2002年09月05日(木) |
オリジナルカラーってあるの? |
オリジナルカラー 今、唐突にこんな言葉を作ってみた。
人には主観ってものがあって、同じものでも人によって見え方が違う。 ちょうど自分の好きな音楽のことを考えてみればよくわかっていただけることだろう さらにその日の気分によっても見え方は変化する。 じゃあ、鏡で自分を見たときどんな色をしているだろう? きれいな、すんだ、輝いた、くすんだ、深い、淡い、きつい、やわらかい、 暗い、明るい、見たことのないような色かもしれない。 見慣れた自分でさえ捕らえ方、見方によって別人のように感じるかもしれない。
そんなんで自分の主観は非常に不安定なもので 一つの色であり続けるのは難しいなあと思うわけだ。 でも人ってのは基本的仲良くするのが好きだと思っている。 皆色んな色を持っているが、自分がそれなりに満たされていれば、 喧嘩をしたいと思う人間はあんま以内と思う。
前置きが長くなってしまったがここからが本題 でも悪は存在する。 僕らの慈悲が悪を生んでいるのかもしれない。 もし無慈悲な世界なら心の悪の力も押し込まれるだろう、 アメリカで駐車違反がないのは10分だか5分停めただけでレッカーされるからだ という話もあるし。 些細な悪すら許さない無慈悲な世界なら悪ってのはなくなるのかもし知れない。 だがここには慈悲があって、人は自由なんだと思う。 それゆえ人は自分を見失う。 自由は広すぎるし、慈悲は無干渉すぎる。 自分の色を自分だけで探さないといけないのだ。 これは慈悲、無慈悲? 人は1人だけは生きてはいけないが自分はオリジナルであり続けないといけない。 意味がわからんがそんな気がするんだ。 わかっている事は、色は混ざり合い、色は変化して、染まっていくという事。 見たことのない色は想像もできないということ。 しかし僕は僕のような人間にあったことはなく。 自分と他人しか人間の種類はないって事。
I don't know what to be.I know special persons but I amn't their.
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