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2002年11月06日(水) ■ |
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自己主張を自己陶酔と履き違えるな |
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表現(expression)とは何か? 思想や感情を何かに込めて具体化、具現化するということ。 とりあえず簡単に説明するならこんなところか。 表現とは「主観的な方法」だ。 客観的方法と相反する。 内面的・主観的なものを、外面的・感性的に 捉えられる手段・形式によって伝達しようとするのが、 表現であるから、厳密に客観はできない。
つまりは表現とは「主体的」=主観的な手段であると言える。
古来からその表現の手段となったのは言語、文字だ。 しかし現代テクノロジーが発達した21世紀、 オレたちは視聴覚様々に表現を受け入れることができる。 オレはその恩恵を受けインターネットと言う方法にて、 ホームページを作り自己表現を試みた。
しかし自己表現をナルシシズムそのものだと揶揄する輩がいる。 オレはそのナンセンスな指摘に辟易した。 別にナルシシズムを否定するつもりはさらさらないが、 ナルシシズムと言う印象だけで真を得ないその指摘に がっかりした。
就職活動を通して気づいたことがある。 「自己主張=自己表現」の重要さである。 内定をもらうことのできない友人が言う。 「たった1枚の紙、たった5分の面接でオレの何が分かるんだ!!」
”主体性を持って生きろ” この言葉を就職を目前にして、 多くの機会を持って目にしたり耳にした。 社会を乗り切る合い言葉だ。 要するに言いかえればこれは、 自己表現、自己主張をして生きろと言うことだろう。 たった1枚でも、たった5分でも、 主体性のある自己表現ができなければ、 一人の逸材として認めてもらえない。 就職試験も社会の場でも共通する点だ。 厳しいことを言えばできるやつはいくらでもいる。 どんなに素晴らしい人間でも 自己表現のできない主体性がない奴は伸びない。
話を戻すと、 オレのホームページは、 数多き中に埋もれてしまった写真の作品を 発掘して載せようと言うところから発展して 今では自己表現の場になっている。 (一方的垂れ流しぎみで恐縮だが・・・)
「生絞りを友達にすすめよう!!」は 某社のコマーシャルであるが、 オレは自己表現をみんなにすすめたい。 その積み重ねは大きな糧となって 返ってくるだろうと思う。
自己表現は認めるけどでもナルシストだと。 勝手に言えば言い。 言うが易し行うは難し。 ぐたぐた言う暇があったら行動しろよ。 言葉で人を隠してしまうのは簡単だ。 必死で手繰り寄せなっければならないのは、 「本質」の答えだ。
ホームページを見てくれている人がいると、 励ましを受けた。 なかなか更新しない「温感」に 愛読者がまだいるとは素直にうれしい。 はりきって更新を試みたい。
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