刑法奇行
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1週間以上のご無沙汰である。IDもパスワードも忘れそうなくらいである。さらに、家のパソコンの調子が悪く、今はシグマリオン�兇能颪い討い襦� さて、今日は、択一日和である。いまだに受けている同期の友の顔が浮かぶ。しかし、その思い浮かぶ顔は、托鉢僧の顔ではない。満面に(高見)笑みリーなのである。何年も受けている人は不幸であると決めつけてはいけない。幸福か否かは、迷信犯をも不能犯ではなく未遂犯と解する純純主観説によるべきなのである。以前、こういう人は不幸だとか社会にとって損失だからなどと何らかの制限を設けようとしたが(理由は他にあるだろうが)、よけいなお世話である。その人の生き方を(他人に迷惑をかけない限り)、とやかくいう必要はないだろう。法科大学院によって、少なくとも一発勝負ではなくなるから、一生受け続けることはなくなるかもしれないが、受験資格の制限はやはりよくないだろう。 法科大学院のカリは難しい問題だが、どんな制度を作ろうとも、結局は人なのである。ダブルスクール排除といっても、大学の授業の意味を伝達できなかった我々の責任論が重要である。800人教室に20人じゃどうしようもない。絵に描いた餅である。その講義に出たいという欲求をどうしたら喚起できるかを真剣に考えるべきだろう。なりふり構わずである。 人を問題にすることはタブー化されている。問題にしてもしょうがないというか、みんな確信犯だから変えようがないのである。だから制度だけを変えようということになる。人を問題にすると不平等になり、これで多くの問題があったことは誰も知っている。しかし、もう少し人を問題にしていいように思うのだが・・・。 目隠しをしているユスティティアから、目を西川きよし並にパッチリ開けたユスティティアに変わってもいい場面がある。人格の陶冶を排斥しすぎてはいないか。 星飛雄馬と明日のジョーが1冊になって復刊連載である。これに感動してくれる若者が一人でもいればと思う。 拓郎の「人間なんて ららーらららららーら」を見よ。あのときの数え切れない多くの若者達の絶叫はどこへ行ったのか。この「人間」に、大学教員とか刑法学者とか司試受験生とかオーバードクターとか、各自具体的に挿入して叫ぼうではないか。字余りなところにつらい面があるが・・・。
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norio

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