今月、と言うよりも先月は憂さ晴らしのようにチケットを買い捲っていたので、今月の予定はギッシリ。その中でも、何をまかり間違ったか水曜日開催の“Aco”のライブチケットを買ってしまったのは大失敗。 タダでさえ毎晩終電で帰宅しているのに7時からのライブに間に合うのなんか無理!あまつさえリキッドの立ち見なんて何の保障も無い(赤坂BLITZやSHIBUYA-AXなら2階席なら遅れても安心)。結局、時間的には90分程で終わってしまったので、帰りに『ドッペルゲンガー』なんか観ちゃいました。
『ACO irony tour』:開演ギリギリに行ったら、リキッドの狭い箱の入り口付近まで客が溢れて全然前へ進めない。中に入れば熱気で蒸し暑いし、タダでさえ実験音楽的な打ち込みシンセの不安定な音がリキッドの(いい意味で)悪質な音響のおかげで無軌道に歪む!まあ、出したアルバムがそんな音だったんで客も心得ているからいいものの、予備知識無しで彼女とか連れてきたら関係悪化しそうなほど神経逆撫で紙一重。 それにステージは音以外のコミュニケーションは全く取ろうとしないので、どんどん先へ進む音は仕事帰りにはちっとキツイ、さらに立ちっぱが体に堪え、人込の多さにウンザリ!幸か不幸かわずか90分・アンコール無し(即効照明がついたので直ぐに出てきたので不確か)でライブが終了したので酷く疲れることは免れた。かなり、肩透かしで辟易してしまったので、もういいかなって気分です。 『ドッペルゲンガー』・nifty:これまで、特に『カリスマ』や『回路』などで他者や社会と私個人の関係性・位置バランスを捉えてきた感じのある黒沢作品だが、今回は自分と言う個人(これまでの作品でされてきた個人の規定)と自己(より内面的な自分と言う一固体の思考や概念が規定している自己)の対面、または対決→融合・認識みたいな方向性で作品が組まれている(と、私は思った)。 これって、本人しか分かり得ない事を映像にしているんで自ずと分けわかんない哲学的で偏執的な流れになりそうなんだけど、それを敢えてもう一人の自分と言う形で外に出したことで、自問自答で悶々としそうな所を、自分対自分の問答→掛け合い漫談→コミカルな流れに仕上がっている。ともすると、宗教や医者など、他者に導いてもらう安易な自分開放を、自分の事は自分しか分からないんだから自分で解決するのが道理と言っている。(と思う。)
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