柳美里さん敗訴確定、最高裁が出版差し止め認める
私は柳美里さんのファンではありません。 「週刊朝日」の連載エッセーを読んだだけで、 何となく、私のような人間は拒否されている気がして、 避けて通ってきました。 つまり、「住む世界の違う人」という認識でした。
そこへもってきて、今度の訴訟騒ぎですが、 「ファンでないから」というわけではなくて、 原告側の言い分が通ったことについては、 それはそれで「よかったね」と素直に思います。 (本当の裏の事情とかは、本人たちにしかわからないけどね) 柳さん側の「表現の自由」云々を聞くたびに、 いつも頭に浮かぶ言葉といえば、 「それしか言えないなら、黙ってれば?」でした。 問題になった小説を読んでもいませんし、 今後も読む機会はないと思いますが、 「裁判で争っている人間の典型」になっている柳さんが、 とても美しくは見えません。 モデルと特定できる張本人が、 一言の相談もなく(と言われているけれど?)書かれたことについて 不服を申し立てることは、やっぱり真っ当な権利だと思います。 この種のことを、表現の自由という次元で語るのは 非常におかしな話だと思うのですが…
それから、今朝の新聞の社説を読んでいたら、 この件で大江健三郎さんのコメントが載っていたのですが、 文学者・表現者というよりも、 今度の柳さんのモデルになった女性の例にかんがみ、 障碍を持つ子供の親としてコメントを求められているのが見え見えで、 ちょっと不愉快な気分になりました。 この人だって、いわば「息子のプライバシー」を 切り売りしているようなところがあるのにねえ。
ところで、私もこうして、 営利目的でないにせよ、ウェブ日記をつけている中で、 相方のことや娘のことをちょこちょこ公にしていますが、 例えばその辺歩いているだけで 「あんたんち、今風呂ないんでしょ」 (当日記2002年9月17日・18日分参照) などと声をかけられる可能性はほとんどないと思うのですが、 それでも、彼らを貶めたり辱めたりするようなことは 書かないようには心がけております。 長女に至っては、 「最近、育児日記に(私たちのこと)書かないね…」などと サビシゲに言う始末です。 書かれること、書かれないこと、その2つが 名誉になったり不名誉になったりスイッチし合っているのが ペン(キーボードだけど)持つ力の発露というものでしょう。
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