流れる水の中に...雨音

 

 

IDENTITY - 2002年04月17日(水)



あなたがたは 相手に対して何処まで
その相手のidentityを求めるだろう。

人は一様ではなく 
幾重にも折り重なる襞のようなものだと
以前ここにも書いた覚えがある。

まさにその通りで
ときおり、自分自身でないキャラクターを
まったく別人の前で演じてしまったりすることが
あるということを否定できる人は少ないだろうと思う。

Aさんは私に対してAであって
しかし彼に対してはBというキャラクターを示しており
また、全く別の第三者に対してはcというキャラクターとして
認識されているとする。

さて 本題。
実生活においてAさんはAというidentityを持っているわけであるが
私はAさんが「彼」と接しているときにもAというidentityを
またAさんが「第三者」と接しているときにもAというidentityを
要求することはいけないことなのだろうか。

ややこしい。

ぶっちゃけ。
私に対して真面目で誠実なAさんが
「彼」に対しては卑怯でずるい人間で
「第三者」に対してはお調子者でノリの軽いという
三者三様を示すAさんのidentityを非難すべきでは無いかどうか。
そういうことだ。


私としては
人生の各々の地点は決して舞台では無いのだから
取っ換え引っ換え仮面を被るのではなくて
AさんはAさんであって欲しい。


ただ そう望むだけであるのに。








...




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