| 2005年05月28日(土) |
何度も同じことを・・・ |
書いてしまう自分が恥ずかしい。もう書くまいと思っても、やはり書いてしまう。諦めているといいながら、我慢できない。もちろん、ジーコジャパンのことだ。 04−05年前半までの日本代表は、麻雀で言えば「一人勝ち」状態だった、ツキまくり、カンチャン、ペンチャンを一発で積もったり、ラス牌を相手が振込んでくれたりと、親の連荘が続いたと前に書いた。しかし、ツキは長くは続かない、いずれ失われる。そんなものだ。だから、勝負事は面白い。いつも勝つ選手が決まっているのは「プロレス」だけ。 日本代表は同じような展開で2試合(ペルー戦、UAE戦)とも負けた。点が入らないFW陣、先発は鹿島の鈴木だが、彼が調子の悪いことはだれの目にも明らかだ。トップ下は鹿島の小笠原。彼がゴールへの意欲や戦う姿勢を示さないのは性格かもしれないが、代表の司令塔としては物足りない。スーパーサブは鹿島の本山。彼が流れを変えたり、ゴールを決めた試合を筆者は覚えていない。ジーコが鹿島と縁深いことを知らない人はいない。公平な代表選手選抜を期待するほうが無理というものか。 それだけではない。キリン杯で代表であっても、ヒデ、俊輔、中田(浩)、高原(ケガで欠場か?)、柳沢が海外から戻れば、キリン杯の「代表選手」はよくて控え、悪ければ代表落ちだ。柳沢、中田(浩)は鹿島出身だから、ジーコはこの二人を試合に出すだろう。キリン杯はだから、バーレーン戦のシミュレーションでも調整試合でもない。バーレーン戦の直前の親善試合にすぎない。となれば、出場した選手が意欲的になるほうが難しい。 さて、試合展開としては2試合とも同じようなカウンターで1点を入れられて負けたわけだが、中澤の不在を控え選手が埋められない結果だった。中澤の代役はケガでJリーグを長期欠場した選手で、彼が代表に選ばれる理由がわからない。 いまの日本代表はトルシエの遺産を食い潰していると前に書いた。日韓大会終了時点でトルシエ遺産が100億円あったとしたら、3年間で75億円目減りした勘定になる。ヒデ、稲本、三都主、中田(浩)、鈴木・・・と日韓W杯当時、若手だと思っていた主力選手たちがなんだか老けて見える。もちろん、俊輔、中澤、玉田、遠藤、高原、田中、大黒・・・といった「収入」(日韓大会では代表に選ばれなかった選手たち)もあるけれど、遺産の目減りを補えない。黙っていても蓄積されるのは「経験」だけだが、新たな財産形成となるものではない。残り25億円の遺産でアジア予選を突破したとしても、ドイツで予選リーグを突破することは無理だ。 極論すれば、筆者は6月、バーレーンがジーコジャパンに引導を渡してくれれればいい、と祈ってさえいる。このまま、ズルズルとジーコジャパンが続くことは日本代表ばかりか、日本サッカーにとってマイナスだ。日本サッカーは一日も早く、ジーコのサッカーから決別したほうがいい。わけのわからない代表選考の下、戦略も規律も采配もないこの代表チームを解散させて、新しい指導者の下、運動量が豊富でスピードがあり、戦略的な戦いを目指すチームをつくった方がいい。そうでないと、日本サッカーはアジア、世界から置いてきぼりを食らうだろう。 トルシエの遺産でジーコジャパンがW杯予選突破を決めれば、ジーコは代表監督として評価されるのだろうが、そのことは日本サッカーの大いなるマイナスに作用する。“ドイツに行く”という最終目標をジーコがトルシエの遺産を食い潰して果たしたとしても、その後に残るものはなにもない。 歴史は否定の働きにより、過去を保存しつつ新しいものをつくりだす。それをアウフヘーベン(止揚)という。ジーコはトルシエを否定するといいながら、否定しきれず、その遺産を食い潰すにとどまった。そのことを一般的に停滞と呼ぶ。ジーコが日本代表を率いた3年間はまちがいなく、日本サッカーの停滞期だった。早いところ、再構築に着手したほうがいい。
これまでツキで奇跡的な勝利を上げてきたサッカー日本代表だが、そのツキが完全に落ちてきた。このことは当コラムで幾度となく指摘してきた。筆者は、04〜05年前半のジーコジャパンを麻雀の一人勝ち状態に喩えてきた。麻雀の経験者ならば、ツキという概念を理解できる。ジーコ監督はおそらく、麻雀を知らないだろうが、勝負の世界に生きてきた男だから、ツキがわからないことは絶対にない。 もちろん、ツキだけでは勝てない。団体ゲームの勝負は、各人の技術・訓練・調整等、指導者の起用法・規律等、そして、コーチらによる選手のコンディションのつくり方等等でレベルの差が出てくる。それらを総合して、「地力」だとか「実力」だとか、あるいは「格」と言っている。 キリン杯の2試合は、建前はともかく、バーレーン戦の調整という位置づけだった。つまり、相手のペルー、UAEに負けることはない。ただ、勝ち方はどうなのか、それがポイントのはずだった。というのは、ペルーもUAEも「代表」とは名ばかりで、ペルーの場合、代表控え以下のチームだし、UAEの場合、若手中心で彼等の目標は2010年というのが一般的な見方だった。勝負の流れの中で、大事な一番の前の調整試合に負けてしまうのは、いいわけがない。調整試合に強豪を呼んで、けちょんけちょんに負ければ、自信喪失につながりかねない。そういうショック療法もあるかもしれないが、あまり使わない。ペルー、UAEは、どちらも日本代表が負ける相手ではないはずだった。 さて、結果としてはどちらも同じような展開で負けた。相手の狙いどおりに負けた。得点の取られ方までもが同じだった。相手のスルーパスに反応できなかったのは、両試合とも、DFの同じ選手だった。長らくケガでJリーグに出場できなかったこの選手が代表であることを不思議に思って当コラムで書いたことがあるが、レギュラー中澤のアナを埋められなかったことが証明された。 ところで、キリン杯はバーレーン戦の調整試合という位置づけだが、実は調整試合=シミュレーションになり得なかった。キリン杯の相手のペルー、UAEは、アウエーの典型的な戦い方をしたことは、だれの目にも明らかだろう。引き気味で、ポゼッションにはこだわらず、致命的なスルーパスや得点につながりやすいクロスを上げさせない。中央からの攻撃には人数をかけてはねかえす。そんな戦い方だった。しかし、来月のバーレーン戦はそうはならない。アウエーで日本に惜敗したバーレーンは、ホームでは勝ちにくる。日本が引いてくれば、必ずや押し込んでくる。日本はキリン杯では体験しなかった強い圧力を経験するはずだ。つまり、日本の立場はキリン杯とは逆転する。 そこで、ジーコ監督の采配が見所となる。日本がアウエーの戦いをする(できるかどうかが問題だが)のか、それともリスクを賭して攻め合うのか。前者ならば、日本代表にアウエーの規律があるのか。私見では、ジーコジャパンにアウエーの規律はない。せいぜい、両ボランチが守備にまわるくらなものだ。そうなれば、最終ラインに中盤が吸収されて、相手の創造的スペースを広げる結果になり、日本は試合の主導権を失う。その状態のまま90分間耐え続けることは不可能だ。ということは、攻め合ってイラン戦のように玉砕するのか。筆者のバーレーン戦の予想は、攻め合って、日本が負ける??と出た。
| 2005年05月22日(日) |
ジーコジャパン、見るべきものなし |
キリン杯の初戦、日本は遠方からやってきたペルー「準」代表に0−1で負けた。ロスタイムの失点だ。Jリーグを中断して合宿までして守りきれない日本代表とはいったいなんなのか。 そもそも、キリン杯はモチベーションの保ちにくい大会ではある。来月初旬、本番のバーレーン戦をアウエーで控えているのだから、調整という位置づけは仕方がない。それでも勝たなければいけない相手だ。ペルーは代表とは名ばかりで、実際は控え以下の構成らしい。しかも、地球の裏側からはるばるやってきた。コンディションンがいいはずがない。そんなチームに前半は軽くあしらわれるかのように守られ、後半はチャンスをつかみながら、決められない、FWの鈴木、玉田に見るべきものなし。サイドは右に入った三浦(淳)がいい上がりをみせたものの、決定的なクロスは上げさせてもらえなかった。左サイドの三都主も高い位置で勝負し、再三、チャンスを掴んだものの、ゴール前で合わない。得点の可能性がフリーキックだけでは、チームに勢いがつかない。攻めの形がないから、日本サッカーは恐くない。相手が恐がらないから、余裕をもって守られる。こんなひ弱なチーム、魅力がない、つまらない。 運動量が少ない、押し上げがない、攻めに厚さがない、サイドを崩しても、攻撃は単発。それを跳ね返せば攻撃が止むのだから、相手のDFが余裕をもってプレーできる。攻撃にスペクタクルがなく、イマジネーションもない。こんなつまらないチームにだれがした。監督を代えて、チームを作り直す余裕ある?もちろん、そんな時間あるはずない。
| 2005年05月21日(土) |
1リーグ制の方が・・・ |
周りにいる複数のプロ野球好きは、交流戦は面白いという。そんなものか。確かに、読売を1安打に抑えた西武西口のスライダーは驚異的だった。打たれた後の表情も良かったし、試合後のテレビ出演でみせたキャラクターも好感が持てた。その西口からたった1本(ホームラン)のヒットを放ったのが読売の天才・清水だったことも印象的だった。序盤、この天才をベンチに座らせていたのが、「痴将」堀内監督だ。堀内は監督を辞めた方がいい。 読売vs楽天の「最下位決定戦」も滑稽でおもしろかた。読売が二軍と試合をしているような雰囲気だった。ほかにも、普段見られない組み合わせがあって、プロ野球ファンには納得できるコンテンツなのだろう。 もちろん、交流戦は、筆者にはなじまない存在だ。オープン戦のような、公式戦のような、真剣勝負とはいうものの、覇権を争わない者が戦う意味が見出せない。順位に影響するといわれても、それは数字的に言えても、勝負としてはちがうだろう。 日本のプロ野球界では、選手の流動化がまったくないに等しい。米国のメジャーならば、ランディジョンソンがNYヤンキースにきたり、ソーサがカブスを去ったりと、チームの顔ともいうべき主力選手の移籍はあたりまえだ。だから、今年見られない投打の組合わせも、来年まで待てば実現する可能性が高い。それでも、メジャーが交流戦を行うのは、フランチャイズが確立されているためだ。「都市」と「都市」の新鮮な組合せを楽しむためだ。ニューヨークにおける、ヤンキースとメッツの戦いが地下鉄シリーズと呼ばれ、サッカーならばニューヨークダービーで盛り上がるのが代表例だ。「ダブル松井」の日本人対決のおまけまでついた。 筆者は交流戦に反対だったし、いまでも反対だ。米国のようなフランチャイズ意識の希薄な日本では、交流戦の意味がない。選手の流動化のない日本では、1リーグ制のほうが現実に合っている。1リーグ制を主張したのは、当時読売球団オーナーのW氏だったが、世間の糾弾にあって彼のアイデアは実現しなかった。オリックスのMオーナー、西武のTオーナーも1リーグ制同調者だったようだが、西武が来年以降球団を持つ可能性は極めて少ない。西武ライオンズの売却もあり得るし、楽天と西武の合併もあり得る。オリックスもしくはヤクルトがどこかと合併する可能性もあり得る。今シーズン誕生した楽天の惨状からわかることは、新球団が軌道に乗るには(経営的にではなく戦力的な意味で)、おそらく3年以上が必要となるわけだから、新球団を誕生させるよりは、統合により、来季、10球団に減る可能性の方が高い。ということは、交流戦で広がった新たな組合せ(=新コンテンツ)を真剣勝負に拡大すれば、日本プロ野球も延命できる。 日本シリーズやオールスター戦に代わるアイデアなど腐るほどある。たとえば、1シーズン制トップチームをリーグ戦チャンピオンとして顕彰し、さらに2位と3位のプレーオフで勝ち上がったチームと戦わせて、日本シリーズにしてもいい。つまり、1シーズン、優勝カップが2つあるというわけだ。あるいは、西日本、東日本の地域のトップが戦ってもいい。前期・後期でもいい。ファンがを投票で制度を決める手もある。 同時に、現在の二軍を独立採算にして、新しいフランチャイズを求め、マイナーリーグを運営すべきだ。マイナーが確立すれば、サッカーのような二部との入れ替え制度の導入もあり得る。読売のように、相手に戦力を渡さぬよう、選手を使わずに保有することは許されない。そのような愚かな球団が存続できないよう、厳しいファンの監視が必要となる。ファンの代表がコミッショナーということになる。
| 2005年05月16日(月) |
やればできるじゃないか |
昨日の交流戦、西武vs読売は警告試合が宣せられ、死球を出した投手は即刻退場、場合によっては、監督・コーチも退場という異常事態で行われた。 試合はどう展開したかと言えば、死球ゼロ、もちろん退場者ゼロだった。投手が内角球を投じなかったかと言えば、西武の新人投手・涌井は内角勝負を何度もしたし、元来逆回転のシンカー投手である読売・高橋(尚)も、堂々と内角球勝負をした。 なんだ、やればできるじゃないか。死球を出したら退場というレギュレーションの下ならば、投手は、危険球はもちろん、偶発的死球さえ出さない投球ができる。この結果が証明したことは、危険球は投手の責任ということだ。ウッズ(中日)の報復行為を批判したスポーツジャーナリズムの論評はまやかしということだ。筆者の想像のとおり、死球または打者に近い投球は、投手の故意だと断言して間違いない。打者が怒って当然なのだ。つまりこういうことだ。 ・投手が「偶然」、打者の頭部に投ずる確率は、ゼロとは言わないが、かなり低い。 ・投手が打者に当たらない配慮をすれば、死球は防げる。 ・危険球に及ぶような内角攻めをしなくとも、投手は打者を抑えられる。 ・危険球の責任は投手側にあり、打者は被害者。 ・危険球で打者を威嚇する投手に対しては、打者は鉄拳により報復する権利がある。 ・ウッズの藤井に対する鉄拳報復は許される。ウッズを「暴力」と批判したマスコミは、投手の暴力を見逃している。 さて、サッカーの場合、悪質なファウルには主審がイエローカードで警告する。得点の機会を故意に妨害したプレーや、スパイクの裏をみせたタックルなどの危険なプレーを行った選手に対しては、レッドカード(=即退場)が出される。イエロー2枚で退場だ。 この制度を野球に応用すると、次のようになる。 ・投手が打者の頭部めがけた投球をすれば、故意であろうと偶発的であろうと、レッドカード。 ・投手が打者の体近くに投げた場合、もしくは、打者の体に当てた場合、故意であろうと偶発的であろうと、イエローカード ・投手は登板中、死球を2つ出せば、退場 上記の根拠は、先述したように、投手は、警告試合のように死球が出せない状況におかれれば、死球を出さないことができるからだ。 ここまではうまく整理できたのだが、問題が残った、「死球王」のことだ。死球の最も多い現役打者は読売の清原(191)、そして、現役で清原に次ぐのがヤクルトの古田(107)。ただし、その差は90個近い。試合数は清原が2188、古田が1892で清原の方が多いが、試合数の差では説明できないほど、清原の被死球数は群を抜いている。以下、ベスト10までを掲げると、��竹之内雅史(166)、�0甞涵様此�161)、�ぐ羮綛鮎次�137)、�ヅ鎚ス�一(128)、�μ鄲執醋蕁�122)、�Р弾�俊夫(116)、�┣δ膽�(114)、��古田敦也(107)、��田宮謙次郎(104)、となっている。 清原には死球のイメージがまつわりついている。乱闘寸前の場面も多い。昨シーズン、ある夕刊紙が清原につけたあだ名が「地蔵」だった。「地蔵」は地面に立ちっぱなしで、動かない。内角球を避けないで体に当ててしまう清原を「地蔵」に喩えて、揶揄したのだ。 清原の立ち位置は、筆者の認識ではホームベースに近い。清原のヒットゾーンはホームベースの真ん中からやや外角の高めだから、できるだけ、彼はベース寄りに立つ。その結果、投手が内角球のコントロールをミスをすれば、清原が避けないため、死球になる。つまり、「清原攻略は内角球」であることは素人にもわかることなのだが、投手がコントロールをミスすれば、ホームランか死球になる確率も高い。清原は、投手にとってやっかいな存在であることは間違いないが、コントロールに自信のある投手には、それほど恐い存在ではない。 一方、味方の読売サイドからすると、清原は死球からくるケガ(不出場)のリスクの高い選手であることも事実。読売の4番にふさわしくないことはもちろんのこと、事実、最近では、シーズンとおして彼が4番であることは稀だ。
危険球については、2005年05月06日(金)「 ウッズは正しい」のところで書いた。再度繰り返せば、投手が打者に対して危険球を攻略の武器として選択する限り、野球にならない。プロの投手が投ずる硬球は凶器なのだから。 けさ、新聞を開いてあきれてしまった。昨日の交流戦、西武vs読売が危険球の投げあいになったらしい。筆者は残念ながら、この試合を見逃した。 いまさら、プロ野球が紳士の集団だと思っている人はいないだろうけれど、投手が内角の危険球を投ずることが「攻め」の投球だと日本プロ野球の関係者が信じる限り、おそらく、きのうのような醜く汚れた試合が続くことになる。 解決策は唯一つ、05月06日(金)の当コラムで書いたように、投手が打者を「保護」する立場に立つことだ。まず、危険球の定義だが、筆者は、危険球を現行規程の「頭部」に限定することは誤りだという見解に立つ。ブラッシュボール、ビーンボールはもちろんのこと、首から下でも、ホームベースを大幅に外れて打者の体近くに投じられたボールは、すべからく、危険球としなければいけない。 投手が打者に投じた危険球が故意か否かは、TV観戦の限り分からない。が、打者にはそれがわかるという見解もあり、筆者はそれを支持しているし、この見解が正しいという前提に立つ。では、投手はベース近くに構える打者、踏み込んでくる打者に対してどうしたらいいのか。もちろん、内角球それ自体は許される。踏み込んできた打者がベース近くに来た内角球にぶつかろうが、それが危険球であろうはずがない。管見の限り、これまで投手の危険球で試合が壊れたケースを思い出すと、打者は内角球のすべてに怒ってはいないからだ。 危険球がらみの紛争事例を分類すると、以下のとおりになる �(麌�行為=自軍投手が相手打者にぶつけて、相手投手が自分に危険球を投じた場合 �∩蠎蠹蠎蠅�大量点を取られ、KO降板直前の場合 �A阿梁農覆魎泙甍柄亜∩蠎蠹蠎蠅鯊任噌�んだ以降の打席に、相手投手が危険球で報復した場合 �ち蠎螢繊璽爐�執拗な内角攻めを作戦として敢行している場合 などがあると思う。いずれも、相手投手側がフェアプレーの精神に反している場合だ。危険球には伏線・背景がある。だから、打者は怒る。極端な場合は、ウッズ(中日)のように罰金、退場、出場停止覚悟で投手にパンチを放つ。筆者はウッズの行為を支持し、ウッズのような「制裁行為」が投手の頽廃を防止し、プロ野球成立を担保する行為だと断じた。 筆者は法律の専門家ではないが、投手が打者の頭部を狙って故意に硬球を投げれば殺人未遂、故意でなくとも頭部に当てれば、業務上過失が適用されておかしくないのではないか。危険球を奨励する監督・コーチには傷害の共犯として刑罰が適用されても法的に間違っていないのではないか。
| 2005年05月14日(土) |
主審・岡田はおかしいゾ |
新潟vs鹿島は2−2の引分け。この結果は新潟にとって、悔いが残ったにちがいない。後半開始早々、新潟は2点をとった。その後、鹿島がPKで1点をとり、さらに、鈴木(隆)がペナルティーエリア付近でファウルをもらい、小笠原がFKを決めた。 大雑把に試合展開を振り返れば、試合巧者の鹿島が2点の劣勢を跳ね返したように思えるが、主審・岡田は前半、不可解な判定を2度、下している。前半終了間際、新潟のエジミュウソンが小笠原を倒したとしてイエロー。微妙な判定ではない。誤審だった。VTRで見ると、小笠原のダイビングに近い。にもかかわらず、エジミュウソンにカード。次に、このFKを小笠原が外した後、壁に入った新潟の鈴木(慎)にイエローが出て、蹴りなおし。新潟の全選手が首をかしげた。 主審・岡田は、どうも、“前半・鹿島・1点リード”のシナリオを描いていたようなのだ、なぜか。おそらく、鹿島がボールポゼッションで優位でありながら、無得点だったからだろう。鹿島は首位のチーム、鹿島がこの試合は勝つ、いや勝たなければいけない・・・主審・岡田にはレフェリングという仕事の前に、無意識のうちに自分勝手に試合のイメージを描いているのではないか。 主審・岡田の不可解な判定については何度も書いた。この主審の判定の傾向としては、まず「一流選手」に有利なものが多いことが挙げられる。現日本代表選手、元五輪代表監督、気性の荒い外国人選手・・・に甘い。次に、自分の判定がいかに正確かつ公平であるかを弁明する、「パフォーマンスジャッジ」がおまけにつくことだ。たとえば、どうでもいいような細かい不正を反則にとったり、キャリアの少ない無名選手には高圧的な態度をとったりもする。3番目の特徴は、正当なチャージであっても、相手が転べばファウル、ボディコンタクトがきらいで、選手同士がもつれるとすぐ、笛で止める。だから、筆者は主審・岡田の試合を見ているとストレスがたまる。一対一でどちらが勝つのか注視しようとする前に、笛が吹かれるのだから。サッカーはボールの蹴りあいだけれど、奪い合いでもあるのだから、手を使わないファイトがあってもいい。主審・岡田のようなレフェリングが、Jリーグを「お嬢様サッカー」に仕立てあげているわけだ。 総合的にみて、主審・岡田はしばらく休養して、自分が笛を吹いた試合のVTRを何度も見直したほうがいい。選手は生活がかかっているし、ファンはカネを払っているのだから。主審・岡田がJリーグで笛を吹くということは、Jリーグの発展を著しく阻害しているし、彼の笛が続く限り、Jの発展を阻害し続けるだろう。
ACL・1次リーグ第5戦が行われ、F組で2位の横浜F・マリノスはアウエーで首位の山東(中国)と対戦し、1−2で逆転負けした。通算3勝2敗の勝ち点9で最終戦を残し、E組のジュビロ磐田に続いて1次リーグ敗退が決まった。この結果、12月に日本で開催される世界クラブ選手権への日本勢の出場はならなかった。 TV観戦の限りでは、明らかに横浜の力負けだった。敵地での圧力、あまりうまくない韓国人主審による不可解な判定、タックルて転べば、時間稼ぎとばかり、グラウンドに長時間寝転ぶ山東の選手達のアンフェアーな態度も見られたけれど、それらが敗因ではない。横浜はすべての面で山東に圧倒されていた。横浜の選手の多くは、過密日程による疲労や故障のため、調整不足が目立った。そのため、集中力、精神力、体力、運動量、スピード、身体の切れの面で、山東に負けていた。終了間際、山東のカウンター攻撃を止められなかったのは、リスク覚悟の前がかりという面もあろうが、スタミナが持たなかったためだ。 磐田、横浜といえば、Jリーグの有力クラブ。にもかかわらず、どちらも、アジアの1次リーグで敗退した。このことは良くない兆候どころか、日本サッカー凋落の始まりかもしれない。磐田、横浜を倒した、城南一和(韓国)水原(韓国)、山東(中国)、シンセン(中国)の選手は、磐田、横浜より、運動量・パワーがあり、実際の年齢を比較したデータがないものの、相対的に若いように思える。磐田・横浜に10代選手で固めろとは言わないけれど、世界のクラブでは10代のレギュラーが多数いる。Jリーグでも、森本(東京V)、水野(千葉)、本田(名古屋)らが話題に上っているけれど、話題になるということは、10代のレギュラーが珍しいということで、アジアばかりか世界の傾向を日本人が認識していないことの証左だ。 加えて、何度も書くことだけれど、筆者にはJリーグの選手の当たりの弱さが気にかかる。Jリーグの「お嬢様サッカー」では、アジアですら勝ち残れない。 日本は先のアジア杯で優勝したのだから、アジアで一番強いと思いがちだ。これは、日本人が「代表サッカー」「代表幻想」「W杯信仰」に陥っていることの現れだ。日本人が4年に1度行われるW杯を心待ちにし、その予選に一喜一憂することが悪いとは言わない。しかし、サッカーの本質はクラブ本位、すなわち、“地域密着”“国内リーグ優先”が望ましい。Jリーグが日本のサッカーの基盤でなければならない。Jリーグは、6月のW杯アジア予選のために開幕早々から過密日程を組んだ。横浜、磐田はさらにACLの試合が加わり、超過密日程となり、リーグ戦で鹿島の独奏を許している。この状態は日本のサッカーにとって、必ずしもいいとは思えない。 プロスポーツ界には、“ドリームチーム幻想”がある。プロ野球では読売が豊富な資本でそれを目指した。ニューヨークヤンキースもそれに近いものを目指した。サッカーではレアルマドリード(スペイン)、チェルシー(イングランド)がそれを目指し失敗をした。昨年から今年にかけて、その失敗を乗り越えようと、レアルはルシェンブルゴを、チェルシーはモウリーニョを指導者に呼んだ。才能のある指導者で規律を強め、チームの再構築に成功するだろう。ドリームチーム型だけではサッカーは勝てない。 日本のプロサッカー界では、ドリームチーム幻想が「日本代表」に託されている。日本のサッカーファンは、日本代表とどこかの代表が戦う試合が最高のマッチメークだと信じている。代表試合ならば、最高のサッカーが見られると勘違いしている。代表サッカーは、サッカーという体系の1つであって、最高でもなければドリームでもない。代表がサッカーの究極ではない。筆者の信ずるサッカーの体系は複合的なものであって、代表をトップに抱く三角錐ではない。代表幻想が晴れて、それぞれのクラブがそれぞれの宇宙を形成するようになったとき、日本のサッカーが根付いたといえる。
歴史的一戦だとかファン待望とか、勇ましいアナ氏の嬌声が白々しい。楽天vs読売は、まさに最下位同士の戦いそのものだった。楽天、読売の両チームがいま現在最下位にいることが自然に了解できる。最下位決定戦にふさわしい試合ともいえる。 試合展開を大雑把に言えば、楽天は先発がつぶれ、読売は中継ぎ、クローザーがつぶれた。どちらも、投手陣が弱点であることを露呈したわけだが、攻撃陣の年俸で圧倒的にまさる読売が逃げ切った。接戦というよりも、両チームのレベルの低さばかりが目だった試合だった。 読売の攻撃陣については、ここのところ監督が選手起用を改善してきたので、これまでよりも鋭さが出てきたし、新戦力がそれなりの活躍をしている。しかし、投手陣はどうしようもない。しかも、監督の起用法にも疑問が残る。大量リードでクローザーの切り札・久保を出すことが信じられないうえに、その久保が崩れるのだから、もっと信じられない。楽勝のはずが、接戦に近い6−8まで追い上げられてしまった。 そんな読売よりレベルが下なのが楽天だ。楽天の攻撃陣は、読売の二軍に外国人が入った程度の実力だ。前にも書いたけれど、この戦力ではパリーグ最下位はほぼ決まり。今シーズンは仕方がないだろう。そんな楽天に食い下がられる読売もなんというか・・・ 交流戦もファンが慣れてくれば、リーグ戦に水を差す煩わしさに変わるだろう。せいぜい、もの珍しい今年だけのイベントに終わりそうだ。1リーグで入れ替え戦ありのほうが、緊張感があってよかったかも知れない。
ヤクルトの藤井が中日のウッズにビーンボールを投げ、怒ったウッズが藤井に右フックを見舞った。ウッズの行為は当然だ。ビーンボールを投げる投手は乱闘覚悟でなければ投げてはいけない。ウッズがマウンドに向かったとき、藤井は来るなら来てみろ、と大きく手を広げた。これは乱闘覚悟のポーズだ。ヤクルトのコーチは「計画的犯行だ」と、たわけたコメントを発しているようだが、プロのコーチなら自軍の投手を守るため、ウッズと一戦交えるべきだった。そんな度胸もないか。 プロの投手が投じる硬球は凶器だ。打者を威嚇するため、頭や身体に向かって投げる以上、打者からの報復を覚悟しなければ投げてはいけない。審判が危険球を認定する基準は、投手が頭部めがけて投げたときに限られる。打者をのけぞらせる投球は投手の投球術だいうのなら、投手が絶対優位となり、野球は成立しない。頭部にいかなければ危険球とならない以上、打者はきわどい内角球により、肘や腕、指などの骨折の危険にさらされる。 野球とは、投手絶対優位のスポーツだ。打者がヒットする確率は、4割を超えることがない。その投手が打者に故意に内角球を投ずることが許されれば、野球は頽廃する。極論すれば、投手は打者を保護する立場にある。投手が絶対的優位に立っているのが野球というスポーツなのだから。投手のコントロールミスでボールが打者の近くにいったならば、投手は打者に謝罪することがマナーだ。 報道によると、中日の落合監督はウッズを処分しないと明言しているらしい。監督として、当然だ。日本では、打者の報復行為を「暴力」と報道するが、投手の必要以上の内角球攻めのほうが暴力そのものなのだ。投手の暴力を抑止するため、打者は退場覚悟で報復行為をする。打者はそれだけ、不利なのだ。「暴力、暴力」と一方的に騒ぐヤクルト及びスポーツマスコミはおかしいし、根性がない。自分達の暴力を隠蔽して、暴力抑止に立ち上がった打者側の抗議を封じ込めるのは、よくない。スポーツマスコミは、今後、危険球と認定されなかった危険球投げた投手の側を批判すべきなのだ。もっとも、危険球専門だった某投手を野球解説者にしているTV局もあるくらいだから、日本のスポーツマスコミは、“打者は危険球に対してすべからく「泣き寝入り」しろよ”と、いっているようなものなのだが・・・ さて、投手が打者に対していつもいつも打ちやすいボールを投げていたら、打たれてしまうのは当然のこと。だから、投手は内角、外角、高低、速度・・・に変化をつける。投手には、これだけの選択肢がある。投手の打者攻略のメニューは十分すぎるほどあるのだ。加えて、「危険球」が選択肢として許されてしまったら、打者は投手の投ずるボールを絶対に打てない。つまりプロスポーツとして、野球は成立しなくなる。 スポーツマスコミは、危険球に近いボールを投じた投手が打者の報復パンチを受けることを前提にして、報道してほしい。圧倒的優位の投手がさらにそのうえ、危険球という武器を持つことは、あまりにも公平さを欠く。 ウッズの行為は、日本の投手とスポーツマスコミへの警告であり、野球というスポーツの公平さを担保する行為なのだ。だから、スポーツマスコミは、ウッズを批判してはいけないどころか、むしろ藤井を批判し、ウッズを支持すべきなのだ。
交流戦の第一回目は、楽天vs読売という両リーグの借金王同士の対戦となった。読売は交流戦直前の横浜戦で連敗。きのうはエース上原がKOされたのだから、事態は深刻だ。横浜戦では清原が急性胃炎で緊急入院、高橋(由)が故障と、攻撃の飛車角抜きだったが、控えの江藤及び現役大リーガーが出場しているので、それほどの戦力ダウンには見えない。しかしながら、唯一安定していたエース上原が序盤でKOされたのでは勝ち目はない。 5月初旬で最下位の成績は先に書いたとおり、意外ではない。高橋(由)の故障は計算外かもしれないが、清原は胃炎が癒えても早晩、下半身の故障で出場できなくなる。だから、清原の故障という災いを、福に転じなければいけない。キャプラーの代わりに清水が先発しているようだが当然の起用で、繰り返すが、天才清水は絶対に先発だ。代打にまわっている斉藤も先発させたい選手。さらに二軍の鈴木、後藤、川中を一軍に引き上げたい。一塁は江藤ではなく斉藤、後藤から調子のいい選手を先発に、また、当たりのでない遊撃のニ岡も先発から外し黒田(元木)でもいい。外野は清水、ローズ、そして、(鈴木、後藤、斉藤、キャプラー)から調子のいい選手を抜擢したい。とにかく、名前や実績ではなく、調子のいい選手、闘志溢れる選手を先発にして、つなぐ野球に徹底すべきだ。そうすれば、攻撃面の活路は開けるだろう。 一方の投手陣だが、上原は別格にして、工藤、内海、林、野間口に先発陣を固定し、高橋(尚)、前田、シコースキー、岡島、佐藤を中継ぎに。抑えは久保、(新外国人)だが、この布陣では急速な成績改善はできない。読売はチーム作りに失敗したのだから、今シーズンの復活は無理だ。読売の苦戦は続くものの、チームコンセプトを変更して世代交代を進め、将来につながる経験を選手にしてもらいたい。 一方の楽天は、戦力がそろっていないので、これ以上の戦績を望むことはできない。成績好転には最短で3年かかると思われる。それまで、若手の育成とトレードにより戦力アップに励むほかないだろう。
FIFAは29日開いた規律委員会で、6月8日に平壌で行われる予定だった北朝鮮vs日本を第三国で、しかも観客なしで行うという処分を決めた。代替開催地はFIFAが今後、日本協会など関係機関と協議して決める。北朝鮮は3日以内に異議申し立てができるが、いまのところ、北朝鮮からの異議申し立てはない模様だ。しかし、今回の処分にどのような反応を示すかは不透明で、予断を許さない。 厳しい処分だが、このたびのFIFAの裁定はサッカーは政治に従属しない、という意思を明確に表示したものとして評価したい。日本代表への影響が懸念されるというが、そういうレベルの問題ではない。サッカーをナショナリズムの醸成に利用して排外主義を推し進めるような国家にはサッカーの国際試合を開催する資格がない。北朝鮮、中国、イスラエル、米国、イラン、イラク、ロシア・・・であろうが、不祥事を未然に防止する観点からして、FIFAの裁定は極めて妥当なものだ。 これでまた、日本代表にフォローの風が吹いた。中立国、無観客試合となれば、平壌でやるより、日本代表の負担は相当軽くなる。 有利な条件の1つとして、日本の豊富な資金力が挙げられる。東南アジアでの試合となれば、事前に最低1週間の調整期間が必要となる。日程は未定だが、平壌の日程にかぶれば6月だから、この季節の東南アジアは暑いし湿度が高い。北朝鮮のように国際試合の経験の少ないチームは、調整に相当苦労するはずだ。日本代表がフランス大会を決めたマレーシアでのイランとのプレーオフでは、イランチームの到着は試合開始の2、3日前だったような記憶がある。日本はかなり前に現地に着き、事前調整をしたはずだ。北朝鮮がどれだけ代表に資金援助できるかは不明だが、国情からみて、長い調整期間をもうけられるほど、余裕があるとは思えない。一方、日本代表は資金は潤沢だし、海外遠征の経験もが豊富だ。先のアジア杯でもいい結果を出しているとおり、高温多湿地域で行われる試合に適合できる。 第二は、言うまでもなく、サポーターがいない試合なのだから、アウエー特有のブーイングや圧力がないわけで、平壌に比べて、日本に有利だ。もっとも、地元開催が北朝鮮選手に与える精神的負担も軽減されるので、重荷が消えた分、北朝鮮選手もリラックスできる。なので、中立国、無観客試合の実施は、精神的負担という領域では、互いに五分五分の影響といったところか。 第三は、審判のジャッジだ。北朝鮮に同情して日本に厳しい笛が吹かれるという意見もあろうが、それはないだろう。むしろ、このような制裁のもとを糾せば、主審の判定だった。だから、主審が判定の厳正・中立をより強く意識するに違いない。その結果、判定に不服を示した北朝鮮よりも、日本に有利な笛が期待できる。さらに、平壌の2試合で北朝鮮の選手たちは審判不信を強め、このたびの裁定によって、国際社会全体に対して、不信感を強めている。そういう精神状態ならば、普段なら気にならない判定でも被害者意識を感じるだろう。北朝鮮は日本及び国際社会全体を敵にして、海外でしかも無観客という異常な試合を強いられている。 だから、注意しなければいけないのは、こうした異常な環境で闘志を燃やす北朝鮮の「反逆精神」だ。「窮鼠猫をかむ」の諺どおり、究極まで追い詰められたネズミが、絶対有利の日本代表という猫をかみ殺すこともないとは言えない。日本が北朝鮮の闘志をはぐらかすのではなく、真正面からぶつかりそれに負けなければ、勝つチャンスは平壌よりも多い。
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