ハニワ在ル...はにわーる

 

 

さよなら - 2002年04月30日(火)

この日記、実は結構遡って書き直したり書き足したりしている。
28日の日記はいつ完成するやら…


今日は仕事中いきなりスピッツの『楓』のサビが頭を駆け巡った。

さよならを歌った歌は探さなくてもいいほど溢れてるけど、
こんなにそのまませつない歌はないよなぁと思う。

オフコースのさよならはどこか潔く、ゆずのさよならはつとめて明るく…
みんなさよならの向こう側がちゃんと見えている。

でも、ただひたすらにせつないスピッツのさよならに涙するのはきっと、
下手くそなさよならのもどかしさがココロにひっかかるからだ。

さよならを繰り返し人は大人になる…なんてどっかのおっさんも歌ってるけど、
そうやって人はだんだん、さよならから立ち直る方法や時間を身に付けていく。

だからさよならの歌の多くは、さよならの向こう側を示すことで
前向きなバランスを保っているのかも。

あるいは『楓』もそうかもしれないけれど、
君の声を抱いて歩いていく僕は、どこまで届くか先も見えていなくて…
まるで、はじめてのさよならになす術もなく呆然と立ち尽くすような、果てしない悲しみがワタシには感じられるのだ。

これって、少年性の追体験でカタルシスを浄化してることになるのかなぁ…
歳取ったってこと!?



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