Sports Enthusiast_1

2003年10月31日(金) 中田はだいじょうぶか

中田(ヒデ)がパルマでベンチらしい。心配だ。先だってのルーマニアとの親善試合、とろとろした日本代表各選手のなかで、中田だけが目立っていた。相手DFのタックルにも倒れないし、足をかけられてもそれをかわすボディバランスのよさは、日本、ルーマニアの選手を含めても群を抜いた存在だった。ああ、中田は元気なのだな、と安心したものだった。
しかし、セリエAでの活躍がない。監督の戦術に合わないとも、パルマという環境に慣れすぎて集中力がなくなったとも言われているが、真相は不明だ。サッカーでは長年一つのチームに在籍して力を発揮する選手もいるが、環境を変えて成功する――ステップアップする選手のほうが多いようだが。
私は中田が元気なうちは日本はアジア予選に勝ち抜ける、と常々言いつづけてきた。アジアのサッカー選手の間でも中田の存在は大きい。彼が日本代表にいる限り、アジアの選手にプレッシャーを与えることができる。相手のマークが中田に集中するし、守備の戦術も中田中心となる。かりに中田がいなくなれば、いまの日本代表はアジアでも並みのチームに過ぎない。中田の調子が上がらず、W杯予選の初戦あたりで活躍できなければ、アジア各国に与えてきた「中田オーラ」が消えてしまうだろう。そうなれば、堰を切ったように日本代表は崩れていく。
中田が限界に来て、セリエAなどの欧州で活躍できないときは必ずやってくる。中田にとって、06年が最後のW杯になる可能性もある。中田に依存するばかりのジーコジャパンはこのままいけば、日本代表の将来(ポスト中田)を展望するという意味で、空白の4年間を積み上げる可能性が高い。ジーコ監督は中田依存度が高く、「ポスト中田」とはいわないまでも、「中田抜き」のチームを考えていない。いわば、ジーコ監督は中田と心中するつもりのようなのだ。
前代表監督は中田を挑発し、特別扱いしなかった。それが中田をコントロールする方法の1つだったのだろう。また、現監督のように中田に全面的に拝跪するのもその方法の1つだろう。どちらが正しいとは言えない。が、日本代表の将来像を描くという視点では、私は前監督の方法の方が理にかなっているように思う。このままいけば、ジーコ体制は、日本サッカー界において、「失われた4年」の時を刻むだけだろう。



2003年10月30日(木) NYは厳しい

報道によると、ニューヨークのスポーツジャーナリズムは、さっそくワールドシリーズの敗因分析を始めたらしい。まず手始めに、ヤンキ―スの選手の中で、「必要な選手」「必要でない選手」を分別しているという。「必要でない」とはいわば、戦犯のことだ。一生懸命やっても結果を出せなければ責任をとれ――これがニューヨークの作法のようだ。
日本では戦う前に指揮官が辞任を発表して、しかも、負けても、「夢をありがとう」。日米の勝負の認識の違いの大きさに驚くばかりだ。
さて、負けても英雄の星野采配を冷静に分析すれば、シリーズの敗因は、伊良部投手の起用法に尽きる。結果論と言われるかもしれないが、第ニ戦目が終わった段階で、伊良部投手が調子を落としており、このシリーズでは使えないと判断すべきだった。つまり、選手の調子を見誤ったのであり、これは監督、ピッチングコーチの責任である。きのう書いたように、レッドソックスのグレディ・リトル監督はマルチネスの交代時期を誤った責任を問われ、解任された。星野監督が大リーグで指揮をとっていたとしたら、第6戦、不調の伊良部投手を先発させた責任を問われ、病気が理由ではなく、采配ミスで解任もしくは辞任に追い込まれただろう。
確かに星野監督は、就任2年目で下位チームをリーグ優勝させたのだから、「名将」とマスコミがいうことを否定しない。そこまでの実績は評価しよう。だが、日本シリーズを見るかぎり、短期決戦の経験に乏しく、相手に簡単にサインや癖を盗まれるという点で、監督としての才能は高くないように私には思える。
選手をやる気にさせて、闘志を掻き立てるというところは、星野監督は日本の古い体育会系の指導者に属するようだが、野球センス、情報分析などの面でかなり劣るように思える。ペナントレースでは、適正な補強と若手の台頭で優勝したものの、監督采配が勝敗を左右する日本シリーズのような戦いでは、いい結果を残すことが難しい。星野監督が日本シリーズで優勝していないという事実は、けして偶然ではない。



2003年10月28日(火) 敗因を分析せよ

退任が決まっている指揮官が演じた、奇妙なパフォーマンスが終わった。このシリーズは、私にとって、苦痛以外のなにものでもなかった。互いが不規則な枠組みをもたず、正々堂々と戦う――当たり前の勝負の基本が、なぜ、日本のスポーツ界に定着しないのだろうか。世間が名勝負と礼賛する根拠がわからないが、とにかく、日本シリーズは、ダイエーがホーム4勝(アウエー3敗)で阪神を退けた。
このシリーズ、ホームがお互いに全勝するという珍しい結果が出たのだが、このことをもって、日本にホーム&アウエーの意識が定着し、「巨人」(読売)というナショナルブランドの価値が崩壊したという人もいる。そのとおりなら誠に結構であるが、「阪神」が「巨人」に代わるのであれば、意味のない交換だろう。
さて、このシリーズで私が最も興味をもった点は、ダイエーのホームでの圧倒的強さであり、アウエーでの戦い振りとの落差の大きさだった。ダイエーは、「100打点トリオ」と呼ばれる豪快な打線と、才能のある若手投手陣が売り物のチーム。確かに杉内、和田の左腕は、看板どおり立派な成績を残した。ところが、「100打点トリオ」のアウエーでの成績は芳しくない。ダイエー打線のホームとアウエーの好不調の波は常識を超えている。
たとえば最終戦、井口、城島のホームランは、来た球を打ったように見えなかった。明らかに予測したボールを打った。井口のライトへのホームランの打席の踏み込みは、内角球がこないことを予期したもののように見えた。また、伊良部投手が再三走られていたが、投球の癖を盗まれていたと理解するしかない。伊良部投手は失礼ながら、インサイドワークに難がある。彼は自分の投球に圧倒的な自信を持っているため、細かい配慮を怠る面がある。だから、ダイエーの走塁は、スタッフがデータを分析し、それを選手に伝えた結果だろう。
ダイエーというチームは、豪快な打撃が目立つが、意外にも、配球や癖などを分析して、選手が予測を働かせてプレイしているチームなのだ。
ところが、それはそれでいいのだが、私が疑問に思うのは、予測力や分析力がホームでは結果に結びつくのだが、アウエーでは効力を発揮しないことだ。甲子園におけるダイエーというチームは阪神と接戦を演じる程度であり、福岡ドームでは阪神を完璧に粉砕しきるパワーを発揮した。精神的なものという説明では納得できない。
私は、阪神については、ホームとアウエーの落差を感じなかった。阪神は、甲子園と福岡ドームとで違う野球をしたわけではない。ダイエーが甲子園で打てなかったぶん、阪神に勝機が生じたのだ。阪神のセリーグ優勝の要因を一言で言えば、他球団の自滅だ。それは、試合においてもペナントレース総体においても、言える。阪神は、パターンどおりの野球をした。
日本のスポーツマスコミは、「勇退星野監督」を美化する報道で終わりそうだ。でも、気骨あるスポーツジャーナリズムがあるのならば、負けた指揮官に反省を求めるべきだ。阪神の敗因は、まぎれもなく、ダイエーの「細かな野球」に対抗できなかった結果だ。この結果は、素人の私はもちろん、プロの評論家も予想しなかったことだった。(たった1人の例外が、次期中日監督の落合氏らしい。落合氏はお互いホーム勝利のダイエーの4―3優勝を予言していたという。)
米大リーグ、レッドソックスは27日、グレディ・リトル監督(53)の解任を発表した。解任理由は、ヤンキ―スとの最終戦、マルチネスを続投させた責任を問われたものだ。あんなにも感動的な勝負をしたのだから、負けても許してあげよう、なんてお情けは大リーグでは通じない。この人事を受けて、敢えて乱暴に言うならば、ファンがあんなにも応援したにもかかわらず結果を出せなかった指揮官を、病気だからといって、放免すべきではない。阪神球団(=セリーグ)の野球がグランド外スタッフの活用を知らないものならば、阪神球団(=セリーグ)はこの敗北を謙虚に総括し、来シーズンに備えるべきなのだ。勝つためには、情報戦も必要だと自覚すべきなのだ。
負けた者には、花道も栄光もない。リベンジあるのみ。そのために何をなすべきか――。敗因を分析しそれを克服しなければいけない。でなければ、プロ野球のレベルは向上しないではないか。



2003年10月26日(日) スピードがすべてを制す

ワールドシリーズは若さのマーリンズが老練のヤンキースを破った。勝者・マ―リンズの象徴が1番のピエールだろう。若くてスピードがある。マーリンズのチーム年俸はヤンキースの何分の一とか。プロスポーツがカネだけでないことを証明した。立派なチャンピオンだ。
さて、Jリーグが相変わらず面白い。上位チームの特徴として、若くてスピードがあり、運動量のあるサイドプレイヤーの存在が挙げられる。たとえば、躍進著しいFC東京の石川。彼がきのうの清水戦で決めた2発のシュートは非凡なものがあった。こういう人材が日本代表にほしい。市原では、村井、坂本、羽生。横浜ではルトラが抜群だが、きょうのC大阪戦で退場になった佐藤も右でいい仕事をしている。浦和には山田がいる。東京Vには、年齢は若くないが、三浦、平野の活躍が目立つ。この二人がいなかったきのうは、仙台に苦戦した。
それに反して下位に低迷するC大阪、仙台、大分、神戸には速いサイドプレーヤーが見当たらない。同じように、かつての強豪、磐田、鹿島、清水、名古屋が地盤沈下してきた最大の要因は、スピードのあるサイドの選手がいないことだ。それに気づいた鹿島は、深井という新しい才能を積極的に使って、チームカラーを変えようとしている。深井も楽しみな選手の一人だ。
Jリーグの野心ある監督たちは、チームコンセプトを作成するうえで、おそらくスピードを重視したに違いない。攻守の切り替え、4バックの場合はSBの上がり、3バックの場合は、両サイド。タッチライン沿いをスピードに乗って上がり、クロスボールを中に入れる、カウンター攻撃では、FWのポストプレーに反応して左右のオープンスペースに開く。スルーパスにはトップを追い越して、二列目から反応してDFの裏に出る。このような攻撃の形は当たり前のパターン。世界のサッカーでは、こうしたサッカーをしなければ勝てないことは、このコラムで何度も書いた。
日本代表では、左右のSBが弱点だといわれ、三都主を左のSBにコンバートして失敗した。けれど、この結果はもちろん、三都主の責任ではない。三都主を本職の左サイドで使わない監督が悪い。繰り返しになるが、日本代表を運動量、スピードを基準にして選考しなおせば、チームが変わり、強くなる。
日本代表をヤンキースにするかマーリンズにするか。もちろん、マーリンズである。マーリンズが勝ったのだから。マーリンズにするためには、スピードがなく運動量のない選手は呼ばないことだ。欧州にいようがいまいが、選手の持ち味は変わらないのだから、あとは監督の眼力と決断次第。



2003年10月23日(木) サポーターもプロに成長せよ

元・セレソンの「悪童」こと、ロマーリオの話題。しかも、プレーではなくって場外乱闘。報道によると、ブラジルリーグの下位に低迷するフルミネンセのファンが、練習中のグラウンドに鶏を投げ入れた、それに怒ったロマーリオがスタンドに突入し、鶏を投げ入れた男とつかみ合いになったという。
ロマーリオはブラジルの天才FWだが、とにかく素行が悪い。監督、チームメイトとのトラブルは当たり前。そのため、「悪童」というニックネームを頂戴した。なお、この悪童とコンビを組んだこともあるのが、かつて、東京ヴェルディでプレーしたエディムンド。こちらも、「悪童」に引けを足らないトラブルメーカーだったが、東京Vではまったくの優等生。浦和に移籍してからはやる気をなくして、すぐ本国に帰ってしまったけれど。さて、ロマーリオがまだ、フルミネンセでプレーしているとは驚きだ。もう40歳近くになるのではないか。しかも、「悪童」ぶりも健在とは。
ブラジルのサポーターは過激だ。応援しているチームが低迷しているからといって、鶏を練習グラウンドに投げるとは品位がない。「悪童」が怒るのも無理はないけれど、サポーターの姿勢としては立派ともいえる。鶏を投げ入れた男は、ロマーリオを狙ったのかチーム全体に怒りをぶつけたのかは不明だが、低迷を許さないという抗議の姿勢は、サポーターとして健全だ。
いまJリーグは終盤近く。J1からの降格争いがおもしろい。仙台、神戸、大分、京都が降格対象らしい。この4チームに共通点を見つけることは難しい。いずれも、外国人の補強に失敗したとはいい難いし、地元には熱心なサポーターも多い。もちろん、下位に低迷する理由はあるのだろうが、この4チームの状況はそれぞれ違うようだ。ただ強いていえば、選手層の薄さ、レギュラークラスがケガをしたとき、二番手選手の力が弱かったとはいえるだろう。
4チームのサポーターも鶏は投げなくとも、弱いチームを叱咤する意味で、ふがいない試合をしたときは拍手をやめてブーイングをしたらいいのではないか。一生懸命やっているのだから、負けてもしょうがない、というのではプロは育たない。熱闘甲子園の世界ではないのだから。
サッカーに限らず、サポーターはプロに成長する必要がある。スタジアムで我を忘れて応援する必要を否定しない。応援歌を歌い、歓声を上げるのもいい。そうした応援が選手の励みになるだろう。だが、最大の応援は、批評・批判・抗議だと私は思っている。選手のプレー、監督の戦術、フロントの運営などを監視し、それらに満足を得られないときは、サポーターは声を上げてほしい。応援と抗議は等しい関係にある。それができなければ、サポーターとして失格である。



2003年10月21日(火) 0−3からか・・・

松井のWシリーズにおける日本人初ホームランが話題だ。私は打ったカウントが0−3であることに驚いた。打たれたレッドマン投手も、「あのカウントでホームランを打たれたことはない」とコメントしていた。報道によると、松井が打ったのは監督のサインだったという。
私はペナントレース、ポストシーズンを問わず、大リーグの試合で0−3から打者が打つ場面を見たことがない。だから、私は松井のホームランまで、大リーグでは0−3から打者が打つことはないと思い込んでいた。初回ノーアウト、塁上に2人、カウント0−3。ここで「打て」のサインが大リーグで出たことは、私には信じがたかった。このサインはすべてのセオリーを無視したものであり、しかも、「0−3から打者は打たない」という大リーグのタブーを破った、まさに賭けのようなものに思えた。奇策中の奇策でなくて、なんであろう。
ヤンキ―スは一戦目黒星。ホームの二戦目、どうしてもほしかった勝利という見方もできるが、仮に松井が打ち損じたとしたら、彼が大リーガーとして失うものは大きかったと思うとぞっとする。だが、松井は賭けに勝った。松井の運は、タブーを破ったことなど吹き飛ばす評価となって返ってきた。
はたして、この結果を喜ぶべきなのだろうか。松井を偉大な打者と賞賛できるのだろうか。私の思いは「ノー」である。松井はポストシーズン、好調を維持していた。大博打を打つ必要などない。ホームランはあくまで「結果オーライ」。松井の実力なら、こんな不規則なホームランはいらない。
繰り返しになるが、スポーツの感動は戦うもの同士、お互い同じ条件で戦ってこそ生まれる、というのが私の主張だ。この尺度からすると、0−3からのホームランは感動に値しない。0−3から打たない、という投手の信頼を裏切ったからだ。もう、終わってしまったことは仕方がない。だからこの際、私はWシリーズ中、正当な条件の下で松井がホームランを打つことを期待している。博打に勝つのでなく、スポーツとしてのホームランを望んでいる。松井が通常のカウントでホームランを打つことができて初めて彼を一流の打者と呼べる。それができなければ、松井は大リーグの「お客様」であり、「色物」「際物」としての存在でしかない。
なお、一般の大リーガーたちがこの「ホームラン」をどう評価しているのかが知りたい。



2003年10月20日(月) アルディレスの魔術

東京ヴェルディが柏に勝って首位に踊り出た。ここ数年低迷していたこのチームをどうやってアルディレス監督は立て直したのだろうか。
まずいえるのは、FWのエムボマ、MFのラモン、DFのロペスの3人の外国人がチームの芯となり、若い選手にとてもいい影響を与えていることだろう。とくに若手FW・平本の成長はエムボマの影響が強いと思う。外国人の補強という面では、浦和と東京Vは成功したチームだといえる。
二番目は、移籍してきた日本代表クラスの三浦(元・横浜)、平野(元・名古屋ほか数チーム)のがんばりだ。とくに、ここ数試合における、平野の左サイドでの運動量は目を見張るものがある。ベテラン二人のシエイプアップが東京V好調の要因といえる。
個人の能力が高いことはチームが勝つための必要条件ではあるが、十分条件ではない。ベテラン選手を鍛え直し、体調を維持できる練習をさせることが監督の務めだ。そして、チーム戦術の徹底も欠かせない。戦術は相手次第だから、試合ごとに変わってくる。たとえば、柏戦では、引いた相手に対して、左サイド平野、左SB三浦が上がっていってチャンスを広げていた。その結果が1点目の三浦のロングシュートにつながった。2点目は、今度は逆サイドのMF(右サイド)の山田(先発は右SB)がヘッディングでつないだボールをFWのエムボマが決めた。終わってみれば、当たり前の作戦のようだが、イメージどおりの結果を出せるところがすごい。
一方、堅守の柏だが、プレスが効いたのは序盤のみ。東京Vの早いパスに疲労を蓄積させてプレスが緩み、チーム全体が下がりだしてしまった。これでは勝機は薄くなる。柏は運動量で東京Vに負けていた。
サッカーはfootballという。足で蹴るからフットボールだと思われるが、サッカーほど総合的な脚力がものをいうスポーツはない。まず、長時間動けるスタミナ、相手を抜いたり相手に追いついたりする瞬発力や速さ、ボールを扱う技術、そして、シュート力=強さ――脚力のすべてが求められるのだ。そのどれかが欠けていれば、通用しない。サッカーとは、脚力の総合力のスポーツだ。
さて、低迷する日本代表だが、いまの代表選手中とりわけ中盤で、速さという武器をもっている選手は三都主だけだ。いまのJリーグで三都主を上回る攻撃的左サイドは見当たらない。しかも、彼はいまが上り調子の選手の一人。繰り返しになるが、06年W杯予選に向けては、三都主を武器にした代表チームの構成を考えるべきなのだ。彼が欧州に行っているかいないかは関係ない。もたもたした「黄金の中盤」の構成では、アジアでも勝てない。
選手の能力を見極め高め、チーム力をアップさせることも、優秀な指導者の条件だ。「黄金の中盤」=[中田、俊輔、小野、稲本]の4人がピッチ上に同時に立つ必要があるとは思えない。欧州選手=チーム構成員は必ずしも一致しない。日本代表選考基準は、�.好圈璽畢▲僖錙辞1親偉稔ぅ謄�ニック�シ亳魁宗修箸い辰燭箸海蹐世蹐Α�とくにサイドのできる選手には、この基準でもう一度、選考をやり直す必要がある。Jリーグの監督のなかで、アルディレス、オシム、ネルシーニョなら、それができる。



2003年10月18日(土) 感動

こういう勝負こそが、「感動」に値する。大リーグのアリーグプレイオフだ。勝ったヤンキースも負けたレッドソックスも、ただただ勝負に集中し戦う。結果は勝負だから、どちらかに転がり込む。勝利の女神の心は計れない。この試合、実況でみられなかったのが残念だった。
レッドソックスはなんだか、海兵隊のチームのような凄みがあった。タフという表現がピタりである。そのホーム・ボストンは、アイルランド系の人が多い街として有名であるが、行ったことはない。おそらく、ニューヨークとは違う雰囲気をもったところに違いない。もちろん、レッドソックスがアイルランド系選手のチームではないけれど。



2003年10月17日(金) 真剣勝負前に、あるまじき退任発表

星野監督退任のニュースが流れた。私は星野監督が嫌いだから、退任はかまわないのだけれど、日本シリーズ前にそれを発表するのは、おかしい。退任理由は健康不安だから仕方がないと思われるが、タイミングが悪い。これでは、日本シリーズの勝負の真剣さが薄れる。
勝負というのは、進退をかけるものだ。サラリーマンだって、自分の企画をどうしても通したかったら、進退をかけるのではないのか。政治家だって、官僚だって同じだろう。勝負そのもののスポーツで、勝負の前に自分は辞めますというのは、たとえ健康上の理由であれ、ファンの興味をそぐものだ。
ダイエーが負ければ「退任祝い」に当たるし、ダイエーが勝てば阪神の選手の集中力・緊張感の喪失と受け取られる。こんどの日本シリーズをプレイヤーの精神面のコンディションで計れば、両チームとも最悪だ。指揮官が勝負を始める前に、終わったら辞めますでは、真剣勝負とはいえない。
逆にいえば、退任を発表した阪神球団は、そこまでして勝ちたいか――ということだ。監督の最後、花道で・・・と、選手に気合が入るとか、燃えるとか、というやつか。以前このコラムで書いたけれど、相手にハンディがある勝負はどちらが勝っても感動に値しない、というのが私の考えだ。指揮官が重病なら、選手と同様、勝負の前に代わってほしい。自らのハンディを公にするとは、公平な勝負でないことを意味するのだ。そんな日本シリーズ、だれが見るものか。
今回の日本シリーズは、阪神が甲子園、ダイエーが福岡ドームと、どちらもホームの熱狂的なサポートがある点が特徴だった。ホームとアウエー、はっきりした勝負が期待された。どちらも、地元密着型の球団であり、大リーグに近い雰囲気の熱戦が期待された。その意味で、普段あまり興味のない日本シリーズに、わざわざ予想まで載せたのに、裏切られた感が強い。
阪神が優勝したときのスポーツマスコミの見出しを想像するだけで、悲しくなる。病気で退任する監督に優勝をプレゼントとは、プロフェッショナルにあるまじき、恥ずかしい結果以外ない。



2003年10月16日(木) 日本シリーズを占う

日本シリーズ、ずばり4−1で阪神と見た。阪神の唯一の1敗は、和田に抑え込まれての負けだ。ダイエーの先発予想としては(解説者の江夏氏の予想が合理的なので借用したのだが)、斎藤―杉内―和田と、和田をアウエー甲子園の初戦=3戦目に起用するものと思われる。和田の精神的強さを踏まえて、最も重要な第三戦の先発が適している、というのが江夏氏の見解だ。難しいのが4戦目で、ナイトか新垣か。さらに難しいのは5戦目で、5戦目はそれまでの成績と斎藤の初戦の状況いかんで変わってくる。つまり、中4日で斎藤がくるかどうかだが、私の予想では、4戦でダイエーが1勝3敗だからもう後がない。そうなると、中4日で斎藤を先発させざるを得ないだろう。
展開としては、斎藤●(井川○)、杉内●(伊良部○)、和田○(●下柳)、4戦目の新垣もしくはナイト●(ムーア)、斎藤●(藪?)で、阪神の4勝1敗だ。ダイエーの先発陣は和田以外通用しないというのが私の考えだ。
和田は不思議な投手で、かつてオリックスで活躍しFAで阪神に移籍した星野に似たところがあるが、球速は和田のほうが上だ。腕が変則的に巻き込むように振られるので、変化球(スライダーとカーブ)の球の出所、球筋が打者から見えにくいのではないか。もちろん、素人の私は打席に立ったことがないので、想像にすぎないが。
一方のダイエーのエース斎藤だが、2回先発して2敗の根拠は精神面。シリーズ第一戦は、プレッシャーに負けてコントロールが定まらず、四球を連発して自滅とみた。2回目の登板は甲子園の雰囲気にのまれて、今度は打ち込まれるだろう。
先発以外のセットアッパー、クローザーは阪神の方が断然力がある。ダイエーは斎藤、和田が完投しないと勝てない。二人を除いた完投能力のない投手の試合は、阪神の一方的な展開となる可能性が高い。
打線については数字上、ダイエー有利に見えるが、レベルの低いパリーグの投手相手の成績で、セリーグの投手相手では、対オリックス戦のような猛打爆発は難しい。かりにダイエーが和田で勝てないと、阪神の4−0となり、両リーグの実力の開きがクローズアップされる。「パリーグ=マイナー論」だ。ダイエーはリーグの名誉のためにも、4連敗だけは避けなければならない。



2003年10月15日(水) 2億円は浄財の無駄遣い

ジーコ氏の年俸はおよそ、2億円らしい。高すぎる。素人監督にそんな大金を出す国はない。サッカー協会は、自分達が稼いだ金をどのように使おうと勝手だろうと思っているのかもしれないが、その言い分は間違っている。日本代表やJリーグの繁栄は、選手とサポーターが築いたものである。スポンサー収入や放映料収入だって、選手ががんばりサポーターが支えた間接的な成果である。協会の収入は浄財であり、サッカー協会はそうした公益性ゆえに公益法人として、当局から認可されている。
私は、ジーコ氏の代表監督就任決定以来、この監督人事に反対してきた。反対の根拠は、ジーコ氏のトルシエ前監督批判が的外れなこと、ジーコ氏が掲げる個人、創造性といった言葉が、虚妄に過ぎないこと――などであった。その根拠はいまも変わらないし、間違っていないと思っている。ジーコ氏が嫌いなわけではない。ジーコ氏という監督には不向きな天才を、ブランドとしてもてあそぶサッカー協会の体質がいやだったのである。2億円は大金である。浄財から大金を支払って、人々の夢を裏切っているいまの協会のあり方が、気に入らないのである。
W杯以降の日本代表をどう評価するか――それがジーコ監督評価のすべてである。正式な評価の対象はいまのところ、コンフェデレーションカップ以外ない。残りの国際試合は、Aマッチであっても親善試合=テストマッチだから、とりあえず勝敗はどうでもいい。コンフェデについては先述したことなので詳細を割愛するが、結論だけを言えば、ベストメンバーの日本代表はフランスの三軍、コロンビアの二軍に負けた。内容としては、選手起用、大会の乗り切り方など、ジーコ体制がまったくの素人集団であることが明確になった。
その後から今日に至るまで行われたテストマッチの数試合においても、選手選考・選手起用、チーム戦術等に工夫が見られなかった。それをもって、ジーコ氏が代表監督として、不適格であることを確信した。それがジーコ氏の評価すべてである。
それだけではない。サッカーの勝負というスポーツの現場の外に、「ジーコ批判」を封じ込めようとする圧力の存在がある。日本代表を管理する協会に、正常な判断力が働いていないことが大いに気になっている。
テストマッチ(スポンサー付き代表試合)でお金を稼ぐのも結構だけれど、繰り返すが、スポーツのイベント化であって健全ではない。
このまま不適格な監督のもと、日本代表を弱体化させれば、せっかく高まった日本サッカーの人気を奪いかねない。やっとJリーグ各チームが優れた指導者のもと、熱戦を繰り広げ、関係者の努力により地元に密着してきたところなのである。日本サッカー界は、その頂点にある代表の舵取りをいま誤れば、草の根の努力が水泡に帰する断崖にあるようなものなのである。
さて、この危機を乗り切るには、2つの潮流を必要としている。1つは専門家による分析的な批評の活性化である。軽薄で扇情的で幼稚な「スポーツマスコミ」のレベルを越えた専門的視点を持った多数のサッカー批評家が活発に日本代表について議論をしていただきたい。
もう1つは、サポーターの具体的な直接行動である。いまの日本代表の戦い振りにサポーターが満足しているのなら仕方ないが、不満度が高いならば、おもしろくない試合を見た後は、ブーイングで抵抗するしかない。サポーターが声を上げなければ、何事も変わらない。
この2つの潮流は、なにもジーコ氏を辞めさせるためにあるのではない。だれが監督をやろうが、だれが代表選手であろうが、健全な批判精神のないところに、健全なプレッシャーのないところに、名選手も名監督も育たないのである。



2003年10月13日(月) 中田の怒りと藤田の嘆き

前のコラムで、ルーマニア戦後の中田のインタビューの一部を紹介したが、もう少し詳しく彼のコメントをみてみよう。中田は、「だれがパスをして、だれがゴールを決めたかは、問題ではない」、とはき捨てるように答えたという。マスコミの見出しは、「中田、怒る」だった。
一般に、中田の言葉は、「もう少し頑張れば、あと2、3点は取れた」というところに集約されている。「このチームは声を出さなすぎる」「コミュニケーションがない」「試合中、自分は怒鳴りまくっていた」などと続いているところから、中田がチームメイトの不甲斐なさを叱咤した、と解釈することは誠に自然である。サポーターの間では、「声が出ないのは俊輔だろう」などというジョークまでが、ウェブサイトに登場したくらいだ。
中田がかつてのセレソン主将、磐田でもプレイした闘将・ドゥンガのように、チームメイトを叱咤しミスした選手をどなりチームを鼓舞したことは、クールな個性が売り物だった青年・中田を知る世代にとって、驚きであり発見である。
だが、中田が「ドゥンガ」であることは、もちろん、似合わない。私なりに中田のメッセージを解読するならば、やはり、前に書いたとおり、「監督批判」に尽きる。
中田は、個人技で自分が絶妙のパスを出し、それを個人技で柳沢が決めたというサッカーのあり方を否定したかった。中田・柳沢は二人ともセリエAでプレイする、優秀な個人である。しかし、中田は、予測される日本のメディアの「見出し」――二人の優れた個人の創造性が得点を上げた――を、なによりもまっさきに、否定しなければならなかった。彼は、少なくとも、浅いディフェンスラインを引くルーマニアの陣形を見て、チーム戦術としてその裏をつく作戦が功をそうした、と強調したかったのだ。ルーマニアの浅いDFラインは、日本代表を甘く見た陣形である。「お前らに裏を取られっこないさ」、という挑発である。それが中田の闘志に火をつけたのだと思う。しかし、中田の闘志に呼応するチームメイトはいなかった。それが、中田の怒りの本質である、と私は解釈している。
当然、相手の浅いDFラインを見れば、ベンチの指示もそこに行きつくはずである。前にいるFWの柳沢・高原、あるいは左サイドの俊輔が中田のパスを予測してサイドに開くか、相手GKとDFラインのスペースに走りこむことが鉄則である。しかるに、チームとして、その形を追求する姿勢がみられなかったのだ。あの柳沢の得点シーンをのぞいて。
たとえば、俊輔は中田と同じように、自分がパッサーであろうとする。高原はゴール前でロビングボールや足もとのパスを待っている。前に位置する4人の意志はバラバラというわけだ。中盤もしかり。ボランチの稲本、小野には、中盤を追い越して前やサイドに出る意志も意欲もない。左右のサイドバックにも中田のスルーパスに反応するスピードがない。いくら中田が優秀なパッサーであっても、それを受けようとする選手がいなければ、得点に結びつかない。
チームとしてのまとまりを欠いていたのでは、いくら試合を重ねても、チーム力があがらない。規律とか組織とか約束とか戦術とか、いろいろな表現があるけれど、要は一つ。チームとして、相手の戦術にどう対応していくかという意思統一の有無なのだ。
それを裏付けるコメントがある。ジーコジャパンで初めて代表に選ばれた藤田は、ルーマニア戦のあと、「代表は、チームになっていないね」とコメントした。藤田は、ジーコ監督が、小野、中田、俊輔、稲本のいわゆる「海外組」に絶大な信頼を寄せ、それ以外の選択肢をもたないことを嘆いてみせた。「このチームでは、控え選手がモチベーションを維持することは難しい、特に若い選手は・・・」と続けた。いまどきのサッカーが、「固定メンバー」で乗り切れる時代でないことは、リーグの監督を経験したものならば、容易に理解できることだが、その経験すらない「神様」は、1つの選択肢に固執したまま、無駄な時を過ごしている。目先の1勝にこだわり、近い将来にやってくるかもしれない危機管理を怠っている。
中田がプレイングマネジャーの役割を荷わされ、ピッチにいる人間が一番試合の状況を理解できているのだから、彼が指示を出すのがいい、と言われたのでは、彼が全責任を負わされたようなものだ。それを中田1人に求めるのは酷である。1人の選手がピッチのすべてを把握することはできない。選手は個々の目で。自分の役割のなかで試合をみているにすぎない。一選手に俯瞰のアングルを求めることは不可能なのだ。中田は、トップ下として、自分のスルーパスに反応するようにまわりに求めているにすぎない。彼がボランチと最終ラインの位置関係の誤差を修正できるわけがない。SBが上がる時間帯を決定できるわけではない。
監督の指導力不在が続けば、中田の怒りは、そして藤田の嘆きは、これからも、おさまることはなかろう。



2003年10月12日(日) アジアからのメッセージ

ルーマニアとアウエーで引き分けたサッカー日本代表。きょうのマスコミ報道は「ジーコジャパン礼賛」記事のオンパレードかと思ったところが、まるで展開が違っていた。火付け役は中田のコメントだ。彼は、「このチームは(選手同士)、話をしなさすぎる」といったが、批判の矛先は選手のように見えて、指導力のない監督に向けられていることは明らかだ。また、川口は、「このままでは、アジア予選で勝てない」、中沢のコメントは、きのう紹介したように、「このチームには、なんの約束事もない」。
こうした選手の声が報道によって表面化してきたということは、それ以上の不満が選手の間に充満していることを意味する。また、それをマスコミが報道するということは、ジーコ監督評価に変化が出てきたということだ。
さて、テレビでは、サーサナ(タイ)vsアルアイン(UAE)のアジアクラブチャンピオン決定戦ファイナルが実況されている。気温30度、湿度70%の過酷な条件のなかで、両チームの選手の運動量が落ちない。アルアインの監督は、日韓W杯でセネガルを率いたメソだ。実況アナ氏によれば、カタールリーグにはイエロ(スペイン)、バティステュータ(アルゼンチン)がプレイしているという。もちろん、カタールの代表監督はトルシエだ。中東には世界の選手・指導者が集まりつつある。
それだけではない。タイのサーサナのホームでの強さは、目を見張るものがある。中国も恵まれた体力を生かしたパワーサッカーで力をつけている。イランは民族的にもヨーロッパ型のしたたかなサッカー・スタイルを堅持している。アジアの強豪は、韓国だけではないのだ。少なくとも、サーサナ、アルアインは、鹿島、清水を破っているのだ。両チームに共通するのは、攻守の切り替えの速さと豊富な運動量。両チームの監督が選手にそれを求めている。逆にいえば、それがなければチームはリーグ戦で勝てない。Jリーグでも、それを志向する市原、横浜がいい成績を上げている。
仮にアジア予選で、たとえば、タイ代表が酷暑のホーム・バンコクで、万全の調整のうえ日本代表を迎えたとしよう。おそらく、いまの日本代表ならば、タイ選手のスピードと運動量に圧倒され苦戦を余儀なくされるだろう。勝敗はもちろん、わからない。というか、勝てない。
いまの世界のサッカーの潮流がそこにあることは何度も、このコラムで書いた。グローバルスタンダードの潮流が、これから日本がW杯予選で戦うアジア各国に浸透してきたのだ。中東は以前のようにカウンター、ロングボールの単調な戦術だけではない。
アジアから、重要なメッセージが発せられている。



2003年10月11日(土) 凡戦

ルーマニアvs日本の国際親善試合は、まさに「親善試合」らしい退屈な試合だった。ルーマニ・日本両国の選手同士、90分間、大いに親善を深めたのではないか。
日本代表はアウエーという貴重な体験の国際試合、ベストメンバーで試合に臨んだが、チーム再建の緒についたばかりというルーマニアとドロー。ルーマニアの1点目はムトゥの個人技といえなくもないが、日本GKのキャッチミスのように見えた。イングランド一部をクビになったこのGKを起用することは、やはりリスクが高い。
さて、ルーマニアはやる気があるのかないのか、試合を通じて、ほとんどプレスなし。日本代表は後半、中田の必殺スルーパスで同点に追いついたものの、バランスの悪いルーマニアを崩せない。目立ったのは運動量の落ちない中田のスタミナと強さ。やっぱり群を抜いている。もう1人は、中沢。中沢のディフェンス力は読みのよさからくる、安定感をもっている。
日本代表、毎度おなじみのダラダラ試合。なんだか、日本でどこかとやった国際親善試合のVTRを見ているようだ。課題のはずの中盤の攻撃参加が見られない。とくに中村、小野、稲本が悪い。前に出る鋭さが見られないから、サッカーがつまらない。「黄金の中盤」とやらを解体しないと、スピードのあるチームに対処できないのではないか。MFにサイド攻撃のできるスピードのある選手を必要としている。
結論は、3バックに戻して、中盤の左サイドに三都主を起用し、早い攻めで相手を崩す。現状戦力ならば、三都主の才能という武器に頼るしかないだろう。その場合、中村は三都主、中田の控えにまわる。いまのまま、4バックにこだわるのは危険だ。それでもあえて、右SB(サイドバック)について、1試合目の新戦力・加地と、2試合目先発・山田を比較するならば、どちらもレベル以下だが、加地の方が可能性がある。山田がなぜ、代表で先発なのか私にはわからない。
それにしても、試合をただ傍観するだけのジーコ監督には困ったものだ。せっかく召集した新メンバーなのだから、どのような形であれ、2試合のうちどこかで起用すべきだろう。この監督、選手を代える勇気がないと見た。
W杯アジア予選の開幕まで、これで海外遠征はないという。今回の北アフリカ・東欧遠征の結果は1勝1分けと好成績のように見えるが、内容的には残念ながら、失敗に終わった。



2003年10月10日(金) 組織的?

最近、ジーコジャパンの内実がだんだん、報道されるようになってきた。チュニジア戦の前後、「このチームには、なんの約束ごともない」といったのは、代表に復帰したあるDFの選手の言葉。監督の指示なし状態の下、選手が勝手にというか自主的に話し合って、戦術を決めているらしい。しばらく前、日本代表が急造代表チームのアルジェリアの三軍に勝った後、(このコラムでも取り上げたが)、有名なスポーツジャーナリスト氏が「ジーコジャパン」批判の論文をA新聞に掲載した。その論文の内容は、代表監督の「策なし」=「創造性」を選手が否定して、自主的に「組織性」を回復したことをもって、ジーコの監督能力に疑問を呈したのだ。その結果かどうかしらないが、日本代表はアルジェリアに勝った。
こうした断片的な「ジーコへの疑問」を1つの結論に導く発言があった。チュニジア戦後のルメール(チュニジア監督)の日本評だ。ルメールは言うまでもなく、日韓W杯のときのフランス代表監督。彼は予選敗退した代表監督だからたいしたことはない、という評価もあるかもしれないが、世界最強の代表チームを率いた指導者だ。素人の言葉よりは重みがある。
さて、ルメールは何といったのかといえば、「日本は組織的だった」と評したのだ。ジーコ監督が日本代表に求めたものは、「組織」に縛られない「自由」なサッカーだった。「組織」よりも「個人」、「規律」よりも「創造性」だったはずだ。ところが、監督の抽象的なチームコンセプトでは相手に対処できなくなった代表選手たちは、先のジャーナリスト氏が報告したように、監督の方向性から逸脱した「組織性」を「自主的」に構築し始めたのだ。
だが、自由だとか創造性とかの言辞は(何度も繰り返すが)、ジーコの言葉を信じる日本のサッカー関係者(とりわけ、A新聞のサッカー担当者が熱烈なジーコ信者)の錯覚だ。このことは何度もここに書いたので、繰り返さない。神様を信ずる自由は、憲法で保障されている。
日本のチュニジア戦の戦い方が組織的だったかどうかといえば、ルメールのいうように、組織的だった。世界レベルのサッカーが組織的でないことなどあり得ない。少なくとも、日本の方がチュニジアよりは組織の質が上だったから、チュニジアは得点を上げられなかった。
組織性はとりわけ、守備において発揮される。守備のリーダーシップを取ったのは中沢だった。私見では、この試合のMVPは間違いなく中沢であって、得点を上げた柳沢ではない。中沢はトルシエ時代、何度も代表合宿に参加し代表に選ばれた選手。私の評価では、日韓W杯大会に出場すべき人材だったが、最終選考で秋田に代表の座を譲った。その理由も前にここに書いたので繰り返さないが、読売(ヴェルディ)をW杯から排除するサッカー協会=A新聞の方針の犠牲者の1人だ。
余談だが、代表監督の犠牲者は、現・名古屋監督のネルシーニョ。98年フランス大会予選を控えた当時、代表監督だったファルカン解任後、協会内に設置された読売系(ヴェルディ)技術委員会がネルシーニョ(当時ヴェルディ監督)を代表監督に推した。が、協会幹部の意向で代表監督に選出されなかった。ネルシーニョに代わって協会が代表監督に推したのはK氏だった。素人監督のK氏は予選途中で解任された。中東勢の自滅でアジア予選は突破できたものの、後任のO氏がカズ、北澤を代表から落とすなどのドタバタガ続いた。日本代表はフランス大会前後、迷走を続けたことは記憶に新しい。
横道にそれたが、チュニジア戦でその中沢がDFのリーダーシップをとったということは、いまの日本代表は残念ながら、トルシエの遺産で戦っているということだ。それをジーコが認めることは100%死んでもあり得ないだろうが、現実はそうだ。
私が日本代表に期待するものはないというのも、そのことが理由だ。遺産で戦っている以上、トルシエ時代のよくて現状維持、自然の成り行きにまかせれば劣化する。06年ドイツ大会アジア予選で勝ち残っても、本大会ベスト16以上に上がることはない。アウエーの大会だから予選リーグ敗退もあり得る。なによりも、アジア予選が危ない。私は中田が元気なうちはアジア予選はだいじょうぶだといったが、このまま日本代表が遺産を食いつぶし自然劣化するならば、予選敗退の可能性の方が高くなりそうだ。
サッカーをやるのは選手だ、という「正論」ほど愚かなものはない。ジーコの求心力は認めるが、いまの日本代表が監督の求心力だけで勝ち上がれるチームでないことは、いうまでもない。日本選手のレベルが上がったというが、リーガエスパニヨール、プレミア、セリエAなどの試合を見れば、いまの日本の実力がどの程度かは一目瞭然。ホームのW杯、組み合わせに恵まれ予選突破したくらいで、その実力を見誤ってはいけない。ホームのAマッチ(国際親善試合)で稼いだ、世界24位ランキングなど、信用してはいけない。アウエーでチュニジアを破ったくらいで、日本代表の現状への悲観的見方が変わることなどない。



2003年10月09日(木) 合格、中沢

凡戦。チュニジアvs日本のサッカー国際親善マッチ。日本はチュニジアのまずい攻めとミスに助けられて、辛うじて勝った。この試合、内容的(技術的、戦術的)に見るべきものは何もなし。
試合展開は序盤、ホームのチュニジアがプレスをかけてきた。定石どおり。チュニジアの時間帯がしばらく続くが、キックミスなどで得点を上げられない。日本はラッキーだった。
チュニジアが集中力を欠いた時間帯、日本守備陣から出たロングボールをチュニジアDFが鈴木と交錯してゴール前にこぼし、柳沢がドフリーでゴール。結局、これが決勝点になった。
チュニジアは高さもそれほどでもないし、プレスもあまり強くない。日本が比較的、得意とするタイプ。確か、これまでの対戦成績でも、3勝0敗くらいで勝ち越しているはずだ。序盤、チュニジアが、自分たちが支配した時間帯にきちんと決めていたら、展開はかなり変わったとは思うが、サッカーとはこんなものだ。
さて、この試合の位置付けは勝敗ではなかった。ジーコ監督によると、新戦力のテスト、とりわけ、新DFラインだったが、私見では合格ラインを突破したのは中沢だけだと思う。TV解説のA氏、N氏が指摘していたとおり、ポジショニングがいい。読みがいいのだ。だから、危険なプレーがない。もう一人の新CBは、プレーに落ち着きがなく、危険度が高かった。左SB(サイドバック)は存在感なし。もともと突破力のない選手だけに、見ていて楽しみがない。一方の右SBは後半、チュニジアの左サイドの各選手の動きが止まり、前に出るシーンも見られたし、得点にもからんだので合格としたいところだが、サイドラインを駆け上がってクロスボールというシーンを見せられなかったことで、合否を保留したい。
ところで、相変わらずの「黄金の中盤」のもたつきが気になる。中村、中田、稲本、小野がゴール付近でプレーできていないし、二列目からの飛び出しもない。4人のシュートはあったのかどうか、というほど存在感がなかった。守備に専心したということか。海外組のコンディションが悪そうだ。
この試合、中沢と並んで合格点を上げられそうなのが、FWの鈴木だろう。前線のターゲットマンとして、強さを見せた。彼がキープしたり落としたりしても、中盤からの飛び出しがないので孤立し、攻撃の形につながらなかったことは残念だった。たとえば、中盤でスピードのある三都主あたりが鈴木のポストプレーにからめば、攻撃の可能性も広がるかもしれない。もっとも、三都主は左SBにコンバートされてしまったので、これは無理な話。
後半、藤田が入って変則の4−2−3−1(中田がFWなら4−4−2)も試したようだが、時間帯が短すぎて、効果は不明。中田がシュートでも打てば、効果あり、なんだろうけど。
なお余談だが、TVで見た限りでは、スタンドはガラガラ。Jリーグの試合より、観客数が少なかったのではないか。国際親善試合に対する関心の度合いの違いを見せつけた。アウエーとはいえ、スタンドのプレッシャーが低かったことも日本に幸いした(かもしれない)。



2003年10月07日(火) 落合監督?

プロ野球中日球団が落合氏を監督に迎えた。「オレ流」の一匹狼が管理職とは違和感がある。現役引退後はテレビ解説者として活躍、ユニークな解説者であることは認めるが、説得力に欠けた。彼の天性の野球人としての資質を自ら言語化することに苦慮している、そんなふうに見えた。中日球団が落合氏の監督能力を買って監督就任を要請したのならいいが、「落合」という名前を観客動員に利用するのであれば、愚かなことだ。「名選手、必ずしも名監督にあらず」は常識であり、「人寄せパンダ」であれば、球団にも、新監督にも、選手にも、ファンにも、不幸を招く。中日球団が落合氏の監督能力を見抜いたとしたら、球団に敬意を表したい。私のような素人には、落合氏ほど監督に不向きな天才はいないと思えるからだ。
でも考えようによっては、解説者としては説得力を欠いた落合氏だが、スポーツは言語ではないから、スポーツ選手同士となれば、彼の言葉を理解できるのかもしれない。解説ばかりがうまくっても、選手を束ねる求心力をもっていなければ、監督はできない。たとえば、いま混乱している某球団の新監督の監督就任理由が、「○○が観戦されたとき、実にいい解説をしたから」というが、そういう観点はスポーツという無政府的な分野に合わないように思う。
実際のスポーツ選手には失礼にあたるかもしれないが、私はスポーツ選手が紳士である必要を感じない。奔放にスポーツをしてくれればいいし、社会生活で多少、おかしなところがあってもいいと思っている。そもそも、天才の集まりがプロスポーツ界なのであって、そこでは超人的な運動能力がつねに求められていわけだから、「選手」で十分なのだ。余裕のある人は、社会貢献としてチャリティ、ドネ―ションをするのもいいが、それを強要しない。
さて、新監督を迎える球団は、その中日、読売、西武、ロッテ、オリックスと5球団に及ぶ。複数年契約が当たり前のポジションだから、多いとも少ないともいいにくい。なかで読売が3年契約の2年目にして、原監督を辞任に追い込んだ。私は辞めたほうがいいと思ったけれど、実は本人もまわりも、事実上の解任を快く思っていないらしい。それがゴタゴタとなって尾を引いているようだ。



2003年10月06日(月) ジーコ=鹿島>日本代表

サッカー日本代表の今回の欧州遠征に鹿島の選手が入っていない。これは鹿島と関係の深いジーコが鹿島を援助したものだ、という憶測が流れている。欧州遠征とナビスコ杯がバッティングしていることからくる「疑惑」だ。リーグ戦後期を得意とする鹿島だが、今年は中心選手のけがなどがあり、首位に立てない。そこで、リーグ戦をあきらめて、カップ戦優勝に照準を切り替えたというわけだ。鹿島と関係の深いジーコは、欧州遠征に鹿島の選手を参加させずゆっくり休養させ、遠征で疲労した他クラブを破って、賞金をかっさらおうというわけだ。リーグ優勝とカップ戦優勝の賞金は同額だという。
まさか、いくら鹿島と関係の深いジーコでも、代表を利用して、鹿島の援助をするはずがない、とは思うけれど、ジーコの代表選出には疑惑をもたれても仕方のない面がある。まず、監督就任当初、明らかに鹿島偏重の選考をした。ところが、結果が出ず批判を浴びると、さっさと鹿島の選手を外した。結果、鹿島偏重は是正された一方、代表選考がフラフラとして一貫性(コンセプト)がない。ジーコの選手選考の基準は「鹿島」だったことを自ら傍証したようなものだ。
監督には好みがある。監督の戦術に合った選手を選ぶ結果、一部サポーターの求める選手や実績と齟齬をきたすこともある。けれど、サッカーが好きなサポーターは、代表監督のコンセプトを理解して、選考結果に納得することができれば支持をする。やたら騒ぐのはスポーツマスコミ、ミーハーファンだけだ。
ジーコの場合は、みな首をかしげるばかり。まず、どういうチームをつくりたいのかが、さっぱりわからない、だから代表選手の選考理由がわからない。そうなると、ジーコの選手選考の「裏」に何かあるのでは、という「疑惑」が噴出する。いまの日本代表を取り巻く状況は、そんなところだ。おまけに、結果が出ないからよけいに、疑惑が増幅する。
いま心有るサッカーファンの間に「代表離れ」が始まっている。もちろん、日本代表にドイツに行ってもらいたいのだが、代表の試合がつまらない、代表のサッカーに魅力がない、という。
代表チームでは、中盤に海外組がひしめいていて、動きがとれない。サイドにいきのいい選手がいない。期待の三都主は不本意なコンバートで、実力が発揮できない。DF陣に存在感のある選手がいない・・・確かにそのとおりで、わたしも、Jリーグの市原、横浜、FC東京、東京V、名古屋の試合をみたほうがすっきりする。たとえば、東京Vのエンボマと平本がワンツーで相手DFをかわしながら得点するシーンに魅了される。プロだなと思う。市原の羽生、坂本の運動量、チェの決定力に驚嘆する。スーパーサブ・横浜の坂田は交代でピッチに現れただけで、何かが起こりそうな予感がする。一方、日本代表にはトキメキがない。90分間、ダラダラと見飽きた選手の工夫のない動きが続く。せいぜい、高原のゴール付近の動きくらいが唯一期待できるところ。スーパーサブもいない。わたしは、セットプレーが好きではない。そこからの得点の確率の高いことは認めるが、やはり、流れのなかでの得点シーンを見たい。たとえ得点がとれなくとも、そこでの攻防がサッカーの魅力だろう。
いまの日本代表には、相手が強いから勝てない、引き分けでいいや、負けて当然、という心的構造が定着してきたのではないか。相手が強ければ、それにまさる闘志と運動量で活路を開く――日韓大会で韓国が勝ち進んだ数試合をわれわれは忘れない。それがW杯の最大の遺産ではなかったのか。



2003年10月04日(土) お見事、岡田采配

横浜vs市原の首位攻防戦は、横浜が1点差の勝利。好試合だった。どちらもプレッシングサッカーを展開する似たタイプのチームだが、横浜のほうが力があった。市原の選手には失礼かもしれないが、はっきりいえば、横浜の選手の方が格上ということだ。市原はよく鍛えられた、規律の徹底したチームだが、やはり、日本代表クラスをそろえた横浜には及ばない。解説のK氏が指摘していたように、力の上の横浜の各選手が攻守の切り替えなど、市原同様規律を守り、しかも、運動量で市原に負けないとあっては、市原に勝ち目はなかった。得点は1点差だが、ゲームの主導権は最後まで、横浜にあった。
それにしても、Jリーグのレベルは上がってきた。上位チームのタイプは、みな似ている。この流れをつくったのが、市原だろう。横浜、浦和、市原、名古屋、FC東京の戦術は似ている。激しいプレス、ワンタッチプレー、サイド攻撃、豊富な運動量・・・など、前に書いたとおり、世界のサッカーの傾向を踏まえている。しかも、個々の選手のシエイプアップも見事で、90分、動きが落ちない選手も多い。さらに、後半、残り時間が少なくなったところで得点にからむ、ス―パーサブの役割をまっとうできる若手選手が育ってきた。彼らはスピードがあり、疲れてきた相手DF陣を混乱させ、さらに、シュート力がある。将来が楽しみだ。
これら上位チームの監督はみな、適材適所を知り、選手起用のタイミングもいい。いずれも、味のある采配を見せてくれる。どこかの代表監督のように、「勝っているときは動かない」なんて、愚かなことはしない。勝っていても負けていても、状況次第で動かなければいけないのが、サッカーなのだ。
たとえば、市原戦でみせた、横浜岡田監督の選手起用は的確だった。右サイドの佐藤に代わった清水、FWマルキーニョスに代わった坂田の二人が、得点こそならなかったが、決定的な仕事をした。守備を厚くするとか、中盤を代えるなどしない。この采配は、攻撃は最大の防御なり――という古い諺が、サッカーでは有効なことを示した。市原相手のときは、気持ちで受けにまわってはいけないのだ。
横浜が一歩抜け出した後期。このままいけば、私の予想を裏切って、横浜が前後期を制することになる。そうなれば(外れたからいうわけではないけれど)、前後期制度の意味が今年も喪失したことになる(去年は磐田が完全優勝)。希望として、このまま、最後まで横浜に首位をキープしてもらって、前後期制廃止の世論が高まってほしい。サッカーのリーグ戦勝者は1年に1チームでよい。
サッカーにおいては、何事も、グローバルスタンダードの流れに抗することはできないのだ。


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