物欲の砦:求めよさらば与えん、とケンチクカが言った? |
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2004年07月23日(金)
今日は鞄だとかPCだとか、そういう固い詰め物の話ではないので。いつもの検索用語で飛んできてくれた方には回れ右されそうだ(そんな奇特な方が大勢いるとも思えないが)。
とりあえず周囲で話題になるので買って持ってはいる本というやつのなかに「錯乱のニューヨーク」が混ざっている。ほとんど読んでいないので実際どういう内容なのかわからない。あまりにも引用されて擦り切れた姿しか見ていないのでめんどうで読んでいない。ただの横着。
機会があっていつごろ初版が出ているのかを調べていて、たまたま検索結果のなかに目次があった。気になる単語があったので、目次をちゃんと眺めてみた。
1978年というのがネット上から得た初版の出版年だ。これは日本語訳ではもちろんなくて、英語版だろう。若干の前後があるとしても1970年以前まで遡りはしないだろう。いや、1966年以前には書かれていないのではないか。
1966年は「山羊少年ジャイルズ」の出版年である。
さて、目次のなかで気になった単語は「神話」である。「山羊少年ジャイルズ」は神話のフレームを借りた物語のおそらくかなり初期のものである。同じジョン・バースの「キマイラ」は1972年の出版であり、より意図的にこの手法が用いられている。
目次から予測した「錯乱のニューヨーク」は、ニューヨークの生い立ちに伝説と神話のパターンを発見してやる内容である。それもたぶんギリシア神話や北欧神話(とっても粗雑な分類)の。
あくまでも目次以外、ほとんど読んでいないので全然違ってるだろうが。
ニューヨークに建築を欲する人(人々)はニューヨークに伝説と神話(よく知っているパターンに準じた伝説と神話)を欲しており、従来の建築は伝説と神話の代替物であった。ならば伝説と神話そのものの方が嗜好に叶うはずだからさあどうぞ、でもそのせいで実態と乖離してるじゃん、とでも書かれているのだろうか?
「キマイラ」の最終章、「ベレロフォン物語」はペルセウス神話のパターンを踏襲することで成功をつかもうとするベレロフォンの試みの失敗と錯乱した状況で終わる(んだったはず)。
「錯乱のニューヨーク」はメタ・神話でメタ・バース、という評論は全然どこにも見かけないので、やはり思い過ごしというか間違い?
読まないで本の内容を想像するお遊びということで。 あぁ、それで、答え。答えが今日のほしいもの。
20040927追記 後で検索したらベルギーの大学だか大学生だかが書いてるページに一群のメタ・フィクションの流れだとした分析(というか論評?)があった。トマス・ピンチョンとかドン・デリーロ、ボルヘスとかと並記で、特にバースが対象というわけでもなかった。メタ・xxっていわれるとなんか古くさいのでこういう議論そのものがもう旬を過ぎてるのかもね。メタが日本でわーわーいわれてたのはWeb前夜ぐらいだったし。
正直いってボルヘスとかを先に読んでからだと「錯乱のニューヨーク」はなんかできの悪いコピーみたいだった。あのぐんにゃりしたビルの絵がキリコのヘクトルとアンドロマケっぽくてカッコいいのに比べて、あんまりだと思った。いくつかのイメージはヒプノシスのジャケットデザインみたいだったし。なんてことは口が裂けても言ってはならないのだろうな。
全ての神を疑えといいながら己の信奉するものは除外せよという。そりゃないよ。
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