『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年05月21日(火) 雨の日の子守唄−1 「世界でたったひとつのかけら」

「小さな雨の日のクワームィ」

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 小さく泣いた、大きな空がないていた
 芽吹いたゴーヤ、遠い潮に祈りながら海を知らない雨食べた

 天までのびてたくさんの実をつけたなら島に届くね
 だけどそこは寒いと言って、夢を見ながらほんの少しだけ
 泣いた

 (こっこ「小さな雨の日のクワームィ」) 



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「ななつの子」



ちいさかったころ。
赤いランドセルさえも
まだ、背中からはみださせてかたかたと揺らしながら
いわれるままにぐずぐずと小学校に通っていたような
そんな、ころ。

道端でいろいろなものを拾った。

つぶれた空き缶。
ガラスの破片。
ピンクのチューリップのかたちの名札。
うすい縞の入った小石。
なんでもないアスファルトのかけら。

誰もが履くように、スニーカーを履いていた。
そして誰もがやるように、その靴の先で道ばたにころがった石を蹴飛ばした。
ただ、たぶんほかの人と少しだけ違っていたことは、
小さいながらのひとつの罪悪感に攻められながら、あたしがいつまでも
その石を、蹴り続けようとしたこと。

生まれ育った場所から、あたしはこの石を引き離した。
遊び半分の気まぐれで、慣れ親しんだ「そこ」から引き離した、
だから

せめて、「あたし」が住んでいる、
「あたし」の親しんでいるものがたくさん住んでいる
あの庭の一員になれるように。
何も知らないものばかりがある、「余所の場所」に放り出して
誰からも出迎えられない「余所者」になって
さみしい思いをさせないように。


たった5分かそこらの帰り道のなか、
からからころころと
転がっていく石を追いかけてじぐざぐに歩いた。
偶然に足に触れたそのかけらはその瞬間から、
どれにも取り替えられない、世界でたったひとつのかけらだった。
ひとりぼっちのあたしの帰り道を共に進んでいく
ちいさなちいさな相棒だった。

そして帰り道の途中、もしも
そのかけらを見失ってしまったら
下水道のふたの隙間に落としてしまったら
勢いあまって、どこかに蹴り飛ばしてしまったら
人のうちの敷地の中に飛び込ませて取り戻すことができなかったら


あたしと一緒にこんな遠くまできてくれた
そのちいさな「かけら」を
知らない場所に置き去りにしてしまったら
そんな大きな「失敗」を、もしもしてしまったら、そのときは


いくら小さくてもこの足は、たしかに身勝手な暴君なのだと思って
心のなかでそっと泣いた。


くりかえしあたしは失敗をして
くりかえし小石を見失い
くりかえし花をしおれさせ
小さな相棒たちのを道端に落としながら大きくなる
あたしの体。
残骸を見つけ出すことができないまま生長してゆく
あたしの背中。


そうして
ひとりぼっちのものをこれ以上なにひとつ作りたくないと思ったその日から、あたしは


のびてゆく草の葉をむしれなくなった。
花かんむりを編むことができなくなった。
原っぱの中を駆けまわれなくなった。
石蹴りさえも
できなくなった。



ひとりぼっちでさみしいことを誰もしらなくてすめばいい、
ちいさな手で、それと知らずに、でもたしかに、


あたしは、どこにいるとも知れないかみさまに、祈っていたような気がする。




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2002年5月27日(月)、追記  まなほ


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