量がないので逃げちゃうすみません。 でも、代表監督の経験がないからかなあ。 仕事に関しては絶対経験主義者ではないけど、経験に裏打ちされた理論や根回しに勝るもの無しな気持なのです。 ジーコが嫌いなわけはありません。どっちかというと好きだし。それも理由の1つか。 でもどちらにしても他にいない、私なんてとっても思いつかない。日本人ならもっとダメな理由を考えたらおのずと答えも出ようかと言う所か・・・
そして現在の日本人には、ジーコのように愛されている人が監督にしたほうが力もいつもより倍でるかもしれない。 代表の選手だけでなく、日本人全員で愛して応援してしまうかもしれない。 そういう熱病がちょっと怖くなるのも心配症な私の理由なのかもしれない。
長い〜〜〜ここまで読んでくれた方ありがとう! 明日は成瀬さんのディナーショーなので早く寝なくては!! あ〜ドキドキ。そしてこれが長いお別れになるかもしれないんだもん。泣ける。
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