MAKE A WISH
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 りゅうすけには「また今度ね」がなかった。

今、勝負時だ。

あたしは「人に迷惑をかける」という事を、
コトバでは言われなくても感性で感じると、
自分を責める方向に動くらしい。

先生に指摘されて知った。

だから、今、あたしの体はどんどん
衰弱する方向へ向かっている。

衰弱していくことで、
穏やかに自殺することで、
あたしは自分を責める。


ヤイコのライヴに行くことは、
たくさんの人に迷惑をかける。

今は1人では全く動けないし、
しかもあたしを支えられる人は
特定の子しかいないから、とても
負担をかけてしまうし、
お金だってたくさんかかる。




あたしが「ライヴに行きたい!」という
希望を持ったことで、人が嬉しく思ってくれ、
それを応援したいと思ってくれ、しかもあたしと
一緒に過ごせることが嬉しい、とかライブに
行けるのが楽しみだね、とか楽しい時間を
過ごせたらいいね、なんて感じながら、
みんなが支えてくれるのであれば、
あたしはそれを感じ取って、頑張れる。

だけど、あたしのまわりの人の感じが
心配や、大変そうだ、とか、今はやめた方が
いいんじゃないか・・・などと、いう雰囲気だと、
あたしは、それもいち早く感じ取る。

まわりの人たちが、あたしの希望を
喜んでくれている場合は、あたしは
「人に迷惑をかけている」とは感じない。
一緒に楽しんでくれているからだ。
だけど、あたしに対しての心配や心労が
先にたつと、それはあたしは「あぁ、
あたしはまわりに迷惑をかけている…」と
感じてしまう。

あたしは、いつも「人の言葉」ではなくて、
「人の想い」を先に察知してしまう。
それが離れてる人であろうとなかろうと。
それに関して会話していようといまいと。

あたしは感覚で生きているのだ。



あたしの今の発作は激しい。
衰弱も。そして感染症にも罹った。
薬も大量に飲んでいる。

先生は、ヤイコのライヴに行かなくて
いいように、人に迷惑がかからなくて
いいように、自分を衰弱させているんじゃ
ないか・・・という。

それを聞いてとてもショックだったけど、
そうかもしれない…とも思った…。

だけど先生はあたしがどれだけライブに
行きたいかも知ってる。

あたしだって行きたい!!


解ってるよ!!
自分の状態がどれほど大変な状態か、
解ってるよ!!
それを支えてもらおうって思ってるのが
どれだけ大変なことかも解ってる!!

だけど、お願いだからみんなして
「ライブなんてまたあるじゃん」って
言わないでよ!

あたしには、言わないで!


あたしは今年に入ってから、
過去の総決算を始めてるのよ!
どれだけ苦しいか、本人にしか解らない!!

その苦しさのご褒美に、
あたしはヤイコの東京ドームのライヴを
選んだのよ!
友達に負担をかけることを承知で!!

だって、この過去の記憶の整理は、
今後数年間続くのよ!
この苦しさが数年間続くのよ!?
その間、あたしは、耐えて、生き続けて、
自分の苦しさと向かい合っていかなくちゃ
いけないのよ?!
それなのに、今年のご褒美はナシなの?!
酷い!酷いよー…。酷い・・・。


あたしがこの日記のタイトルを
「MAKE A WISH」にしたのは、
2つの意味がある。

1つは、
MAKE A WISH OF JAPAN
という難病の子供たちの夢を叶える団体が
あって、あたしはその団体の会員で、その
難病の子供たちの夢を叶えるお手伝いを
してるから。
難病の子供たちが、死に瀕している子どもが
夢を叶える事で、奇跡的に回復することもある。
夢を叶える、その子が1番したい事をまわりが
サポートして叶えてあげることが、どれだけ
人の命に力を与えるか、あたしは知っている。

夢を叶える事が、生きるチカラになる。
その団体の素晴らしさに賛同して。


もう1つは、
アメリカとかで、誕生日のケーキのろうそくを
消す時に
「MAKE A WISH〜♪」ってまわりの人が言って、
本人は何かお願い事をしながらろうそくを消す、
という行為があたしは好きで。

だから、
あたしの、お願いが叶えばいいな…って
想いから。

それで、この日記のタイトルは
「MAKE A WISH」


あたしはいつだって、願いながら生きてきた。
記憶が戻り始めてきて、あたしがなぜいつも
願いながら生きてきたか解った。

あたしが、
「自分の命と受験とどっちが大事なんだ!」
なんて、先生にいつも脅されてきたからだ。
あたしはいつも学校より、遊びより、
友達より、『病院』を、『入院』を、
強制的に、選択させられてきた。
あたしが最初に発病した時だって、
「死ぬ病気かもしれませんから大学病院へ…」
って言われたのを覚えている。
絶対安静で、トイレしか動く事を許されなかった
事だってあった。
点滴なんていつも24時間点滴だった。

一昨日6時間半点滴して久しぶりにそれを
思い出したよ。


あたしはいつも刹那的に生きてきた。

いつどうなるかわかんない人生だったから。

乳がんの友達と逢った後の、

「じゃあまたね」
という言葉の重み。

「逢えて嬉しかった。ありがとう。」
お互いが感じる、この言葉の重み。


いつどうなるかわかんない!って
気持ちは、自分の体で感じたことの
ある人しかわかんないよ!

あたしが、いつどうなるかわからない…と
いう恐怖を感じずに生きていけるように
なるまでにはまだ、時間がかかる・・・。



あたしには今年のヤイコのライヴは重要だった。
ものすごく大切だった!
だけど、あたしをみんなが全面的には応援して
いないことを、あたしは知っていた。
言葉で言われなくても、何も言われなくても、
最初から知っていた。


だから、衰弱が始まった。



『りゅうすけくんを救う会』の
りゅうすけくんは、7月4日に、
あたしの誕生日に募金額が達成された。
なのに、7月6日に急逝・・・。

あたしは、りゅうすけくんの募金が
集まった7月4日、友達と大喜びした。
そして7月6日、あたしはりゅうすけくんの
急逝を知って放心状態で泣き続けた。

最近気づいたことだけれど、
あたしは今でもりゅうすけくんの死を
受け入れきれてないみたいだ。
直視できていない。
心を凍らせる。
自分と重なってしまうからかな・・・。
わからない・・・。

大喜びした日と、急逝した日。
その間の2日間。
あたしはその2日間を、
刹那的にみる。

渡米までもたなかったりゅうすけの命…。

刹那的に生きてきた自分の人生と重ねる。


あたしの命の灯火は消えないことは
自分でも直感で分かってるわ。
だけど、状態がどうなるかは、
わからないよ・・・。




りゅうすけくんには
「また今度ね」
が、なかった。

りゅうすけくんには
「次」が、
「未来」が、
なかったんだよ・・・。



「また今度があるよ。」
「また次があるよ。」


あたしにはあるの?
あなたにはあるの?


あたしは怖い・・・。
誰も居ない・・・。


現実を直視することよりも。
現実を把握することよりも。

「今のあたし」を観て欲しかった。
「今のあたし」を応援して欲しかった。
「今のあたしのいのち」を、
心から応援して欲しかった。


今のあたしのいのちに
愛のエネルギーを
注いで欲しかった。






2004年10月11日(月)
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