自分が認知症とそう変わらない状態だと言うこと。

 最近、日常の大切さを痛切に感じています。進歩のない、ではなく、変わらない日々の営み。朝起きて、身支度をして、食事とかお風呂とか…。生活の基礎(基盤?)で、安定の余地みたいなもの。

 悲しいかな、それは私に欠落している要素。なぜこんなものが欠けているのか、考えはじめたらドツボにはまりそうです。

 認知症は誰にでも起こり得る事故みたいなもの、もしくは段階だと思っています。どんな理由で、どんな種類の、そしてどう言う状態に陥るかは人それぞれでしょうね。

 ところで“忘れる”とはどう言うことなのか?正確に把握している人は少ないかも知れません。かく言う私もよくわかっていないと思います。

 日常で穏やかな(明るい)資質を養っていれば、認知症に陥ってなお、安定した日々をすごせるんじゃないかと言うこと。そしてそれ(安定)は、認知症に陥った後でも養えるようだと言うこと。わからないなりに至った考えです。

 最近はむしろ、認知症に陥った後に安定を養う人が多いかもしれませんね。
2006年02月20日(月)

寝言日記 / 杏