訃報 |
父方の祖母の訃報が入ったのは午後7時。 「あなたは子ども達のこともあるし、遠いし来なくてもいいわ」
母や叔母たちが電話でそう言ったけれど 急いで支度して博多駅へ 8時5分の新幹線で大阪に向かいました。 もう高齢で具合が悪いって聞いていたので 次の日に日帰りでお見舞いに行こうと思っていた矢先の訃報でした。
私の父の家庭は複雑で 祖母と私は血がつながっていないの。
祖母は北海道と大阪を行ったり来たりしながら 自分の実の娘(二人の叔母たち)と暮らしていたし あんまり会うことはなかったけれど 私が小さな時に手をつないで歩いたこと 祖母の実家に遊びに連れて行ってもらったこと 両親から聞いていたことが、おぼろげに思い出されました。
ここ最近は、お盆やお正月に おばあちゃんの好きそうなものを私が送って おばあちゃんからは、ひ孫にあたる私の子どもたちにお年玉が届いたり そんなお付き合いになっていました。 祖母の面倒をずっと見ていた叔母が教えてくれたのだけれど たくさんいる孫やひ孫の中で そうやってお年玉を送ってくれていたのは 血のつながりのない私のところだけだったそうで 祖母はどんな気持ちで送ってくれていたのだろう。
祖母は最期の時を 叔父(父のすぐ下の弟で祖母の実の息子)の家で迎えました。 老衰・・・95歳でした。 手厚い看護を受けながら 病院じゃなくって、叔父の家のベッドの上で。 最期の4日間は、6人の子ども(私の父や叔父叔母たち)全員と 往診の先生に看取られながら静かに逝ったそうです。 亡くなった後に清めるのも 看護師をしているお嫁さん(一番下の叔父のお嫁さん) が、看護師の卵の娘さんと丁寧に丁寧にして下さったそう。 ベッドに横たわるおばあちゃんは 幸せな夢を見ながら眠っているようで 微笑んでいるようで 満ち足りた思いで旅立ったことが伝わってきました。
おばあちゃん、いつの日か天国で会えたら 子どもの頃できなかった話をたくさんしようね。
2004年01月17日(土) |
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