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■ 街に出よ、書を買おう
スーツで街に出る。 「ああ、忙しいんだな。」 「まだこなれていないな、学生さんかな。」
ジーンズで街に出る。 「休みかな。」 「バイトくんかな。学生かな。」
広島ではすべての行動に言い訳が必要だ。 良く言えば「おや、どちらまで」「ちょっと、そこまで」の、言葉の意味とは関係ない挨拶だけれど、俺などは普通そうは感じない、ただ不愉快になるだけだ。関係ねえだろ。と。
東京では言い訳はいらない。不審者にならないように気をつければいいだけだ。誰も俺なんかに興味を持ってくれないのを、気楽と感じるか、どうか。
(よその国へ行くと、何して暮らしてんだか、暇そうな怪しい人たちばっかりで、嬉しくなる。)
帰りに、内田百�痢愨撹患官狄鑄�』を買う。 「読みやすい新字新かなづかいで復活!」。これが宣伝文句だと思ってる新潮文庫。 ユーモアとはこの人のことだ。と思う。 それにしても、いいなあ。こういう笑い。この人の日本語。
まだ途中だが、前半では「立腹帖」がお気に入り。なんともいえない、ニヤニヤしちゃういい感じ。「続立腹帖」は全体が「立腹帖」のオチみたいで、すごいなあと思う。
よく同じように取り上げられるが、永井荷風の風流人ぶりは俺の趣味じゃない。ありゃ俗物じゃないか、君、と声を張り上げたいのである。 張り上げてみよう。けれども百鬼園先生はにやにやするばかりで何も言わない。
ふと思ったが、こういう門人を持てたというところに、じつは漱石の漱石たる所以があったのかもしれない。 せっかくロンドンに留学したのに、難しそうな顔をしていらいら、いらいら、部屋に閉じこもってばかりいたというのはずいぶん百�里佞Δ文�景じゃないかと思うんだが。
2003年06月17日(火)
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