My eternal home
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母が肺炎を起こしてしまい、安静を余儀なくされている。 取り敢えず、薬で様子を見て、 それでも回復しないようなら入院となるらしい。(>.<)
先週の眼科通院の際、咳が出ていたので、 ちょぃと心配していたのだが、まさか肺炎とは…。 退院後、外出するのは通院の時位だったから、 抵抗力や免疫力も無くなっていたのかもしれないなぁ。
母からは“お父さんが居るから来なくて良いよ”と 言われたが、行かない訳にはいかないでしょう。 一難去ってまた一難、ふぅ〜。
2006年03月21日(火) |
花より野球・祝!日本 |
初のWBCでは色々あったけど、 今はとにかく嬉しいの一言。 優勝が決まった瞬間、思わず涙が溢れてしまった。 あぁ〜、野球ってやっぱり良いな。
天気の良かった日曜日、そして今日も、 野球に興味の無い夫から “春の花を観に行こう”と言われたのだが、 “花は来年も咲くけど、 WBCは3年後まで無いんだよぉ”と きっぱり断り、野球観戦に専念。
休日、世間一般的には、奥さんが夫に “どこかへ連れて行け〜っ”という パターンが多いと思うが、 我が家では私が野球おやじと化している為、 こんな逆転現象が起こる。
次のオリンピック種目からは 野球が外されることが決まり、 気持ちのやり場が無かったこともあって、 今回のWBCには特別な想いを抱いていた。 一試合でも見逃したくないと…。 そんな私の想いが今日、 日本優勝という最高の形で報われたのである。
暫くはこの余韻に浸っていたいので、 今日はここまで・・・。
今日は母の通院に付き添い、 お昼も外食だったせいで、 帰宅したのは午後2時過ぎ。 急いでテレビを付けたら0−0で、 “よしっ、これからこれから”と思ったのも束の間、 あっという間に2点を取られてしまった。 最後に1点は返したものの...反撃はそこまで。 ふぁ〜〜〜。
もうホントに残念としか言いようが無い。 昨日の対メキシコ戦が素晴らしい試合だっただけに、 その勢いで何とか〜と願っていたが、 さすがに韓国は強かった。 アジア戦で負けて、今日も勝てなかったのだから、 やっぱり韓国の方が強いってことなんだろうな。 まぁ、メジャーリーグで活躍中の選手が集結して、 国を挙げて戦ってるってところが、 日本とは大きく異なる訳で、 これでもしマツイとかイグチが出ていたら 結果は違っていたかもしれないし…しょうがないね。 取り敢えず、明日のメキシコ対アメリカ戦で 全てが決まるので、見守るとしよう。
さてさて、日記を書き始めて、今日で丸4年。 明日からは5年目に突入する。 最近は更新も滞り気味で、 正直“続いている”とは言い難いのだが、 日記を止めようと思ったことは一度も無いので、 きっとこれからもこんな調子で行くのかな…と思う。
こんな私ですが、これからも気長に お付き合い頂けると嬉しいです。
昨日のWBC…日米戦は全く後味の悪い試合だった。 守備側の“タッチアップが早かったんじゃないか” というアピールはよく見る光景だが、 “そうだね〜、じゃぁ、アウト!”と あっさり判定を覆した球審には心底...呆れてしまった。
昨日からの報道で既出の通り、 あの主審は元々“曰くあり”の人だったそうで、 そんな奴をWBCの審判員にして良かったのかぃ?
何より大体、何で主審がアメリカの人なのさ。 普通、第三国の審判員を入れるでしょう。 いくら37人中22人が米国の人でも、 残る15人から選出すれば良かったことでしょーに。 日本も事前にどうして抗議しなかったんだろ。
全く、ワールドベースボールが聞いてあきれるよ、 まるっと“アメリカンベースボール”なんだもん。 あぁ〜、忌々しい。
* * * * *
今日は実家へ自転車で行ってみた。 ちょっと寒かったけど、 自分で漕ぐ分、体が温まるし、良い運動にもなる。 桜の頃にはまだ何日もあるが、季節になったら 花を愛でながら、また自転車で出掛けてみよう。 それまではやっぱり楽なバイクで〜♪
母の入院中、父の主夫振りは大したものだった。 今まで家事などしたことの無い父が、 普通に洗濯機を回し、ご飯を炊き、 おかずにする冷凍食品やチルド品を温めたりして、 そりゃ〜もうびっくり。
何でも、入院前の母から “もし私が居なくなったら、 何でも自分でやらなきゃならないのよ。 娘に世話を掛けないように、 最低限の家事はしてちょうだい”と言われ、 洗濯機と電子レンジの使い方を学んだのだそう。
お陰で、毎日実家へ行くつもりだった私も、 2、3日に一回、 食事の差し入れや掃除をする程度で済んだので、 かなり助かった。
が、そんなある日、ちょっとした事件が勃発。 いつものように病院から戻り、 実家に電話を入れたら、あら話し中、 少し時間を置いて掛け直してみてもまだ話し中、 その後、何度掛けても通話不能状態だったので、 多分、受話器が外れてるんだろうなと解釈。 次の日は実家に行くことだし、 きっと大丈夫(無事)だよねぇと思いつつ、 夕方のニュース番組で 偶然“お年寄りの入浴事故多発” な〜んてのを見てしまったものだから、 もし倒れていたら…と段々心配になって来た。 けど、外はもう暗いし、バイクを飛ばすのも ちょっと勇気が要る。
こうなったら夫に頼るしかないなぁと携帯に連絡、 会社帰りに実家に寄ってもらうことにした。 ところが、その日に限って退社が遅く、 実家へ着いたのは夜の9時近く。(;;) “灯りが消えてるからもう寝てると思うけど、 心配だからピンポン押すよ”と夫。 数分後、父の無事が確認でき、心底...ほっとした。 夫君、本当にありがとう♪
受話器が外れていたのは、 普段は子機を使用しているのだが、 私からの電話をたまたま親機で取った前日、 きちんと受話器を置き切らなかったのが原因のよう。 こういう状況下、 昔の電話機ならプープー音がするはずなんだけど、 今は多種多様だからね。
年老いていても両親2人で生活していれば、 私の心配もさほどでは無かったのだが、 独居の父を想うと、さすがにあの時は不安だった。 こんな時、同居の兄弟が居てくれたら…と、 勝手な話だが、ちょぃと思ってしまった。
まぁ、何事も無くてめでたし、めでたし。
久し振りに、まともに一日晴れそうだ。 今日もこれから実家へ行く為、あまり時間が無いのだが、 ちょっとだけ更新。
母の入院中、病院へは毎日...顔を出した。 最初の手術日までは、電車を利用して、 その後は雨の日も風の日もバイクで。 (日曜日は、夫の運転で、父も乗せて車で行ったけど…) 洗濯物の持ち運びがあるので、 天気が悪くても電車よりはバイクの方が楽だった。 2月後半は雪こそ降らなかったが、 日々曇天、寒さが続き、 晴れの日などほんの2〜3日程度で、 全く天候に恵まれなかったなぁという印象に尽きる。 バイクにはいつも雨具(合羽)を載せてたし。
それでも、手術が成功し、順調に回復して行けば、 いついつに退院できるという目安があったので、 毎日通えた。 これがもし先の見えない病状だったら、 多分きっと...こんなに頑張れなかったと思う。
“白内障の手術って簡単なんでしょう?”と 言う人が多いが、私に言わせればとんでもない...だ。 白眼に麻酔を打ち(この時点で、もう怖いもん)、 黒眼と白眼の境にメスを入れ、 超音波で水晶体を砕いて吸い取り、 人工レンズを入れるという手術の 一体どこが簡単だと言うのだろう。 そりゃ、脳や心臓などの手術に比べたら リスクは低いかもしれないが、 人工レンズが沈んでしまったり、 膜が破れてしまったり、 最悪、眼内炎症で失明した例もあると聞いた。 それを思うと、本当に上手く行って良かったよ。
完全にレンズが固定するまで2ヶ月は掛かるそうで、 感染症予防の為、1日に4回の点眼は欠かせないが、 “こんなに世の中が明るかったのね〜”と 喜んでいる母を見ていると、私も嬉しくてね。 昨日のひな祭り、実家の雛人形を眺めては、 親が元気で居てくれる有り難味をしみじみ感じた。
母の手術も成功し、無事に退院しました。 入院中、メールも気になっていたのですが、 一度繋げてしまうと、全部読みたくなって きっと収拾がつかなくなると思い、 敢えてPCから遠ざかっておりました。
そして...今日、持っているアドレス全部のメールを 久々にチェックしたところ、 200通をも超えるメールが入っており、ビックリ。 受信箱の容量に余裕があって良かった…。 で、大切なメールだけを残し、 どうでもいいメールマガジン等はバンバン破棄。 読者さまのお便りは、 これからゆっくり読ませて頂く予定です。
今も書きたいことは多々あるのですが、 実家通い&通院の付き添い、 私自身もするべきことがたくさんあって、 落ち着くまではもうちょぃ時間が掛かりそうです。
留守中、励ましのお便りをくださった皆様、 本当にありがとうございます。 とても嬉しかったです。 本来ならば個別に返事を差し上げるのが筋なのですが、 “返事は要らないよ〜”というお言葉に 甘えさせていただきますね。m(__)m それでも、皆様のお心遣いは一生忘れません。
試練の2月が過ぎて、今日から弥生3月。 私にもようやく春がやって来そうです。
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