2003年05月10日(土) |
朝の15分読書 カレル・チャペック |
紅茶(ティーバッグだけど)をいれ、チョコレートをつまみながら、 カレル・チャペックのエッセー集『チェコスロヴァキアめぐり』の終章 「あいさつ」を読みました。 1938年に書かれたという、いわゆる彼の絶筆ですが、 (彼はこの年のクリスマス、 肺炎が悪化して48歳の若さで亡くなったそうです) ナチス台頭の暗い世相の中で書かれたというこれは、 直接的な表現は1つもないものの、 平和ってなんだろうと深く考えさせるような 何とも言えないアフォリズムに満ちていました。 (こういう言葉を使って↑みたかったの〜 という動機だけで使った私はただのアフォですが)
平和というと思い出すのが、 映画『ソフィーの選択』のワンシーンです。 1947年、強制収容所からアメリカに逃げ延びた 主人公ソフィー(メリル・ストリープ)は、 ニューヨークだったかの図書館で、 エミリー・ディキンソン(1838−1860)の詩を探しますが、 職員に「ディケンズの間違いでは?」と言われてしまいます。 ディキンソンは、死後やっと有名になった人ですし、 この職員の無教養を嘲笑うことはできません。
が、21世紀になってみると、相変わらず世界中のあちこちで 「大がかりな小競り合い」が絶えないけれど、 日本のトーホグの田舎に住むおばちゃん(ことし35)でさえ、 ディキンソンの翻訳版を、司書の手を煩わせることなく、 自力で探すことができます。 (このおばちゃんの住む町には図書館が4つあり、 そのすべてに一応、検索システムの機械もありますが、 とっても頭が悪いので、 おばちゃんは自分のことを棚に上げ、使うたんびにキレかかっています)
このおばちゃんは、お金も教養もありませんが、 とりあえず毎日ごはんを食べていて、 ゲシュタポに引っぱられる心配をしたこともありません。 その上、図書館の休館日は中央館が月曜日、 3つの地域館が金曜日なので、 全部が休みになる月末や祝日、年末年始を除けば、 どっかしらの検索システムに対し、 「使えねーヤローだなー」と悪態をつくことができます。 これを平和と言わずして、何というでしょう。 ナニゲないことが幸せだとか、好きな人に伝えるべきことだとか、 そういうような趣旨のことは、 虎舞竜氏も槇原敬之氏も歌っています。
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