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2005年02月26日(土) ワシントンを止めろ

スーパーカップは2−2のタイムアップ後、東京�垢�横浜をPK戦で破った。東京Vの2点はブラジルからやってきた新外国人選手・ワシントンが上げたもの。1−2で敗色濃厚だった後半ロスタイム、東京Vのワシントンが起死回生の同点シュート。鮮烈なデビューだった。
ワシントンはブラジル代表経験もあるFWで、ブラジル選手権得点王の肩書きを引っさげて日本にやってきた。見るからに大柄でがっちりとしたストライカータイプ。いわゆるヴァイタルエリアでDFに競り勝ってゴールを狙うプレースタイルが特徴だ。ワシントンが上げた2点ともファインゴールではないが、相手DFともつれながら倒れず、ファウルをせず、しぶとい。Jリーグでは珍しいタイプの選手だ。
ワシントンはアルディレス監督の期待通り、点取り屋の本領を発揮したのだが、心配事が増えた。というのは、日本代表の中澤(横浜)がワシントンに通じなかったことだ。中澤はJリーグで一流のDF、アジアでは無敵だった。ところが、体重で中澤を上回り、上半身が分厚いワシントンは中澤のチャージにびくともしなかった。もちろん、サッカーはバランスの競技だから、中澤がワシントンに負けたとしても、中澤にだけ責任があるわけではない。だが、中澤のDFは、Jリーグの「お嬢様サッカー」のレベルから突出している。先述したように、アジアレベルでは一級の身体能力を見せつけてきた。にもかかわらず、元ブラジル代表FW、重くて大きい選手を相手に、決定的な得点を許してしまった。
Jリーグは、相手とガチガチ競り合うシーンが少ない。厳しさが足りないことは何度もこのコラム書いた。ワシントンがこの先、Jリーグで得点を重ねていくようだと、日本の守備の甘さが立証されてしまう。Jリーグのディフェンダーは奮起して、ワシントンを止めてほしい。



2005年02月25日(金) 金かえせ

K1ミドル級興行は散々だった。看板のはずの竹田vs山本キッドは、山本が練習中のケガで出場できず。代わりに出たのが総合系の宮田。宮田は悪い選手ではないが、なにせK1初出場。「善戦」を評価できるけれど、竹田のローでKO負け。技術的には見るべきもののない試合だった。緊急事態だけど、なんとも、もったいない。
その竹田が準決勝を棄権。練習でいためていた足のけがが、宮田戦で悪化したためだという。見るほうには欲求不満の残る進行だ。
竹田のリザーブの新田が村浜に勝って決勝出場したものの、決勝戦では、小比類巻に1R36秒でKO負け。前蹴りがアゴに入ったというが、決勝戦にふさわしい試合だったのかどうか・・・鮮やかなKOシーン??うーむ、これまた見るほうには欲求不満の残る決勝戦だった。
ワンデートーナメントなのだから何があってもおかしくない、と、強弁できるのかもしれないけれど、バタバタした、いただけない興行だった。
蛇足で言えば、プラカオーvsクラウスの「王者対決」の判定が微妙だった。プラカオーの優勢ポイントが評価されなかった。クラウスは前のイベントでも微妙な判定で勝ったような記憶がある。クラウスに対して判定が甘い理由はなんだろうか。
人間なのだからケガは仕方がない、格闘技にケガはつきモノだ。さはさりながら、選手は試合前のコンディション調整をしっかりやってもらいたい。練習でケガをするのは、気合がたりないかオーバーワークのどちらかだろう。竹田の「血染めのサンドバッグ」は泣かせるタイトルだけれど、足はムエタイ選手の命。命を粗末にするような練習がスポーツとして適正な練習なのだろうか。私は、竹田は大好きな選手の一人だし、山本キッド不出場で萎えた面にはもちろん、同情する。けれど、このたびの結果(失態)については大いに、反省をしてもらいたい。



2005年02月20日(日) 野球選手と喫煙

ダルビッシュという未成年のルーキー野球選手が喫煙で謹慎処分された。このルーキー、甲子園のスターだったらしい。おそらく、高校時代からの喫煙者だろう。甲子園が純粋な高校球児の大会だなんて思っている人は少ないだろうけれど、実態はこの程度だと思う。不祥事とやらで高校が出場停止になることはよくあることだし。
そもそも、未成年のハイスクールベースボールを狂気のごとく報道するマスメディアが悪い。高校生がスターになり、増長する。メディアは高校生が学生生活のクラブ活動の1つとして、野球というスポーツを楽しめる環境を奪ってしまった。高校生が日本中からプロ選手顔負けの注目を浴びる。このことが異常でなくて、なんであろう。卓球の「愛ちゃん」もそれに近いけれど、彼女は天才。
高校野球が普通のクラブ活動に戻ることはあり得るのだろうか。おそらく私が生きている間はそうならないだろう。高校野球→プロ野球(巨人)人気というのは私の価値観では同じだ。どちらも、巨大メディア、新聞社がつくりあげた幻想にほかならない。新聞が異常な取り上げ方をしなければ、それ相応のレベルで落ち着いているものだ。高校野球に熱中する人もいるだろう。それは通常ならば、「オタク」に近い。だって考えてもみたまえ、高校生の卓球の全国大会に入れあげている人がいたとしたら、「タッキュウオタク」だろう。プロ野球野球の巨人だってそうだ。巨人ファンがいることは当たり前だけれど、それは東京の一部の野球ファンであることが普通ではないか。巨大メディアが新聞拡販のためにスポーツを利用する。巨人の方はプロ野球だから許せるけど、アマチュアの高校生を使うことは許しがたい。そろそろ、「センバツ」とかいう、わけの分からぬ高校生の全国野球大会があるようだ。
さて、未成年者の喫煙は法律違反だし、アスリートが喫煙したら、運動能力に悪影響を及ぼす。ダルビッシュはスポーツ選手として、失格だ。当たり前だけど、プロなら成人してもタバコを吸ってはいけない。身体が資本のプロ野球界に入って、なんでタバコなんだろう。おそらく、日本のプロ野球界には喫煙者がたくさんいるからだろう。このルーキー、先輩を見習ったのだろう。プロ野球専属の記者は、アングラでプロ野球喫煙者リストを公開したらいい。情けない話だ。それにしても、喫煙者がやっているスポーツなんて、私はカネ払って見たくない。



2005年02月19日(土) シンプルに行け

A3で横浜マリノスが韓国Kリーグ王者の水原に1−3で完敗した。第一試合でも韓国の浦項と引分に終わっている。横浜にけが人が多く、レギュラーを欠いたこともあるが、JリーグはKリーグに勝てない。
勝てない理由はいろいろある。素人目にもわかるのは、韓国の圧力に抗しきれないことだ。とにかく韓国チームは厳しい。この試合、1−1で迎えた後半、水原がすごいプレッシャーをかけてきた。横浜はパスをつなごうとして相手にひっかかり、ボールを奪われて再三ピンチを招いた。浦項との試合も同じように押された。当コラムでしばしば指摘してきたように、Jリーグの「お嬢様サッカー」の弊害が現れた。
テクニックでは横浜の方が上回るのかもしれないが、サッカーはゴールにボールを入れればいいのだから、いくら華麗にパスをまわそうが、得点につながらなければ意味がない。
横浜で水原のプレスに耐えられたのは栗原だけだった。栗原は、横浜DFの若手のホープの一人として、楽しみな存在だ。レギュラーに定着してほしい。
相手が猛チャージをかけてきたら、どうすればいいのか。放送アナ氏が岡田監督の「シンプルにやるように」という指示を紹介してくれたが、解説の奥寺氏が「それが一番難しいんです」と笑った。さすが奥寺氏、サッカーの本質をご存知のようだ。
私たちはサッカーの難しさを知らない。どちらかというと、華麗なターンやオーバーヘッドキックに目がいく。何本も続いたパスやドリブル突破がすごいと思う。でも、個人技、チームプレーを問わず、究極的にはシンプルにできることが、勝利への近道なのだ。
水原と横浜の試合を見ていて、私は先の北朝鮮との戦いを思い出した。猛チャージをかけてくる北朝鮮に対して、ジーコは「ボールキープ」を指示したらしいが、この場合、監督の指示としては岡田氏の「シンプルに行け」が正解。私は心配症なんだろうか、どうもジーコが代表監督だと落ち着かない。戦術的な誤りがも多すぎるような気がしてならない。日本代表がリードしてから、「シンプル」に展開していれば、あれだけ苦戦することはなかったのかなと思うと同時に、日本代表が「シンプル」に展開する練習をしたことがあるのかな、と心配になってしまった。
そればかりではない。かつてジーコが打ち出したのは、「黄金の中盤」だった。いまではすっかり忘れられた陣形だが、中盤でパスばかりまわしていたら、プレスの強い相手の絶好の餌食だ。タテに向かって、とにかくシンプルに、早い攻撃ができる選手を代表に選ばなければ、この先、韓国との力の差は大きくなるような気がする。韓国に引き離されるということは、世界から引き離されることを意味する。アジア杯で優勝したものの、サッカーのレベルでは韓国のほうが上のようだ。
日本サッカーに必要なのは、スピード、パワー、そしてシンプルな展開――なんだけど、そういう方向を向いていないな、いまの日本代表は・・・



2005年02月16日(水) ドイツへの道(完)

日本代表はかなり遠回りをしながらも、昨年、W杯アジア一次予選を突破しアジア杯を制した。そして、05年、W杯アジア最終予選の初戦に勝利し勝点3を上げ、グループトップに躍り出た。結果から見れば、順風満帆、ジーコを評価しなければいけないのではないのか。そう思いたいところだが、私が描く代表のイメージと、いまの日本代表の姿とは相容れない。
たとえば、話題の北朝鮮との戦いでは、日本は1点リードしたところで、ボールキープをし出した。キープにこだわるあまり、バックパスが増えて、自陣に押し込まれた。がむしゃらに突進する相手に対する戦術としては、最悪の選択だ。プレスをかける相手に対しては、追い込まれる前にワンタッチで素早いパス交換をして、ゴールに迫れれば理想だ。あるいは、前線(FW)にロングボールを当ててキープし、走りこんでくる二列目が仕事するパターンも考えられる。相手のプレスにかからない攻撃ができれば、追加点のチャンスはあった。猛烈なプレスをかけてくる(ことが予想される)相手に、バックパスをして後退するような選択はない。北朝鮮というチームが、後半のある時間帯に猛チャージをかけて得点を狙いにくることは、データにあった。
いまの日本代表は、相手チームの攻守のパターンが見えていない。戦ってみなければ相手のことなんかわからないよ、というのであれば、草サッカーだ。プロフェッショナルではない。北朝鮮戦、相手のスタミナが切れて勝ち越されなかったことは、幸いだった。日本がアウエーだったら、負けていたかもしれない。
ではどうすればいいのか。もちろんジーコが監督を辞せばそれでいいのだが、現実的にそれがないとするならば、ジーコに注文を出すしかない。
注文の1番目、「Jリーグの尊重」。代表チームはJリーグを基盤とせよ。たとえば、Jリーグでレギュラーでなければ、代表に呼ばない。大黒の成功で十分、実証されたことだが、Jリーグで活躍している選手は代表でも活躍できる。海外クラブに籍を置いていても、試合に出られない選手は、代表にしない。プロは実績重視だ。一昔前なら「海外留学」を「いい経験」と呼べたかもしれないが、いまは海外であれ日本であれ、プロならば試合に出てナンボ。
余談だが、代表選考では、Jリーグの順位は無関係だ。下位チームにいても、規律をもってプレーする選手ならば、代表に値するか否かは判断できる。
2番目、「選手を見る目はヨコ一線」。ケガ人はだめ、コンディションの悪い選手はダメ、実績があっても調子が悪い選手はダメ、規律を理解しない選手はダメ・・・特定の選手にバイアスをかけて、調子のいい選手を排除することは愚策だ。公正な競争原理を導入してほしい。とにかく、最後の練習まで見極めて先発を発表してほしい。先発メンバーの試合前発表は、いただけない。
3番目、予選リーグ、「選手のやりくりこそ、監督の腕のみせどころ」。代表チームを預かった以上、間違っても「固定メンバー」などといわないでいただきたい。貴重な親善試合を無駄にしないで、可能性を広げるように上手に選手を使ってほしい。メンバーを固定したところで、長期の予選リーグでは、およそ固定になり得ない。柔軟性、幅広くかつ多様な選択肢が代表強化にとって不可欠だ。
神は英語でGODという。GODとは、創造(Generate)、維持(Originate)、破壊(Destroy)の頭文字だ。代表チームも同じことだ。新しいチームをつくり維持し破壊し、そしてまた、創造し維持し破壊し・・・の繰り返しだ。それができなければ、代表監督としては凡人以下だ。選手が入れ替わることにより、代表チームにも浮沈は必ずやってくる。そのなかで、やりくりが超絶的に噛み合ったとき、最終勝利がやってくる。予選突破すなわち栄光の到来だ。
サッカーは人生に似ているというが、代表監督は神に似ている。だから私は、サッカーの監督を尊敬している。ただ勝てばいい、というのではサッカーを見る楽しみがないではないか。ゆえに、サッカーの監督への要求もまた厳しいのである。
ドイツへの道は険しい。もう一波乱、二波乱あると覚悟しよう。代表や監督にとっては辛い道だろうけれど、われわれファンにとっては、批判や非難も楽しみのうち。もちろん、ジーコやサッカー協会の幹部に恨みがあるわけではない。



2005年02月15日(火) ドイツへの道(続)

日韓W杯で日本が予選リーグを勝ち抜き、ベスト8をかけて戦ったトルコ戦。この敗戦の総括が今日に至るまでの日本代表の針路を決定した。仙台で行われ雨中の戦いは、日本中を覆った、予選リーグの熱気を冷ますに十分なものだった。現場で試合を見た人、テレビで見た人を含め、欲求不満の残る試合だった。なぜ、日本は動けないのか、と焦燥に駆られた人も多かったと思う。もちろん私もその一人だった。
トルコ戦の敗北から、トルシエが行ってきた指導の限界という結論を引き出したサッカー関係者があったようだ。部外者の私はそのような結論の有無も詳細も知らないのだが、そのような文書もしくは報告書があったと聞いている。「トルシエ限界説」とジーコの怒りが地下で一つの水脈を形成し、代表監督の人選が進んだことは想像に難くない。
私は「トルシエ限界説」の有無も詳細も知らないので、推論の域を出ないのだが、とにかく、日本のサッカー協会が打ち出した結論は、トルシエが4年間行ってきた方法論では日本は世界に通じない、ということだった。トルシエにかわる指導方法を導入せよ、それがドイツへの道を目指す絶対命題になった。
さて、当コラムで紹介したことがあるが、ルシェンブルゴ(元ブラジル代表監督)のレアルマドリード監督就任のコメントを思い出してほしい。ルシェンブルゴは、「わたしのサッカー哲学は規律と団結、勤勉、プロ意識の4つが柱。レアルにもこの信念で臨む」と語った。この指針はトルシエが行った指導方法となんら変わらないと私には思える。ルシェンブルゴは、レアルではなく日本代表監督に就任したとしても同じコメントを残しただろう。哲学というのは、状況によって変わるものではない。もちろん、思いつきではない。ルシェンブルゴでなくとも、プロフェッショナルな監督ならば、自分のサッカー哲学を披瀝するとき、同じようなコメントに落ち着くはずだ。日本がトルコに敗北したからといって、サッカー哲学が「日本向け」に変わることはない。指導理念、サッカー哲学という普遍的なものは、日本代表でもレアルでもドイツ代表でも変わらない。組織ではなく個人だとか創造性だとかというもっともらしいスローガンが挟みこまれる余地はない。
私はトルシエがどのようなサッカー哲学を語ったか知らない。それを調べてみようとさえ思わない。なぜなら、トルシエが示した指導理念は、その実践において、ルシェンブルゴの哲学となんら変わるところがないからだ。
もちろん、哲学が同じだからといって、具体的指導方法が没個性となることはない。監督ごとにサッカー観は異なるだろうし、日本とレアルでは選手の資質が違う。サッカーには風土性が反映するから、練習ぶりも戦いぶりも、国や地域や人種で変わる。そんなことが問題なのではない。
日本サッカーにおいて重要なのは、指導理念の継続性だった。サッカーの背骨に当たる哲学は、規律・団結・勤勉・プロ意識のまま、ぶれることがあってはならなかった。軸がぶれないことが、4年間という年限で無駄なく効率よく向上する条件だった。今に至っては、すべて手遅れというものだが。
私は日本がドイツに行く確率は高いと思っている。けれども、行けないことも覚悟している。サッカーでは、何が起こるかわからない。
とにかく、結果を問わずとも、02年日韓共催のW杯が終わったトルコ戦から05年の今日まで、日本サッカーが進んだ道に私は納得していない。この先、ドイツへの道が05年で終わるのか06年まで続くのかは別として、ドイツから続く2010年に至る道にあっては、日本サッカーの哲学を確立してほしい。この先、けしてぶれることのない軸をしっかりとおしてほしい。02〜06のマイナスをもう4年繰り返すことは、あってはならない。



2005年02月14日(月) ドイツへの道

大住良之(サッカージャーナリスト)の最近の著作に、ジーコが日本代表監督を引き受ける経緯のようなものが記されていた。大住の記述を簡単に紹介すると、それは日韓W杯で日本がトルコに負けた直後、インタビューに答えるトルシエ監督(当時)をテレビで見たジーコが、烈火のごとく怒った、という書き出しから始まっていた。ジーコは02年W杯の日本代表チームを、監督が一から十まで指示し、そのとおりにしかプレーできないチームと酷評したという。ジーコには、トルシエが選手を組織でがんじがらめにして、ロボットのように操ったように見えたようだ。
ジーコは、あるテレビのインタビューで、自分が日本にきたとき、日本のサッカー選手はノートと鉛筆を携帯し、自分の指示をいちいちメモしていたんだ、と語っていた。Jリーグが始まった当初、つまり、日本プロサッカーの黎明期、日本人選手が世界的名選手であるジーコがクラブに来て指導することになったと聞いて、ペンとメモ帳を用意して臨んだとしても不思議ははない。もちろん、世界のプロサッカーを知るジーコにとって、日本選手がメモをとる光景は異常に写ったとしても、それもまた不思議ではない。日本人選手が監督の言葉をメモしたとしても、監督の言ったとおりにしかサッカーをしないわけではない。ジーコが感じた日本人サッカー選手に対する違和感とは、異文化間の多少の、しかも、とるにたらない行き違いの1つにしかすぎない。日本人選手がメモをとったとしても、監督の指示がなければ何もできないわけではない。
さて、ジーコはJリーグ発展の功労者の一人だった。Jリーグに貢献した外国人プレイヤーとしては、リトバルスキー(市原他)、ドゥンガ(磐田)、ストイコビッチ(名古屋)を忘れてはならない。監督としては、ベンゲル(名古屋)、レオン(清水、ヴェルディ)、フェリペ(磐田)、オシム(市原)が挙げられる。ジーコが鹿島アントラーズを日本有数のクラブに育てあげた功労者であることは、もちろんだれも否定できないが、ジーコが日本サッカーの最大の功労者であるとも言えない。ベンゲルやレオンがそうだと言えないのと同じように。
ジーコ(鹿島)は、いま挙げた他の指導者と同じように、その及ぼした影響力は1クラブに限定されていた。02年W杯後、大半のサッカーファンがジーコを日本代表監督のイメージとして共有していたとは言い難い。日本人が描く代表監督像は02年当時、韓国をベスト4に導いたヒディングだったと思う。代表監督はプロフェッショナルでなければ、という健全なものだったと思う。だが、日本サッカー協会の選択は、知名度において郡を抜いていた、ジーコだった。「神様」と呼ばれた選手なのだから、少なくとも、妖精(ストイコビッチ)よりは上だろうか。
さて、02年W杯における問題のトルコ戦。この一戦については以前詳しく書いたからここでは、簡単に触れるにとどめる。とにかく、トルコと日本の実力差は明白だった。ホームアドバンテージ、組織力、結束力、ツキ等々をもってしても、トルコに先取点が入ったところで、日本に勝ちはなかった。それはトルシエの責任でもなければ選手の責任でもない。勝てない試合だったのだ。トルコと日本の歴史の差を挙げてもいいし、個々の選手の実力の差でもいい、経験でもいい。そんな試合だった。
問題はトルコとの差に象徴される「壁」についての認識だ。(壁は)4年で越えられると考えるか、それとも、もっと長くかかると考えるか――4年間という時間の認識が1つ。そして、(壁を)越えるための具体的方法論の有無が2つ。大住の著作によれば、ジーコは自分が指導すれば、壁は4年の準備で越えられると考えたようだ。
そう考えない指導者もいる。世界の代表監督経験者の多くは、日本代表監督を引き受けるに当たって、必ずしもジーコと同じ立場をとるとは限らない。冷静に考えてみればわかることだが、トルコに負けた日本が4年後、トルコと10回戦って10回勝てる実力を身につけられるはずがない。だが、4年後、4回勝つ実力はつくだろう、あるいは5回くらいは・・・それが自然だと私には思える。
94年のアメリカ大会に日本は行けなかった。98年はいっぱいいっぱいでフランスに行けた、そして02年は開催国として、予選突破できた。だから自分が監督になったら、ドイツに行ってベスト8が可能だと断言できる監督はおそらく、「神様」以外いない。06年、予選突破だって、簡単ではないのだ。現に、昨年から直近の北朝鮮戦に至るまで、日本代表の薄氷を踏む勝利をわれわれは何度も見てきた。
少なくとも、理性あるプロの監督ならば、日本代表が欧州強豪代表チームに4年間で追いつける、とは言わない。日本代表の長所と短所を分析し、実力の差を縮める努力とその差を補う道筋を探るはずだ。それが普通のやり方だ。欧州、南米、アジア、アフリカを問わず、ほとんどすべての代表チームがとるべき道筋だ。
代表監督という職業では、ときに大言壮語、ビッグマウスが必要なのかもしれないが、理性ある監督ならば、前任者の功績に敬意を表しつつ、その遺産を無駄にせず、まかされたチームを強化するための貴重な時間を無駄にしたりはしない。いわんや、批判した前任者のとった方法に次第に還帰してしまったとしたら、大言壮語の批判はいったいなんだったのか、ということになる。迂回して浪費した時間はもう戻ってこない。前任者の否定、無限の自己肯定――という、オルタナティブな選択ほど愚かなことはない。(文中敬称略)



2005年02月10日(木) 弱点

昨日の北朝鮮戦は、日本サッカーが抱えている問題点を浮き彫りにした。辛勝しようが楽勝しようが、とにかく勝点3の「結果」を得られたのだからよし、とする評価・報道もあるようだが、私の考えはそれとは違う。

(1)お嬢さまサッカーのツケ
日本代表は競り合い、球際、一対一で劣っている。とにかく弱い。たとえば、FW玉田。彼は相手DFのチェックにすぐ倒れて、審判にファウルを要求した。このような行為は、私が最も嫌いなものの1つだ。国際公式戦の審判は、もらいにいった「ファウル」を絶対にとらない。しかも正当なチャージに対して審判にファウルを要求すれば、審判に対する侮辱でカードをもらう可能性がある。きのうは幸いにも、玉田にカードは出なかったけれど、アウエーならわからない。反省してほしい。
玉田の見苦しいプレイの背景には、Jリーグの「お嬢さまサッカー」の横行がある。日本の審判は競り合いよりも華麗なパス回しを好む傾向があるので、選手同士がガツガツ肉弾戦を演じはじめる前に、すぐ笛を吹く。試合が「荒れる」のを恐がっている。荒れたっていいじゃないか。正当なのか汚いプレイなのかを見極めるのが、審判の仕事なのだ。何人退場者が出ようが、自分の裁定が世界基準なのだ、という信念をもって笛を吹けば、選手だって理解できる。
その一方で、日本選手の不当なファウルが目立った。競り合いの中で、手を使って相手を押したり引っ張ったりするプレイだ。手を使うかショルダーチャージかは、国際級審判なら、見分けがつく。
とにかく、日本代表は、肉弾戦で北朝鮮に負けていた。先述した玉田と、強いと言われている小笠原の二人が、相手に「つっかけ」られ、簡単にボールを奪われていた。欧州の強豪の当たりはもっと、きつい。

(2)新戦力の補充がない
きのうは控え(大黒・高原・中村)が活躍して、日本の選手層は厚くなったように見えるのだが、次のイラン戦(アウエー)には、三都主、田中が出場停止となった。ところが、報道によると、ジーコ監督は、三都主の代わりに三浦(淳)を起用する、と明言したらしい。ジーコ監督のこのような“軽さ”を、私は理解できない。日本の左サイドは、三浦(淳)という1つの選択肢しかないほど、人材が払底しているのだろうか。三都主不在という「災い」を「福」に転じようとは思わないのだろうか。こういうときこそ、村井(市原→磐田)、相馬(東京V)らを筆頭に、Jリーグから人材を募るべきだ。
何度も書くように、先発を事前に公表するジーコ流は、選手にも勝負にも適さない。最初から最後まで、試合に出たいのがスポーツ選手。先発を保証された選手はいいが、先発から外された選手はどんな気持ちの整理をするのだろうか。数ヶ月先の試合について、キミは先発で使わないよ、と言われたら調整に身が入る選手は少ないのではないか。
そればかりではない。一般論として、戦う相手に自分達の陣形を知らせる武将がいるのだろうか。緻密な作戦を立てる相手ならば、シミュレーションの機会を与えてくれて、喜ぶだろう。とにかく、代表監督には、全選手を横一線で見る視線が求められているのだ。

(3)「ドーハの悲劇」の埋め合わせ
日本代表がここまで、致命的な結果に至らなかったのは、神がかり的な強運からだ。さすが、「神様」だけのことはある。ジーコ監督の運の「強さ」は認めないわけにはいかない。
けれど、日本代表に続く幸運は、サッカーの本当の神様がドーハで日本代表が被った悲運に哀れんで、幸運を少しずつ返済してくれているだけなのかもしれない。返済が終われば、逆に、ドーンと悲運がやってくる。マージャンだって、一人勝ちは続かないじゃないか。



2005年02月09日(水) だめだ

あんな相手にこんな勝ち方はない。前半、フリーキックで1−0とリード。楽勝かと思ったが、消極的な試合運びで墓穴を掘った。反省の多い試合だ。もっとも、北朝鮮のミドルシュートをクロスと見誤って反対のポジションをとったGK川口もどうかと思うけど・・・
日本選手に固さがあったというよりも、リズムがなかった。シーズンオフから、いきなり予選の初戦を迎える難しさはわかる。もちろん、調整試合は2試合組まれていたが、成果に結びつかなかったようだ。選手の頭は本番モードでも、身体は冬眠状態だったのか。相手が北朝鮮でよかったのかもしれない。後半、北朝鮮がスタミナ切れで消極的になった分、日本がボールをまわせて、勝ち越せた。大殊勲の大黒には失礼にあたるが、ラッキーだった。
指揮官・ジーコ監督のゲーム観に疑問が残る。相手北朝鮮の弱点がGKであることは素人目にもわかった。まともなキャッチができないのだ。ならば、左右からのクロス、中盤からのハイボール、ミドルシュートでゴール前を“脅かす”攻撃を指示すべきだった。結果的に、選手起用が当たったので、監督が勝ちを引き寄せた試合のように見えるかもしれないが、楽勝の相手にてこずった主因は、指揮官にゲームプラン、とりわけ攻撃のそれが欠如していたからだろう。
勝点3の犠牲も大きかった。三都主、田中がイエローカード累積で次のイラン戦(アウエー)に出場停止となった。予選6試合、主力のだれかがいずれどこかの試合で出場停止になる。何度もこのコラムで指摘したことだけれど、だから、控えや新戦力を常にテストしておかなければいけないのだ。ジーコ監督の「固定メンバーで戦いたい」という願望は理解できるが、現実はかくのごとし。2試合目で、新しいメンバーで戦わなければならなくなった。大黒が初出場で結果を出したが、このような確率は低いのであって、大黒の殊勲は、博打に勝って大金が転がり込んだようなものだ。
さて、代表における三都主の控えは東京Vの三浦(淳)だが、いま現在、東京Vの左サイドのレギュラーは若手の相馬だ。難敵イランに対して、クラブでレギュラーになれない三浦が左サイドで先発することに納得する人は少ないだろう。三浦のケースは、ほんの一例に過ぎない。ジーコ監督の代表選考は、ことほどさように、おかしいのである。
もう1つ、ジーコ監督が先発メンバーを数日前に発表するが、こおれもおかしい。「海外組」は調整が悪くて「国内組」は調子がいい場合が、確率的には高いけれど、この試合に限れば逆だった。特に先発の「国内組」のボランチ・遠藤、福西はまったく、存在感がなかった。ここに小野、稲本がいれば試合展開は変わっていた可能性も高い。
選手の体調や練習を見届けて先発を決めるべきなのであって、ジーコ監督を含め、代表チームスタッフには、個々の選手の調子を見極める能力がないのではないか。
ジーコ監督の「固定」へのこだわりの弊害が出た試合でもあった。監督の失態を、とにかく、大黒が救った。



2005年02月08日(火) 楽勝だろう

あす、いよいよW杯最終予選の第一戦が始まる。対北朝鮮戦だ。この試合、どちらが勝つのかと問われれば、もちろん、日本が勝つ、と答える。スコアは3−0くらいの大差だろう。最近の北朝鮮の試合を見たことがないので、この予想はもちろん根拠がない。予想というよりも、希望に近い。
日本優位の当たり前の根拠としては、FIFAランキング、ホーム開催、経験差、体力差などがある。大観衆のアウエー戦の経験がなく、場慣れしていない北朝鮮選手は、日本のサッカー場の雰囲気にのまれ、緊張を強いられ、身体が動かないのではないか。日本が致命的なミスをしなければ、負けることはない、と思う。ここでがっちり勝点3がゲットできるはずだ。
いやな展開になるとしたら、両者に得点が入らない場合だ。実力差があっても0−0という均衡が長く続くと、ゲームを動かすのに骨が折れる。そのままゲームセットになれば、日本は負けに等しいドローという苦杯を舐めることになる。サッカーは何が起こるかわからない。
あと懸念されるのは主審の「実力」だ。北朝鮮の危険な反則タックルやチャージをしっかり見てくれるかどうか。アジアの審判はどちらかというと、反則に甘い傾向があり、下手な主審ほど自分は公平でホームアドバンテージにとらわれていないことを印象付けるため、アウエー(北朝鮮)に甘い笛になることもある。こればかりは、対処の仕様がないのだが。



2005年02月06日(日) 日本代表の実力

いまの日本代表は強いのか弱いのか、実力は上がっているのか。素朴な疑問が残っている。確かにアジア杯では困難な状況の中で優勝を果たした。その前の欧州遠征ではチェコに勝ちイングランドと引分けた。ところが年末のドイツ戦では、ドイツに一方的におしまくられ、欧州強豪の強さばかりが目立ってしまった。
日本代表は最近、だれもが理想だと考えるメンバーを組めていない。ヒデ、小野、高原、俊輔の海外組のだれかがケガだったり不調だったりで、日本代表に参加していない試合が続いている。きのうも書いたけれど、海外組の不参加がいまの国内組中心のメンバーの固定という状況をつくりだし、チームとして結束力が生まれ、思わぬ勝利を手にしてきた。このことは偶然であり、監督の意図するチームづくりではなかったが、結果が良かったので、ジーコ監督は、個人の資質よりもチーム力、結束力を重視するようになった。
さて、02年日韓W杯に至るまで、前監督のトルシエは、選手の資質を認めながらも敢えてそれを否定し、頑なに組織、規律、結束力を掲げ、世界レベルより下の日本代表チームを鍛える指針とした。トルシエの方針はW杯ベスト16という結果に結実し、彼は監督としての仕事を成功裡に終えた。トルシエには幸運もあった。W杯が自国開催であったため、予選を免除された。ホームアドバンテージもあった。予選の組合せにも恵まれた。でも、大会には運不運はつきものだし、トルシエでなくても、このくらいの運の恵みはあっただろう。私がトルシエを評価するのは、自ら掲げた指針どおり仕事をして、結果をだしたことだ。日本代表が勝つために必要なものを彼は知っていたのだ。
一方、ジーコ監督にいたっては、試行錯誤の連続だった。個人の資質を重視するといい、創造性を掲げながら、いまは選手に規律(コンビネーション)を求めている。トルシエのフラット3を否定して4バックにこだわりながら、いまはトルシエ時代の3バックに戻っている。海外組という資質に優れた選手に依存すると言いながら、彼等抜きで結果が出ると、海外組不要と宗旨替えをする。
いまの日本代表の指針は、トルシエ時代と変わっていない。ヒデが抜けた穴を他の選手が補っているが、基本形は02年当時から進化していない。違いはDF陣の成長だ。とりわけ、中澤、田中の存在が大きい。中澤はトルシエのとき不運にも代表に選ばれなかったが、当時でも代表の力はあった。FWについては、鈴木は02年のメンバーだし高原は病気で代表に選ばれなかっただけだ。ボランチの小野、稲本はいまはケガで精彩を欠いているが、福西、遠藤と資質という面で比較すれば、前者のほうが実力は上だ。ざっと見た限り、トルシエが発見し築き上げた代表チームの遺産を引き継ぎ、3年がすぎたことになる。もちろん玉田や加地といった新しい選手も台頭しているが、基本的には、「トルシエチルドレン」が年を重ねただけなのがいまの日本代表の実態だ。3年、4年で簡単にいい選手が出るはずもないという見方もあろうが、トルシエはフランス大会経験者のほとんどを代表から外したことから比べれば、「ジーコファミリー」の「借り物」という趣を否定できない。
ジーコは、監督未経験者ということもあり、代表チームの育成、運営、鍛錬のノウハウをもっていない。日本代表をつくりあげる哲学がない。だから試行錯誤を繰り返し、結果をみて次に進もうとする。そして行き着いた先は、繰り返し書くが、トルシエの世界だった。
私はこのままの状態をキープすれば、アジア最終予選については、突破できると思っている。選手が監督の指針とは関係なく成長をとげ、アジアのレベルなら安定して戦えるまでになった。そのことをジーコの功績として顕彰するかどうかは、私の興味の外にある。
しかし、いまのような代表チーム運営は、日本代表がより強くなるための近道でないばかりか、日本サッカーの発展にマイナスになるように思う。その根拠として、代表選手選考、起用法、代表チームの戦術のあり方を挙げておく。いまの代表のあり方は、すべてのJリーガーを刺激し、彼等をレベルアップさせる方向を示していない。たとえば、北朝鮮戦を控えた調整試合の2試合において、同じ選手が先発しほぼ同じ時間プレーした。このような起用法を私は認めない。私なら、より多くの選手にチャンスを与えただろう。それぞれの選手のパフォーマンスをみて、最終予選の代表選手を発表しただろう。
ジーコは新しい戦力に戦術を理解させる指導力を欠いている。だから固定メンバーにこだわる。選手同士が築いたコンビネーションに依存しているからだ。とりわけ、DFについては、彼は素人に近いのではないか。DFにおけるピッチ上の監督は、宮本が務めているのではないか。
もちろん、代表監督のやり方は1つではないのだから、「ジーコ流」を認めないわけではない。このやり方で結果が出ているから「よし」とする考え方もある。「ジーコ流」はアジアの壁は越えられるかもしれないが、このままなら世界の壁は高いままだ。



2005年02月05日(土) 不毛な選択

日本代表、というかジーコ監督がまたぞろ、不毛な選択をしよとしている。ジーコが監督に就任したときは、「自由」か「規律」か、「個人」か「組織」かだった。規律・組織がトルシエで、自由・個人が自分(ジーコ)。でも、そんな選択はサッカーにはあり得ない。このことは何度も繰り返し書いたので、繰り返さない。あり得ない選択に喜んだのがスポーツマスコミだった。ジーコジャパンは、創造性があるとか・・・
今度は「海外組」か「国内組」か、らしい。こんな選択もあり得ない。サッカーでは、リーグ戦であれ代表であれ、力のある者がレギュラーになる。ただし、力のある者であっても調子が悪ければ使えない。コンディションが悪ければ使えない。モチベーションのない者は使わない。サッカーは、個人が基礎であるが、コンビネーションや戦術が徹底しなければ勝てない。集団同士のゲームなのだから。
だから、監督の仕事は、代表という寄せ集め選手をチームとしてまとめることだ。そこがクラブの監督と異なるところだ。「国内組」ならば、移動がないからコンディションは保ちやすい。そのことがレギュラー確保のアドバンテージになる。予選は「国内組」で十分だという判断もあるかもしれない。アジア杯は諸々の要素が重なって、「国内組」がレギュラーになり優勝した。この結果は、ジーコ監督の意図する代表レギュラー選考と裏腹だった。結果に満足した監督は、あれほど執着した「海外組」から「国内組」重視に宗旨替えをしてしまった。
私は、ジーコ監督が「海外組」に執着したとき、それを批判した。当たり前である、コンディションが悪い選手を、ただ、「海外組」という理由により先発に起用したからだ。これはおかしい。だが、90分使えないかもしれないが、「海外組」のだれかをある時間帯で起用すべき場面もあるかもしれない。だから、実績のある選手、経験のある選手は、局面次第もしくは戦術次第で起用したらいい。短期間の練習で個々に戦術を徹底するのが監督の仕事であり、短期間で監督の意図を理解するのが真の代表選手というわけだ。
欧州・南米においてW杯予選を戦う代表監督は、ジーコ以上の悩みを抱えている。でも、与えられた条件の中でやりくりをして、勝負しているのだ。欧州や南米の代表監督が「海外組」か「国内組」かなんて選択に迷う話を聞いたことがない。もちろん、代表選手をリーグ戦で独占しようとするビッグクラブに対する批判はある。けれど、ビッグクラブなくして欧州各国のサッカーそのものが成立しないのが現状なのだ。
呼べない選手、調子の上がらない選手、怪我の選手・・・を見越して代表チームをやりくりするのが代表監督の仕事だ。何度も言うようだが、アジア杯の結果は、代表チームのあり方、方向性の1つを示したのに過ぎない。チームとして熟成すれば勝利に近づくと。だが、それだけでは勝利し得ない壁もある。サッカーの代表チームのつくり方は多様であり、選択肢は1つではない。
海外組の力を必要とするときもある、とオシム千葉監督も言っていたではないか。



2005年02月02日(水) いい練習にはなった

シリア戦はカザフ戦よりはましな練習試合だった。シリアが想像以上に、強かったからだ。とりわけ前半は一対一で日本代表が負けていた。ちょっと骨のある相手だと簡単に勝てないのがサッカーだ。それでも地力、コンディション、モチベーションで上回る日本が勝った。当然の結果である。
だが、反省点はいろいろある。DFの自陣での軽率なボール処理があったし、中盤でボールを簡単に相手に奪われたシーンも何度かあった。シリアにシュート力がなく、枠にいったシュートは私がカウントした限りでは2本?だったので失点の心配がなく、守備の練習にならなかった。結果は3−0で、この得点差は日本の力を誇示するかのようだが、手放しで喜べるほど、日本代表が充実していたわけではない。
W杯欧州予選で全敗のカザフ、アジア地区一次予選敗退のシリアを相手にした2試合で日本代表の状態を判断することは難しいが、最低限言えるのは、日本代表が昨年のアジア杯で優勝したときの地力を保持していることだ。
さて、最終予選の展開を占えば、アジア杯で日本が辛勝したバーレーンとのアウエー戦、タレントが揃い、しかも体力で日本を上回るイランとのホームアンドアウエーの合計3試合が難しい。なかでも、イランとのアウエー戦は、勝点0を覚悟しなければいけないかもしれない。
北朝鮮との2試合で勝点6、バーレーン戦同で勝点4、イランとの2試合は、勝点1、2、3、4が考えられ、日本の勝点は悪くて11、良くて14の範囲となる。14ならばトップでドイツ行き、11でも2位でドイツ行きだと思うが、どうだろうか。私は、北朝鮮との2試合に、日本が普通の試合をすれば、ドイツに行けると思っている。


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