短いのはお好き? DiaryINDEX|past|will
どうやらぼくには、記憶の欠落している箇所があるみたいで…。 みたいでというのは、ぼくにはそういった自覚がないからで…。 でも、まあ、そもそも自覚があったならば記憶があるという訳なのだろうから、記憶の欠落ということにはならないのかもしれないのだが…。 では、なぜまた記憶の欠落があることがわかったのかといえば、物品がどんどん増えているからなのだった。 物品といってもぼくの場合? は、本なのだけれど、とにかく、いわゆる、ひとつの、万引きしているという自覚がまったくないものだから、これはもうウハウハなのだった。 前から欲しくてたまらなかったのだけれど、高くて手が出せなかったハードカバーのやつとか、いとも簡単に手に入ってしまうのだからたまらない。 たとえば、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』、マイケル・オンダーチェの『ビリー・ザ・キッド全仕事』、アンドレイ・プラトーノフの『土台穴』、ジョン・バース『やぎ少年ジャイルズ』、トマス・ピンチョン『重力の虹』、ロバート・クーヴァー『ジェラルドのパーティ』、ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』、フリオ・コルサタル『石蹴り遊び』、ジョルジュ・ペレック『人生使用法』、ドナルド・バーセルミ『死父』、ハンター・S・トンプソン『ラスヴェガス★71』、クロード・シモン『アカシア』などなど…。 朝の出勤時にはお弁当箱しか入っていないブルガリのバッグも、帰宅するころには新品の書籍でパンパンに膨れかえっているのだった。 しかし、万引きしている自覚がないのは、記憶がそこだけ欠落しているためなのか、或いは記憶がないわけではなく、犯行に及んだ際には記憶しないというシステムを勝手に脳が導入したのか(敢えて分類するならば、これは記憶喪失ではないだろう。記憶の放棄か?)、また或いは記憶してはいたものの、右から左へとすぐさま忘れてしまう(つまりこれは、強度の健忘症か?)、或いは意図的に半ば強制的に忘却の彼方へと記憶を押しやってしまう、そんな風にも考えられるのだった。 まあ、そういった機構? は、ともかく倫理的? いや、人道的? な見地より述べるまでもなく、自分が自覚していないからといって、このような反社会的な卑劣な行為? を度重ねてよいものなのだろうか。 人として恥ずかしくないのか。 ていうか、いつかは必ず万引きの現行犯で捕まるのは必至なのであって、今まで何のお咎めもないのが不思議でならないくらいなのだ。 というわけで、ぼくの知らないもうひとりのぼくは、万引きのプロフェッショナルなのかもしれない。それも相当熟達した技術の持ち主であるプロ中のプロではないだろうか。 (一瞬、もし捕まるのなら痴漢の現行犯逮捕と、万引きの現行犯逮捕ではどっちがいいか? という究極の二択が脳裏を過ぎった) しかし、そんな長いあいだこんな不正が許されるはずもないのだ。いつか必ず神さまの大鉄槌が下る ぞ、とは思うのだけれど、生来のものぐさな性格が災いしてその時はその時、記憶の欠落がしばしば生じるということを主張すればなんとかなるだろう、くらいにしか思えないのだった。 だって、誰かが傷ついているわけじゃなし、なるようになれというのが本音のところかもしれない。 そして、きょうもぼくはバッグと、それだけでは足らずに二枚重ねにした高島屋の薔薇の花輪の紙袋を本でいっぱいにして家路につい(てい)たのだった。
|