今朝の新聞で、こんな記事を読みました。 死刑が確実視されている受刑者が、 「被害者の人に、万分の一でもおわびできれば」 という思いをこめ、償いの意味で 骨髄バンクへのドナー登録しようと、 刑の一時執行停止申請をしたものが 認められなかったとか。 刑の一時執行停止申請が必要だったのは、 ドナー希望者本人が医療機関に出向く必要があるため、 一時的とはいえ、「自由の身」になるためです。
認められなかった理由は、 骨髄バンクに登録する高い必要性がないなどですが、 ドナー登録する以上、 誰かのために役立ちたいという気持ちがあるわけだし、 受け取るレシピエントの側にしてみれば、 たとえその人が受刑者であったとしても、 なかなか適合しないという骨髄ですから、 その人のものしか受け付けない人も存在する以上、 高い必要性がないと言い切るのは、 非常に傲慢だと思いました。 想像されるさまざまなトラブルを考えたとき、 慎重に扱わざるを得ないのは辛うじてわかるとしても、 この場合、「やってみなくちゃわかんないよ〜」と 忍ペンまん丸のように叫びたい気がします。 想像されることとして、 「償いの気持ちがあるならドナー登録しろ」 みたいなエゲツないプレッシャーを、 他の受刑者たちにかけかねないというのもありました。 ここまで行くと、言うに事欠いてまあ…と、 呆れてしまいます。
これを一読して、言いたいこと、書きたいことが ふつふつと沸き上がってきた…気がしたのですが、 どうもまとまりません。 このドナー登録希望の受刑者には、 己の欲望のために?強盗殺人を犯す人間性と、 それを何とか償おうとする人間性が同居していました。 そして、それは全く珍しいことでも、 矛盾したことでもないのですね。
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