2002年09月26日(木) |
☆回想録その3−正しくミッドウェー海戦 |
5月11日@東京ドーム RHE 阪神 0 0 0 4 0 0 0 2 0 6 8 2 虚人 0 0 3 0 0 4 1 2 x 10 9 0
1942年、太平洋戦争でミッドウェー海戦という戦いがあった。 開戦からずっと進撃を続けてきた日本軍が、この戦闘で惨敗したのを機に、以後劣勢を余儀なくされ降伏に至ったという、いわば敗戦の転機になった戦いである。 2002年5月11日は、正に今季のミッドウェー海戦だったと言える。 ここまでの虚人戦は、阪神の4勝1敗。 総失点が僅か7と完璧に金満大国打線を抑えていた。(但し井川とムーアしか投げてないけど・・) 前日も7-2と阪神の快勝。 讀賣は二者連続敬遠をする等、弱気な戦いぶりを見せていた。 明らかに阪神の方が優位に立って試合をしていたのだ。 そうやって迎えた六戦目。先発はムーアと「どこが雑草やねん!?」の19番。 序盤にムーアが7番に左翼越え看板直撃の大本塁打等を喫して0-3と先制された直後の4回、東京ドームを震撼させる事が起こった。 ジョージ・檜山・濱中の3発であっさり逆転してしまったのだ。 この壮絶な攻撃を現地で目の当たりにして、私は阪神の優勝を確信したのだが・・・(笑) このまま勝ってれば、歴史的な1勝だった。 しかし立ち直ったムーアには悪夢が待っていたのだ。 6回裏、先頭の35番が打撃妨害で出塁。 次打者は絶不調だった8番。 その調子通り、併殺お誂え向きの遊ゴロ。 「はい。いただき。」と思った瞬間、これを藤本が暴投し、一気に無死2、3塁とピンチになってしまった。 以後3連続適時打を許して、一気に4失点。 ゲームが壊れた。。 初めて讀賣に大量失点したのだ。 これ以降、阪神が讀賣に対し、完全に優位に立って3連戦を戦った事はなかった。 正に「今季のミッドウェー海戦」であった。
それはそうと、今日遠山・成本・伊藤・西川・弓長・川俣の6投手に、戦力外通告がなされた。 皆、主に中継ぎとして起用される事が多かった投手達だ。 プロ野球選手として、中継ぎ投手の待遇が一番割に合わないのでは?と、個人的に思っている。 毎日ベンチ入りして調整を続け、投げるイニングは僅かだ。 精神的にも肉体的にも、相当疲労が溜まるポジションである。 かと言って、報酬の面で恵まれている訳でもない。 そういう職場で、黙々と頑張った感のある投手達に、本当にお疲れ様と敬意を表したいね。
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