KENの日記
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2016年10月24日(月) 遍路四日目:第58番仙遊寺まで

シーパマコトの朝食は7時からだというので、前日に「お握り」作ってもらったお握りで朝食を早く済ませて6時30分に宿を出発しました。まず昨日「先歩き」したJR伊予浅海まで列車で移動してそこから歩き始めました。松山市の第53番円明寺と次の今治市第54番延命寺までの距離は34.4Kmあります。JR伊予浅海駅は円明寺から15Kmあるので、今日は19Km程まず歩いて、今治市内の札所を第54円明寺から第58番仙遊寺まで打つ予定です。

JR伊予浅海からの遍路道は長閑な海岸に沿っていきます。JR予讃線と遍路道となっている国道196号線が海岸沿いを並行して走っています。浅海から4Km程進むと沿線に「製瓦工場」が目立ってきました。この辺りは「菊間」という地区で「菊間瓦」として750年の歴史を有する製瓦が盛んな場所だということです。そういう事情でならば、第52番太山寺本堂の瓦が立派だったことや、沿線の住宅の瓦に多くの装飾がなされていることに納得しました。

次に目に飛び込んできた風景は「太陽石油」の製油所です。遍路道は時々国道から離れますが、そうした古い遍路道を歩いていくと突然「太陽石油」工場が見えてきます。結局遍路は「太陽石油」正面入口にぶつかり、そこを右折して国道に吸収されていきました。

更に国道を進むと今治市の「新来島ドック」の造船所が見えてきます。ドックの船が見渡せる「星の浦海浜公園」で休憩しました。休憩場所で休んでいたおじさん二人と世間話をしました。私が「長崎」から来たというと「造船」の話になり「今治造船」が日本一だと教えてくれました。「今治造船」「来島ドック」を抱える今治は日本最大の造船業集積地なのです。瀬戸内海は自然が豊かな一方で産業立地においても優れているのです。

遍路道が町を通り抜けて再び内陸部に入っていくと「新来島ドック」は見えなくなります。JR予讃線はそのまま北上して少し迂回して今治市に向かいますが、遍路道となっている国道196号線は内陸をショートカットして今治に入っていきます。そして国道196号線からも分かれ緩やかな山道に入っていくと第54番延命寺がありました。

延命寺は山にひっそりと佇む静かなお寺さんという感じでした。延命寺休憩所で水をボトルに詰めさせていただきましたがここの水道水は大変美味しいものでした。四国の産地には美味しい湧き水が多くありますし、そうした湧き水を引き込んでいる上水道の水も大変美味しいです。

延命寺を過ぎると遍路道は「しまなみ海道」の高速道路のガードを潜って広大な「大谷霊園」に入っていきます。大谷霊園はいくつかの峰・谷が全て墓地となっており今治中の墓地を全て集めたのではないかと思わせる墓地です。大谷霊園は市営で「宗教不問」の墓地です。永代使用料も明瞭かつ安価なのでこういう墓地があるのは羨ましいと思いました。

大谷霊園を抜けると今治市の市街地に入っていきますが、このあたりから高台に「城」が見えてきます。天守閣もある結構立派なお城です。しかしよく見ると「お城」のように見えるのはマンションです。お城好きの家主さんが「お城を模した」マンションを作ったのでそうです。本当の「今治城」そこから北東いきJR予讃線の向こう側にあります。

今治市街地は非常に整然とした街並みです。第55番南光坊はJR予讃線を過ぎた今治駅の東側にありました。88カ所の札所ではこういう都会に立地する寺は非常に珍しいです。南光坊を打ち終えると遍路道は再び予讃線を渡って今治市の西の広陵地帯に入っていきます。遍路道は「今治西高等学校」の正門を通過していきます。野球の伝統校だけあって非常に立派な野球場があります。長野県の高校とは大分違います。

第56番泰山寺は高台にある近代的なお寺でした。泰山寺を打ち終えると遍路道は直線的に「蒼社川」に向かいます。この「蒼社川」には渇水期に川の中を歩いた遍路道があるというのですが、草が茂っていて分からないし川は細くても水嵩があるので渡ることはできそうにもありませんでした。結局堤防の上の遍路道を通りました。この堤防道の直前には歩き遍路休憩所と四国遍路無縁仏墓がありました。昔は橋など無いので水嵩が増した川は渡ることができず何日か待たされた遍路にとっては難所であったのだろうと想像されます。

蒼社川を渡って山道に入っていくと山裾に第57番栄福寺がありました。非常にこじんまりした寺です。この寺のご住職はサラリーマン経験者だそうで「僕は坊さん」という本を書いています。それを原作として2015年に映画が製作されました。イラストや写真の得意な住職さんのようです。

栄福寺を過ぎると遍路道はどんどん山を登っていきます。遍路道マークを見落とさないように慎重に歩いたのですが、ここで遍路道マークを見失ってしまいました。道沿いの畑で作業している地元の人に第58番仙遊寺への道を聞くと車道を教えてくれたので歩き遍路道を諦めて車道を歩くこととにしました。同じ人に仙遊寺の場所を聞くと遥か山の頂上にある建物を指さしたのでした。

今日の最後に大変な苦難が待っていました。仙遊寺のある山の頂上までは車道が続いていますが、車道のくねくねをショートカットするように直線的に登っていく歩き遍路道が待ち構えていました。この急坂の遍路道を休み休み登って漸く仙遊寺に到着しました。この日の宿は「仙遊寺宿坊」。この急坂を降りるのは明日になります。

仙遊寺では「愛知の佐藤」さんと再会しました。そのほかオランダから来ている「バス」さんが夕食の時に私の向かいに座りました。「バス」さんはサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼でオランダからサンチアゴまで3000Km歩いた経験があり、今回四国遍路に挑戦中なのです。バスさんは「腰の痛み」を抱えての遍路です。「愛知の佐藤」さんを中心にバスさんのペースにあった遍路宿を探してあげました。

仙遊寺の夕食では「愛知の佐藤」さんを中心に翌々日の「第60番横峰寺登山」の道順、宿の取り方の話に花が咲きました。私は「湯の里温泉しこくや」に宿をとって遍路地図に示されている東側の川沿いの遍路道を歩こうと考えていたのですが、夕食でご一緒した何人かの遍路はそれより西側の遍路道に進んで、61番園寺、62番宝寿寺、63番吉祥寺を先に回って「伊予小松」に宿を取り、翌日荷物を宿に預けて「第60横峯寺」を軽装で往復するという方法を考えていました。

三坂峠を降りてからずっと平地の遍路道を歩いてきたのですが、この「第60番横峯寺」で久しぶりの「遍路ころがし」が待ち受けています。遍路初挑戦の遍路にとっては十分に研究して、できるだけ無難に歩きたいというのが本音です。

仙遊寺は山の上にあるために今治市の夜景は見事なものでした。また遠くに「島なみ海道」の橋が見えます。そして遠くに見えるのが広島市なのだと寺の方が教えてくれました。高い山に登った甲斐がありました。
 
○シーバマコト(6:30)→ 伊予北条発7:13分JR
○伊予浅海→第54番延命寺(19km)(12:00)
○第55番南光坊(3.4km)
○第56番泰山寺(3.0km)
○第57番栄福寺(3.1km)
○第58番仙遊寺(4.0km)→仙遊寺宿坊
総行程32.5Km 宿:仙遊寺宿坊 歩数:52,473歩




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