hyuニッキ

2002年07月13日(土) 4年前の今日

祖母が亡くなりました。命日です。


その日。
蒸し暑い中いつものようにワシと母と姉はお茶をしておりました。
ソコにかかって来た一本の電話。
祖母と同じマンションに住む、祖母の友人でした。

「○○さん、見かけへんねんけど、そっち行ってるんかしら?」

ウチと祖母宅は車で約20分程度。
月に数度ウチの家に泊まりにきてました。

母「いえ。ウチにはきてないけど・・」

祖母の友人「いやぁ・・昨日から見かけてへんねん。ちょっと心配やから見に行ってくるわ。」

祖母はその人に、家の鍵を預けてました。自分に何かあった時のためにと。

ひどく胸騒ぎがした。
重苦しさを振り払おうとするかのように話を続ける母とワシ達。
そして

「あ、もしもしっ!!おかーちゃん(祖母のこと)亡くなってはるわ・・・!!!」

受話器に耳を当てていなくても、そう言ったのが聞こえた気がした。
驚いて声を上げる母。
唇と手が震えていた。


それから、すぐに父に連絡をして、ワシと姉は家の裏のもう一方の祖父母宅へ知らせに行った。

「おばーちゃん、亡くなってるみたいやねん・・・」

言った姉が溜まらず涙を零したのを見て、ワシはとりあえず冷静に状況説明をし――母は独りで祖母宅へと向かった。

飲みかけのアイスコーヒーをそのまま残して。


ソレからのことはあまり覚えてないけど。
死因は狭心症による心臓停止。死後、少し経ってしまっていたらしい。
――「独居老人」にしては発見が早かったと誰かが言った。

丁度、もぅ寝るところだったんだろう。
風呂に入って、寝間着に着替えて、入れ歯を外して、歯を磨いて・・・布団に入ろうとしてたところだったんだろう。

明日のご飯の用意もして。

全てが、そのままだったと

後になって祖母がニトログリセリンを服用していたことを思い出した母は、だがソレに関する説明を何も受けていないと祖母が言っていたと話した。
ニトロは心臓に関する薬で本当はちゃんとした説明がされていなければならなかったということも。

強い憤りを覚えたけど祖母は逝ってしまった。

足腰を悪くしても、一人娘である母に迷惑をかけまいと一人暮らしをしていた祖母にはたくさんの友人がいた。

葬式では、たくさんの人が涙を流してくれた。本当にたくさんの人に慕われた人だった。
――ワシは泣けなかった。
――「死後少し経ってしまっていたから」祖母の死に顔を見ることは出来なかった。


祖母の死後、母から色んな話を聞いた。
薄々感じてはいたけど、祖母は未婚の母だった。
あんな時代だから、そんなのよくあることだと。家族のことや、親類のこと。たくさん苦しいことがあったと。
つまらないドラマなんかよりよっぽど波乱に満ちた人生を送って、やっと穏やかな時を得たと。

ワシの知る祖母はそんな辛い(と一言で言ってはいけないような)過去を背負ってはいたけれどとても明るく笑う人だった。同時に、強い人だった。

ワシは祖母が好きだった。尊敬もしていた。


祖母はいつも、季節になると出始めの食材(果物)をもって来てくれた。
「初物を食べると長生きできるんやで」といいながら。
まだ高い時期にイチゴや葡萄や梨やメロン。マツタケ。
それから梅田の阪急に行ったときには必ず母と弟の好きな明太子。

おいしくソレを食べるワシたちの姿を祖母はいつも嬉しそうに見ていた。

月に数度、娘(母)と孫(ワシたち)に会うのをとても楽しみにしていたと。

阪神大震災の時、目の上に怪我をした祖母は(家の被害も多少あったため)数週間ウチに泊まっていたことがあった。震災。大変なことだったけど、ウチにいた祖母は幸せそうだった。

会うたびにワシ達キョウダイ3人に\500おこずかいをくれていた。
近所のスーパーで清掃のパートをして稼いだ少ないお金の中から。

「あんたらにこずかいやるのが楽しみやねん。でもいつかあんたらが大きぃなって稼ぐようになったら、ばーちゃんにこずかいちょうだいな」

そう言いながらがま口から3枚の五百円玉を取り出して、嬉しそうに一人ずつの名前を呼んで。


だから・・・葬式での出棺の際、棺を担ぐ人手を求められた時ワシと姉(そしておそらく弟も)はすぐに駆け寄った。だが


「女はダメだ」


見も知らない親戚のじじぃが偉そうに言った。
腹が立って仕方がなかった。
ワシたちの手でばーちゃんの棺を担ぎたかった。

でも、その時は引き下がるしかなかった。
今でも思い出す度悔しくなる。

今なら、あるいはもう少し強く言い張れるかもしれないと。
あの時とさして変わってはいない自分だけど、少なくとも「小さいからダメ」と言われた弟は今では父より力強いから。


祖母が亡くなった翌月のこずかい日、母がいつもより\500多くくれた。

「おばーちゃんの財布にね、入ってたんよ。五百円玉3枚。あんたらにやるつもりやったんやろうなぁと思ってな」

言った母は寂しそうな表情を浮かべた。
ワシは涙を堪えるのに必死だった。
どうして、泣くことを我慢したのかわからない。
でも多分それはワシが、ばーちゃん似の負けず嫌いだから。意地っ張りだから。


祖母のことを思うと本当にたくさんの記憶が蘇ってくる。
――バイトで初給料をもらった時。何もして上げられなかった自分が悔しくなった。
モノだけでなく、本当にたくさんのことを与えてくれた人だった。

今なんだか無性に祖母に会いたい。

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今、こうやって日記に祖母の事を書いていて、涙が出てきたデス。
4年間で、ばーちゃんを思い出すことはあったけど、ここまで涙が出てきたのは初めてかもデス(^^ゞ

誰かがいなくなれば、始めは寂しくてもやがてそれが普通なっていくんですヨネ。
いないことに慣れてしまうんデスネ。
でも忘れるわけじゃないから。

こうやって涙が出るのかなぁって。
あぁ〜ヤバイ鼻水がっっ(汗)(←ホントは泣き虫だったりする)

えと、長々と書いてしまったモノ、読んで下さってドウモデス//
この日記を書きながらなんだか感慨深い一時を・・・(苦笑)

かなり文章乱れてますが(汗)
誤字脱字お知らせ頂けると嬉しいっすv


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