母のタイムスリップ日記
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叔母にお別れするために仙台まで出かけ帰り道を故郷を回って叔母さんたちに面会してきた。 若い頃はなんともない距離だったが 今は遠いと感じる。 距離というよりも時間だ。
母のショートステイを使いながら…。
仙台の叔母の家にはいとこたちが全員集合していて久々に話してきた。 葬儀も済んだ後なので疲れているだろうと思って近くに宿を取って迷惑にならない時間に訪ねた。 娘も仙台出張の度に叔母の家によっていたので世話になったから別れに行きたいというので同行した。 娘の目から見て「立派なおばさんおじさんたちが子供のように話をしていて妙な感覚になったよ」ということらしい。
幾度も仙台に行っているはずが松島に行っていないというので夕がた松島まで出かけた。 夕暮れ時の松島海岸は静かな風景だった。 3年前の大津波の跡を感じながら…。ご冥福を祈りながら…。 駆け足で松島を走ったが娘にも私にも好い時間だったと思う。
今朝仙台を立って故郷へ。 いとこが迎えに出てくれて その足でおばさんたちのところを回って途中おいしいお蕎麦のお店に連れて行って貰った。 他のいとこにも声をかけてくれて集めてくれた。 それから私の弟のところまで車を飛ばしてくれて弟と会い その娘たちとも逢って…。 夕方故郷を後にした。
はだら雪の山々の間を走る電車。 車窓を見ているうちになんともいえぬ感覚に陥った。 雪はあるけれどやはりこれが故郷の春だったなと思う。
仙台も故郷も東京と変わらぬ景色となりつつあり 郷愁は心の中の景色かと思ったりもした。 それでも全国チェーンのお店が大型店でできたといって大騒ぎになっていることを思うとこれで便利を得ているのだろうから…と思ったり。
地方には地方の良さがいっぱいあったのに…消えて行くと一抹の寂しさを感じたりそれでよいのかと思ったり。 父の兄弟の仲では一番先に介護が始まった訳だが いとこたちにも介護が始まっておりそれぞれの暮らしの中で介護の形もそれぞれで…。 それなのに母はまもなく98歳にになり…。 時の流れを感じた。
そしていとこたちも自分たちの老後を考えて始めていて…。 結局のところお墓や葬儀のあり方までそれぞれが考え始めており…。 頭で思うほど自分の思う通りの今後になって行くとは限らない訳で。
自分と同じ分だけ時を刻んできたのだなぁと感じるところがいっぱいあった。
叔母がしきりに「外の話が聞けて嬉しかった」と笑顔を見せてくれた。 叔母の手帳にまた歌が刻まれることだろう。 おそらく叔母の家族にとって「また」の話なのかもしれないが…私には昔を紐解く話がいっぱい合った。 おばさんの輝く時代の話に「そうだったね」と同意できることがいっぱいあった。
施設に暮らしながら家の話はなく「ここが一番良い」と言っていた。 幸せを感じる場所も人によりそれぞれだと深く感じた。
いとこがさらっと言っていた。 「来月にはがんの治療にはいる。お前が今来たから案内できた。今で良かった」と。彼は数年前奥さんを見送っている。
おばさんが作ってくれた時間だった。 自分の立場からの気持ちだが…。 最後まで配慮のおばさんだなぁ。
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