Sports Enthusiast_1

2006年10月29日(日) サヨナラ、新庄

北海道日本ハムファイターズが日本一になった。おめでとうございます。札幌ドームは日ハムファンで埋め尽くされ、ホームアドバンテージが発揮された。読売が出る日本シリーズとは違った雰囲気。これがプロスポーツのあるべき姿だ。札幌ドームの中継を見ていて、2006年シーズンを持って、読売一極集中の日本プロ野球が終わったことを確認した。筆者が長年待ち続けてきた瞬間だった。

日ハムが北海道に根付くまで、関係者の努力があったことを報道で知った。北海道は「巨人ファン」ばかりだ、寒いから野球を見に行かない・・・等々反対の声が渦巻く中、日ハムは札幌移転を決めた。勇気のいる決断だったと思う。

日ハムがホームで人気を獲得するにあたって、新庄選手の果たした役割は想像以上に大きかった。「新庄劇場」というパフォーマンスまでやった。彼は自費で札幌ドームに自分の広告看板を借りた。広告費は年額5000万円近く。彼はは自腹を切ったという。ファンサービスにも努めた。新庄が観客席のグラブをもった少年とキャッチボールをする映像は、心打つものがあった。サインも厭わなかったらしい。人気におぼれ、ファンと一線を画した読売の選手の高慢な態度とは違って、新庄以下日ハムの各選手は好感が持てた。

さて、それでも、新庄型のパフォーマンスは彼をもって最後にしてほしい。野球選手のサービスはパフォーマンスではない。選手とファンの交流は必要だけれど、グラウンドをオートバイで走ったり、パラシュートで降りるのは、ちょっと違うだろう。

プロ野球の“プロ”とは、言うまでもなくプロフェッショナルのプロ。プロフェッショナルというのは、その道の専門家のことだ。よく、プロなんだから観客を集めるために手段を選ばない、と言う人がいるが、間違っている。専門分野で人を呼ぶのがプロなのであって、話題づくりやパフォーマンスで人を呼ぶのは、プロのやることではない。専門分野のレベルが低いから客が集まらないのであって、その道を極めず、専門外のパフォーマンス等の手段で客を呼ぼうとするのは、真のプロを放棄したもののやることだ。

ファンは面白さを求めているという。が、専門外で集めた客は、飽きればすぐ離れていく。その一番いい例が、サッカー日本代表(ジーコジャパン)と亀田兄弟だ。日本ではテレビとプロスポーツが奇妙に融合し、視聴率アップのためスポーツ選手の芸能化が進んでいる。たとえば、中田英はサッカー選手なのかタレントなのかわからないまま、サッカー選手を引退した。彼が日本のプロサッカー選手のさきがけとして世界に挑戦し、結果を残したことは認めよう。だが、彼がジダン、エトー、ロナウジーニョ等々の世界レベルの選手であったかどかは評価が分かれる。筆者は、中田英の実力について、セリエAのビッグクラブでは「控え」クラスだと評価するし、英国プレミアでは「通じなかった選手」だと評価する。彼が日本企業のCMに出続けようが、それとサッカーの実力とは別物だ。

日ハムの優勝は、日本のプロ野球のあり方を変える可能性を示した。そこに果たした新庄選手の存在は大きかった。だが、「新庄」は劇薬であって、日ハムが下位に低迷し続ければ、彼はピエロで終わったのだ。日ハムと新庄は賭けに勝ったけれど、リスクは高い。だから、日ハムの選手には、新庄の後を追ってほしくない。スポーツ選手がピエロで終わるほど、惨めなものはない。

日ハム選手には、野球の技術を高め、グラウンドで全力プレーをすること、プロ野球選手と同時に、地域のリーダーとして地域住民と親密に接すること、地域社会の活性化に寄与すること、ボランティア精神を忘れないこと・・・を求めたい。新庄の真似だけはしてほしくない。



2006年10月22日(日) 復活、鈴木(規)

FC東京がG大阪に3−2の逆転勝ち。0−2でリードされていた東京の逆転劇は後半、今野の得点が第一幕。第二幕は、肩の故障が治り、途中交代で入った左サイドの鈴木(規)が豪快な同点ミドルシュート。中継アナ氏も思わず、「ワールドクラス!」と驚嘆した。これで度肝を抜かれたか?G大阪は動きが鈍り、第三幕は、鈴木(規)に左サイドを突破されマイナスの低いクロスを通され、それを右サイドの石川が合わせた。

前半のFC東京は悪かった。ワントップに起用された平山の動きが悪く、ポストになれない、相手にボールを奪われる、前線で守備をしない・・・といった具合。これでは攻撃にも守備にも、リズムが生まれない。後半開始10分、平山を見切って、トップ下だったルーカスをトップに上げ、トップ下に馬場を入れた。これが、逆転劇につながる選手交代だった。馬場はトップ下でルーカス、右の石川、左の鈴木(規)を自由に使いこなし、2点を生んだ。
鈴木(規)の復活により、FC東京は、右の石川、左の鈴木(規)の両翼が整備されたわけで、こうなれば、4バックでこの先、戦ってほしい。ジャーン、茂庭のCB、鈴木、石川のSB、紺野、徳永の2ボランチ、宮沢、梶山の攻撃的MFにトップ下が馬場、そして、ルーカスの1トップの4−4−1−1とくれば、かなり強力な布陣だ。

鈴木(規)は残り6試合、フル出場で活躍して、来年には代表入りしてほしい。左サイドだったら、テクニックでは三都主に劣るけれど、パワーでは勝っている。オシム監督もぜひ、鈴木(規)に注目してほしい。



2006年10月21日(土) ハードスケジュール

サッカー日本代表の遠藤(G大阪)が肝炎で倒れた。巻(千葉)も下半身にガタがきている。浦和の坪井は長期離脱、長谷部は故障でリーグ戦を休んだ。

故障の原因の1つは、Jリーグの夏場の日程は異常さだった。Jリーグが真夏に週2回で試合を組み、東アジアクラブ選手権を入れ、協会が代表戦を入れた。サッカーは、真夏にやるスポーツではない。いくら、06年がW杯イヤーだとはいえ、選手を追い込みすぎれば、ケガ、故障につながりやすい。

9〜10月にはリーグ戦の合間に協会が親善試合を組み、アウエーのアジア杯予選を入れた。Jリーグはカップ戦(ナビスコ杯)の予選が入った。代表選手は満身創痍、体調を崩したり故障が完治しないまま、試合を続けている。

過剰な試合が選手を鍛えるのか磨耗させるのか――筆者にはわからない。プラスになることを祈りたいのだが、Jリーグ、協会はもう少し考えたほうがいい。下手をすれば優秀な才能を失う可能性もある。



2006年10月15日(日) 川淵氏の「巻批判」にあきれる

川淵会長が日本代表FWの巻を「下手」とこき下ろしたという。川淵氏の巻批判は巻の後に控えるオシム監督への批判だろう。オシム監督を正面から批判できない川淵氏の焦燥感が巻を直撃した。筆者にはそう思える。

オシム路線は、これまでの川淵路線と異なっている。前任者ジーコなら川淵商法に加担して、親善試合に海外組を呼び戻して大興行を行ったはずだ。川淵&ジーコは代表商法という価値観を共有していた。一方、オシム監督は海外組のコンディションを慮って、代表試合は国内若手起用で一貫している。テレビの視聴率は上がらない、チケットは売れない・・・と、代表ブランドの人気低迷が続いている。

先のガーナ戦、アジア杯予選のインド戦の2試合を通じ、確かに巻は無得点だった。ポストプレーに関しても、巻がボールを落ち着かせたシーンは少なかった。では、巻は日本代表FWとして失格なのだろうか。ジーコ監督の時代、川淵会長は、代表選手を「下手」とこき下ろした記憶がない。たとえば、長く無得点を続けた柳沢をかばい続けた。柳沢が海外組だからだ。おそらく、川淵会長は自国リーグであるJリーグで活躍する選手よりも、イタリアに遊学している柳沢の実力を評価したのだと思う。川淵会長とジーコ前監督は、「海外組」信仰という意味で相互に価値観を共有していた。

筆者は、ジーコ退陣と同時に、その責任をとって川淵氏も会長職を辞すべきだと書いた。ジーコを信任してきた人物が、オシムのサッカーを信任できるはずがない、というのが筆者の持論だからだ。ところが、川淵氏は会長職に居座り、オシムサッカーにさっさと乗り換えた。このような信念の変節を「転向」と呼ぶ。第三者から見れば、「転向者」を信頼することは難しい。だから、筆者は川淵氏を信頼していない。

筆者は川淵会長とオシム監督は近い将来、衝突すると書いた。いまのところ表立っての衝突事件は起きていないが、このたびの川淵会長の「巻批判」は、両者の衝突の前兆だと心得ている。

いまの日本代表選手に必要なのは経験だ。ジーコ時代の4年間、若手が経験を積む機会は皆無に近かった。そのツケがいままわってきたのに過ぎない。川淵氏がジーコ監督を「下手だ」と酷評してくれたら、あるいは、ジーコに世代交代の必要性を促していたら、日本代表はもっとましなチームになっていたはずだ。

川淵会長はジーコと共にあった。自らの怠慢を省みず、一生懸命努力している選手を罵倒するとは、それが日本サッカーの最高職にある人間のすることか。



2006年10月14日(土) 日本代表は、いま調整期

けさのA新聞が、日本代表のテレビ中継の視聴率低下を報じていた。A新聞といえば、前代表監督のジーコが掲げた「自由」「創造」を賞賛して、日本代表人気を盛り上げたマスコミの筆頭的存在。“ジーコジャパンは世界クラス”と煽って、ろくでもない海外「代表」チームと日本代表の親善試合のチケットを売りまくった張本人。川淵会長の広報機関として、“日本代表バブル”を形成したA級戦犯の1人にほかならない。

バブルははじけたのだ。日本代表のドイツW杯でのふがいない戦いぶりをみて、「海外組」と呼ばれた、中田英、小野、柳沢、高原、俊輔、稲本らは世界クラスどころの話ではない。ジーコ監督の采配といえば、素人以下だった。いま、日本のサッカーファンは、それなりに成長を遂げた。日本代表が不人気になったのではない。日韓大会からドイツ大会までの間、“各国代表”と日本代表とのマッチメークを仕込み、マスコミの宣伝力を使ってチケットを売りまくる“代表ビジネス”で稼いてきた、“川淵商法”に翳りが出てきただけなのだ。

オシム監督就任後の日本代表の試合といえば、ドイツ大会終了直後の�.肇螢縫澄璽疋肇丱汗錙▲▲献�杯予選の�▲ぅ┘瓮鸚錙↓�ガーナ代表との親善試合、の3試合がホーム。アウエーでは、�ぅ汽Ε言錙淵▲献�杯予選)、�ゥぅ┘瓮鸚錙米院法↓Εぅ鵐廟錙米院砲裡鎧邱腓世辰拭�この時期の親善試合の�´�に強い関心を抱く人というのは、サッカーファンの中でかなりマニアックな層だ。��は日本時間で深夜の中継だし、�Δ肋嘆住邱隋�重要な試合といえば、�↓イ裡音邱腓世院�それでも、相手は中東の小国とくれば、あまり関心を呼ばなくて当然だ。

筆者の価値基準では、この時期、日本で行われる国際親善試合、強化試合で高い視聴率が記録されるとしたしたら、そのほうがよほど異常だ。いまの日本代表は、バブル崩壊後の調整期に当たる。調整から抜け出すための方策を探るのが、代表試合の目標だ。実験に特別な関心を抱く人、興味を持つ人というのは、かなり通だろう。ジーコ監督時代に日本代表を応援してきた層は、失礼ながら、素人に近い。A新聞の運動部記者氏も素人だから、川淵・ジーコ商法にまんまと乗せられ、提灯記事を書いてきた。

素人がそれでも関心を持つとすれば、サラリーマン層か。新しく代表に選ばれた選手がどれほどのものか、また、新任監督と前任監督との比較をして、会社の人事異動と重ね合わせてみるくらいの興味しかないだろう。かつての代表バブル期のように、代表戦ならなんでも、という時代ではない。

調整期というのは、経済のみならず、スポーツにもついてまわる。日本サッカーで言えば、1968年のメキシコ五輪の銅メダル獲得から1998年フランスW杯出場まで、30年間の調整期間を要した。いま世界のサッカー界の調整期間は4年しかない。多くの監督が調整に挑戦しては失敗し、その職を追われてきた。4年間で調整に成功した世界レベルの事例といえば、日韓大会で予選敗退しながら、ドイツ大会で準優勝に輝いたフランスくらしか思い浮かばない。日本の調整は、それより下のレベルの話だが、難しいことに変わりはない。

いまの日本代表に必要なのは、親善試合で高い視聴率を上げることではない。さまざまな実験を重ね、力のある選手を発掘し、段階ごとの目標を達成することだ。人気におぼれてバブルに踊り、サポーターを失望させた責任は、選手よりも、川淵・ジーコ・(A新聞を筆頭とする)スポーツマスコミに重い。懲りない者は何があっても懲りないものだ。底意地の悪い記事が売り物の週刊誌や夕刊紙ならともかく、全国紙A新聞のスポーツ面トップでこの程度か。真のサッカー報道が日本に定着するまで、あと何年かかるのか。



2006年10月13日(金) 亀田・父のセコンドライセンスを剥奪せよ

亀田父、亀田史郎氏(41)が、日本ボクシングコミッション(JBC)から、厳重注意処分を受けた。先月27日、東京・後楽園ホールで行われた二男・大毅の試合後、小差の判定勝利を巡り、観客席で乱闘が起こった。セコンドの史郎氏は、乱闘に加わろうとして、周囲に制止される場面があった。
JCBは、「史郎氏は乱闘に加担はしていないが、誤解のある行為があったことを反省している。今後はセコンドのライセンスを持つ人間としてふさわしい行動をして欲しい」と説明したそうだ。

JBCはしっかり調査をしたのだろうか。筆者とて現場を見ていないが、亀田・父は乱闘に加わろうとしたのであって、周囲に取り押さえられて、結果として乱闘に加担できなかったにすぎない。明らかに観客に暴力行為を加える意思があったと確言できる。

言うまでもなく、ボクシングの試合会場で、セコンドが観客とやり合おうとする姿勢を見せることは、極めて危険なことだ。JCBは、ことの重大さをわかっていない。何度も書くけれど、ボクシングは危険なスポーツであって、素人が真似できるものではない。ボクサーはその拳を凶器として届け出る。銃やナイフと同じだ。セコンドというのは、試合中、心身ともにボクサーと一体の存在だ。セコンドが自制をなくせば、選手も自制をなくす。仮定の話だが、27日の事件で、亀田・父が乱闘に加わり、観客から逆に殴られたりしたとしたら、亀田大毅は父親を守るため、観客にパンチを浴びせた可能性もあった。父子であれば、セコンドと選手以上の一体感で結ばれていて当然だ。大毅が観客を死に至らしめる可能性もあった。

テレビ報道で見る限り、亀田・父が自制の利かない人格を有していることは疑いない。亀田戦の調印式、計量等で亀田・父の殺気立った表情をテレビがカメラが何度も映し出していた。一発触発の表情だ。筆者には、亀田・父がなぜ、試合のない会場で異常に殺気立つのか理解できなかったのだが、ワイドショーで亀田・父とやくみつる氏の喧嘩の映像を見て、亀田・父の人格に暴力的資質が具わっていることを確信した。普通の人間ならば、テレビ中継中、共演者と本気のけんかはしない。ましてや、「表へ出ろ」のような台詞が自然に出るはずがない。亀田・父は自分を批判する人間には暴力で決着をつけようとする傾向が強い。

何度も書くように、セコンドは試合中、相手陣営をリスペクトしなければいけない。選手に向かって「早いとこKOしろ」と叱咤しても、試合前、試合中、試合後を問わず、相手選手とそのスタッフには市民社会のルールに従って、接しなければいけない。亀田・父のセコンドライセンスを剥奪しなければ、亀田・父はボクシング史上、前例のない暴力事件を将来、起こしてしまうだろう。筆者の予言が外れることを祈るほかはないのだが・・・



2006年10月10日(火) 赤子の手をひねる、

とは、きのうの「HERO’S」の所vs金子の試合だ。結果はご覧のとおり、所の完勝。実力の開きは、文字どおり、メーンイベンターとビギナーとの差。金子が所の打撃で怪我をしなくて本当によかった。

タレント・金子は試合後、「消化不良」などとコメントしたらしいが、自分の実力をまだ過信しているふしがある。所は手加減して完膚なきまでKOしようという意思がなかったから無傷だったものの、上を狙う格闘家と当たったら・・・と思うと、余計なことながら心配になってしまう。一度、だれかに痛いKO負けをしたほうがタレント・金子には身のためか。

TBSは余計なカードを組んだ。秋山のベルト奪取は実力。スポーツはくだらない話題づくりではなく、真剣勝負こそが魅力。日本人選手が負けることもあるし勝つこともある。せっかく秋山がいい試合をして、いい結果を残したのに、間にはいった気の抜けた一戦が、「HERO’S」の価値を貶めた。余興に付き合わされた所は被害者だ。彼の格闘技戦歴から抹消したい一戦だったと思う。

同じタレントでもボビーオロゴンは基礎ができている。彼の場合は、格闘家がタレントをしているといったほうが適切だ。素材を見てマッチメークしないと、本気の「HERO’S」のコンセプトに反する。「HERO’S」はUWF、リングズといった、マニアックさを起源にもつコンテンツだ。いま表舞台に登場したとはいえ、そのルーツを否定してしまえば、プロレスの世界に戻ってしまう。プロレスが高い視聴率を上げられなくなった理由は、いまさら、説明するまでもないだろう。とことん、本気でいけば、「HERO’S」は支持され続ける。



2006年10月09日(月) ゾンビ・プレーオフ?

連休中の昼間、テレビでプロ野球パリーグのプレーオフ(PO)中継をやっていた。長いレギュラーシーズンで1位になったチームが優勝ではなく、2位、3位が戦ってその勝利者が1位と戦って、その勝者がリーグ優勝だという。だれかが、新聞に書いていたけれど、敗者復活PO、いってみれば、「ゾンビプレーオフ」だな、こりゃ。

日本のプロ野球は12球団が2リーグ、つまり1リーグ6球団で構成されている。6球団で半分以内に入ればリーグ優勝のチャンスがある。6球団の半分という数字に説得力がまるでない。

プロ野球では、昔から、Aクラス、Bクラスという呼び方がある。優勝できなかったチームは、せめて、「Aクラス」入りを目指すという。Aクラスに入れば、次シーズンの開幕戦主催の権利が得られる。このことは、永らく日本プロ野球では、シーズン1位、つまり、リーグ優勝の価値しか認めなかったことを意味する。2位、3位というのは、ま、次シーズンに開幕戦主催の権利が得られる程度の価値でしかなかった。

近年、日本プロ野球は激変の時代を迎えた。電鉄系球団の撤退、読売の衰退、有力選手のアメリカ大リーグ移籍、サッカー人気の台頭・・・などがプロ野球の環境を変えた。そこで登場したのが、PO制度導入だった。プロスポーツは、長期にわたって実力を図るリーグ戦と、短期で決着を図るトーナメント戦がある。サッカーW杯の場合、◇1次リーグ(4チーム)が8グループに分かれてリーグ戦を戦い、◇上位2チーム・16チームがトーナメントで優勝を決める。つまり、リーグ戦とトーナメント戦がミックスしているわけだ。

日本プロ野球の場合、セ・パの2グループがリーグ戦を戦い、その勝者が1発勝負で決着をつける方式(日本シリーズ)となっている。リーグ戦が極めて長く、そのわりに最強の決着が意外とあっけない。レギュラーシーズンの真ん中に両リーグ間の交流戦を導入してみたものの、交流戦は、期待ほど盛り上がらなかった。

現状、パリーグが導入したPOが支持され、セリーグも導入を決めた。しかし、この制度改変によってもたらされた人気が長続きするとは思えない。いずれPOは鮮度を失い、まだやてるの・・・に変わるだろう。

PO導入でアメリカ大リーグを真似るならば、まず、球団数を増やさなければ成功しない。大雑把に言って、米国のマーケットサイズ(人口3億人)は日本のそれ(1.3億人)のほぼ2〜3倍。アメリカのプロ野球球団数はメジャー32球団、3A、2A、1A合わせるといくつかわからないほど多い。単純に大リーグが32チームなら、日本プロ野球は20チーム程度まで拡大できる。日本のメジャー球団・20チームがきっちりとフランチャイズを築けば、地区別のPOが可能となる。パリーグは日ハム=札幌、ソフトバンク=福岡、ロッテ=千葉、楽天=仙台が、フランチャイズ化に成功している。西武=所沢とオリックス=大阪が脆弱だが、努力次第でなんとかなる。パリーグには東京が空いているし、南九州、四国、山陽、山陰、北陸が空いているから、4球団増は簡単だ。一方のセリーグは、東京2、横浜1、大阪1、名古屋1、広島1で大都市圏中心で、地方圏はパリーグに取られた。つまり、マーケッティングからみると、パリーグの現状の方がセリーグより、球団設置状況のバランスがいい。しかも、4球団がフランチャイズ構築に成功している。新設4球団が地元密着の努力をしなければ見捨てられるけれど、サッカーでは、浦和(さいたま)を筆頭に、新潟、甲府、仙台が見事にフランチャイズを定着させている。首都圏・近畿圏ばかりに頼らなくとも、大都市圏の内外に球団設置及び運営のエネルギーを求めるべきなのだ。

たとえば、超大都市東京内部なら、山手、川の手(足立・荒川)の対立軸があるし、山手内部には、杉並、中野等々(旧山手)と、多摩地区(新山手)の対立軸がある。東京内部に複数の球団を設立することは可能だ。同一地域内が戦うダービーマッチが極めて盛り上がることはよく知られている。

プロスポーツは地域のものだ。高校野球は一見、甲子園一極集中に見えるけれど、原点は地域代表だ。地域の名誉を担い、地域に錦の御旗を持ち帰る・・・。地域住民同士がサポーターを組織化すれば、交流が生まれ、地域のエネルギーを生んだり、住民同士の新たなコミュニケーション機会を増やす。それを地域活性化という。地域活性化とは、建設業者を潤すハコモノ(ハード)の建設ではない。住民が精神的に潤うこと、中味(ソフト)なのだ。精神的潤いの実現を、スポーツ文化の醸成という。日本のプロ野球は新聞社の拡販機能だったり、私鉄乗車数の増大だったり、まちづくりの付加価値だったり、知名度アップだった時代が長かった。筆者はそれを否定するほどナイーブ(うぶ)ではないが、それだけでを目標化する手法は行き詰っている。

おかしなPO制度でその場をしのぐよりも、地域、地区を基盤にしたチーム増をステップにして、地区優勝同士のプレーオフを目指さした方が、プロ野球の長期的発展につながる。少なくとも、ゾンビ・プレーオフよりはましだ。



2006年10月08日(日) またTBSか

TBSが後援している格闘技「HERO’S」にプロ経験のないタレントの金子賢が参戦するという。スーパバイザー・元UWF王者の前田日明がそれを知って憤慨し、抗議の声明を出した。

プロ格闘技は、ショーであるプロレスの流れを断ち切って、“本気”の総合格闘技を目指したもの。いまは市民権を得て、テレビの有力コンテンツに成長したが、その歴史は苦渋に満ちたものだった。当コラムでは、その歴史を振り返る余裕はないが、資金面等々で運営者・主催者の苦労は絶えなかったという。

この分野における先駆者「PRIDE」は闇勢力との関係を指摘され、テレビ局が中継を取りやめた。それに代わって、「HERO’S」が発足したわけだ。プロ格闘技をひっぱてきた前田日明にしてみれば、理屈抜きの最強を目指したわけで、アマチュアで苦労をし、前座を戦い抜いて這い上がった精鋭格闘家が出場すべきだと考えるのは極めて当然のことだ。

さて、「HERO’S」はTBSが後援している団体。TBSといえば、プロボクシングで「亀田ファミリー」を仕掛けたテレビ局だ。懲りずに、プロ格闘技の分野においても、関係者の労苦に満ちた歴史を無視して、ちゃらちゃらした芸能人を参加させ、真面目に格闘家を目指す若者の夢を壊している。格闘技が好きでやってみたいというレベルと、それを職業にしてやってやろうというレベルとでは、月と鼈の開きがある。格闘技好きの芸能人がケガでもしたらどうするのか、それとも対戦相手が手加減した「練習」をカネをもらって見せるつもりか。話題づくりでスポーツ中継の視聴率を上げようというのは愚かだ。しかも、禁じ手を使った割には、金子賢では話題にならない。米国では、俳優のミッキーロークがボクシングが好きで、スパーリングを公開したことがあった。ミッキーロークほどの存在感があれば・・・というわけだが、「HERO’S」はタレントの参加が試合としてなのか、スパーリングなのか、はっきりさせるべきだ。

総合格闘技にプロテストはない。TBSは、テストがないから、だれが参戦してもいい、という理屈か。筆者には、プロ格闘技はそんなゆるいものではない、そんな簡単なものではない、という思いがある。なぜなら、筆者はすべてのプロ格闘家にリスペクトをもっているからだ。少なくとも、彼らは命を賭けている、危ない仕事をしている、なんであんなに強いんだろう・・・そういう思いを抱かせるから、プロ格闘技は人々の支持を集める。

TBSは、おかしな仕掛けで、スポーツそのもの、スポーツという素材がもつ魅力を損なおうとする。このテレビ局は、昔はこんな愚かではなかった。



2006年10月07日(土) もったいない

10月7日の浦和vs千葉は2−0で浦和が勝った。いい試合だったけれど、1人少ない千葉に勝ち目はなかった。

テレビ中継の最初のシーンを見た瞬間、いやな予感がした。選手入場場面の先頭に、O主審(SR)の姿が目に入ったのだ。この試合、何かが起こるぞ・・・

予感は的中した。前半、千葉のDF結城にレッドカード。結城は浦和のFWワシントンとペナルティーエリア内でもつれ、手で押したように見えた。判定はレッドカードでしかもPK。この判定には納得がいかない。ペナルティーエリア内でファウルをすればPKは当然だ。そして、そのファウルが悪質な場合はイエローもしくはレッド。結城のプレーはせいぜいイエローのレベルだ。

O主審ははっきりいって技術の低い(下手な)審判だ。そのくせ、審判の権威で笛を吹こうとする。まず、満員の浦和の観客に向かって、自分の存在を大きくアッピール。俺が一番偉いんだぞ・・・若い結城が生け贄になった。

その後は滅茶苦茶だ。後半10分にMF山岸(千葉)がペナルティーエリア内で倒された場面では笛が鳴らない。試合中、ストヤノフに(暴言?)イエローが1枚、さらに試合終了直後(主審に「ナイスゲーム」と言って、それが挑発と取られて)、もう1枚イエローカードで退場。これももったいない。

そればかりではない。FKを蹴る千葉の水野の前でうろうろしていた田中(浦和)にイエロー。田中は、水野のキックを邪魔したわけではない。そうかと思えば、三都主が水野の足を後からアフター気味にキックしてもカードなし。千葉のゴール前の混戦で浦和のワシントンが千葉のDF(ストヤノフか?)の胸を小突いても、これもノーカード。以下、省略する。

千葉は1人少なくなってもあきらめず、攻撃的な姿勢を崩さなかった。シュートがバー、ポストを叩いた。惜しかった。これも、もったいない。満員の観客は――特に浦和サポーターは主審から、勝利というプレゼントをもらい――大満足だろうが。千葉が試合終了まで集中力を維持して、試合を壊さなかったのが救いだけれど、期待していた対戦だっただけに本当に残念だ。

審判の権威にすがり、俺の笛になんでもかんでも従えというのは、毅然とした判定とは180度違う。反省がなければ進歩がない。Jリーグ管理者が誤審や、まずい試合運営をする下手な審判に警告を発しないから、こういうことがしばしば起こる。W杯で日本人審判がいい笛を吹いたといわれるけれど、リーグ最高の対戦でこんなんじゃ、そんな評価はふっとぶ。何度も何度も物議を醸すO主審よ、Jリーグ管理者が休養・謹慎を命じないのならば、自ら休養を申し出て、自分の試合のVTRを家でじっくり見てほしい。

浦和と千葉の試合は、Jリーグの対戦の中で秀逸のもの。いつもかみ合った熱戦を展開する。残念なのは、O主審の笛だったこと。重ね重ね、もったいない試合だった。



2006年10月06日(金) 疑惑が呼ぶ疑惑

亀田興毅の世界戦の延期が決まった直後、写真誌、有力ブログが亀田興毅の負傷に疑問を呈した。延期が決まったにもかかわらず、亀田は妹の運動会に出た、カラオケをした、サングラスをしていたけれど、瞼に傷などなかった・・・という報道だ。スパーリングではヘッドギアを装着するのだから、顔面に裂傷を負うはずがない、という指摘もあった。延期の記者会見に亀田興毅が欠席したことが疑惑の最大の根拠となっている。全治1カ月の負傷した選手が運動会に出て、その後、カラオケで騒いで大丈夫なのかと。

有力ブログや写真誌のいうとおり、亀田興毅が負傷していないとするならば、では、延期の理由は何なのか。1つ考えられるのは、10〜12月の3ヶ月間に2度世界戦を予定し、たとえ10月の初防衛戦に亀田興毅がランダエタに勝っても、12月の世界戦のチケットが売れ残る可能性が高い、と、プロモータの金平氏が読んだからかもしれない。

ここのところ、亀田ファミリーには逆風が吹いている。疑惑の判定直後、朝のニュース番組に出演した父・史郎氏が共演者のやくみつる氏とけんかとなり、「表に出ろ」発言をしたばかりか、つい最近では、弟の大毅の試合後に起きた観客同士の暴力事件では、亀田父が観客に暴行を働こうとして関係者に止められる写真が大々的に報道された。これまでスポーツマスコミがわかっていても報じなかったファミリーを率いる亀田父の暴力的体質が、テレビやインターネットを通じて、次第に明らかになってきたのだ。その影響かどうかは別として、今月予定されていたランダエタ戦の前売りの売れ行きは以前ほどではなく、売れ残りが多いという噂も出た。

さらに、亀田興毅がランダエタに勝っても八百長疑惑を払拭できず、12月の防衛戦をファンが完全に見切るという可能性も否定できない状況だ。どうせ、次も八百長で亀田が勝つんなら、高いチケットを買ってまで見なくとも・・・というわけだ。

さて、このままでは、一度かけられた疑惑を晴らすのは容易でない。世界戦を何度マッチメークしても疑惑が疑惑を呼び、大衆は亀田興毅のボクシングを正常な感覚では受け止めない。亀田興毅が実力で挑戦者を退けても、人々は疑惑としてそれを見る。そのうちに「亀田興毅」は賞味期限切れとなり、だれも気に止めることはなくなる。自業自得ではあるものの、金平プロモーター及び亀田・父の金儲け作戦が行き詰っただけで、ボクサー・亀田興毅に責任はない。

でも、疑惑も晴らすのは、さほど難しいことではない。亀田興毅の実力を証明する方法は、まず、日本ランカーと対戦すればすむ。そこで勝利すれば、日本のチャンピオンとの対戦の機会が与えられるだろう。亀田興毅が日本チャンピオンに勝てば、疑惑はきれいさっぱり払拭される。逆に言えば、この道を通らない限り、ボクサー亀田興毅にかけられた疑惑を晴らす方法はない。



2006年10月05日(木) 日本代表の現実

きのう(10月4日)行われたサッカー国際親善試合、日本vsガーナは日本が0−1で惜敗。得点、試合内容をみると「惜敗」という表現でいいし、内容的に日本が悪かったとも言えない。W杯で世界の16強の壁に跳ね返された日本の最初の国際親善試合としては、勝敗はともかく、だれもが「こんなもんだろう」という感想をもったに違いない。

対戦相手のガーナは、W杯1次リーグの「死のグループ」で米国、チェコを退けた強豪国。来日したメンバーはそのときの代表がほとんどを占めた。正真正銘のガーナ代表だ。もちろん、欧州各国リーグの真っ最中の合間を縫って、長旅、時差ボケによるコンディションの悪さはあるにしても、日本代表が力試しをする相手として最も相応しいチームの1つと言える。

試合展開等はすでに多くの報道があるので割愛する。ただ一点、感想を述べるならば、精神力、運動量、規律において日本はガーナを上回っていたものの、各選手の力の差は歴然としていたということだ。運動量において日本はガーナを上回っていた、守備の意識も高かった。しかし、運動の質において、ガーナの方が日本よりはるかに上だった。この差はいまのところ、ガーナだけにとどまらない。日本より力のある代表チームは世界に概ね50ほど存在する。そして、アジアにおいては、その差僅かとはいえ、日本より力のあるチームは、3ないし4(豪州、韓国、サウジ、イラン)ある。

日本より力の上の代表チームと戦い、そこから勝利を得るためには、ガーナ戦のように運動量、精神力、規律において相手を上回るしかない。その結果として導き出せるのは、運がよければ勝利、よくて引分であろう。それが、日本代表の現実の力なのだ。運動量、精神力、規律が相手を上回れれば、ドイツで豪州に惨敗したような惨めな結果には至らない。豊富な運動量、強い精神力、高い規律の3点セットこそが、実力で劣る日本が目指さなければいけないサッカーなのだ。

日本人は日韓大会の成功以来、まちがいなく夢を見ていた。日本が世界の強豪と当たり前に互角にわたり合えるという夢だった。現実は、8年前も4年前もいまも、さほど変わっていない。8年前のフランス大会で日本は1勝もできなかった。このことは、ドイツ大会で勝点1しか上げられなかったいま現在とさほど変わっていない。ただ、フランス大会から日韓大会までの4年間に、日本は僅かではあるが、世界との差を縮めた。ところが、その次のドイツ大会までの4年間、日本は停滞もしくは後退しいまに至っている。

スポーツにおいては、短期間で大いなる飛躍はなし得ない。選手、監督、サポーター、ジャーナリストが日本サッカーの実力をそれなりに理解できたのならば、日本代表が目指す方向についてコンセンサスが得られやすい環境になったのだ。日本サッカー界は、その分、それなりに、大人になったのだ。



2006年10月02日(月) 「けんか祭り」は不適切

報道によると、今月18日に予定されていた亀田興毅の初防衛戦延期が決定した。WBAライトフライ級王者の亀田興毅が練習中のけがによりフアン・ランダエタ(同級1位)との防衛戦が不可能となったためだ。亀田興毅はスパーリング中に左まぶたをカットし出血(全治1カ月)。そのため、とりあえず18日の防衛戦を延期し、12月に予定していた「亀田のけんか祭り」での初防衛戦を目指す予定だという。

負傷した 亀田興毅選手には気の毒な言い方だが、筆者はこのたびの延期は好ましい結果だと思っている。先に弟・亀田大毅の試合後、観客の乱闘事件が起きた。この事件は、亀田興毅・亀田大毅の試合が発散してきた「暴力」が呼び起こしたものだ。当コラムで何度も繰り返し書いてきたことだけれど、ボクシングがリング外に「暴力」を拡散することは、あってはならないことだ。亀田興毅・大毅の試合に直接的暴力のイメージが伴うのは、父・史郎氏の存在が大きい。さらに、暴力のイメージを加速するのが、TBSというテレビ局の存在だ。

本題に掲げたとおり、今年12月の亀田戦のタイトルは、なんと、「けんか祭り」となっている。これはスポーツのタイトルではなく、ショーであるプロレスのものと選ぶところがない。プロボクシングは本気であり、選手は一歩間違えば死に至る。鍛えられたボクサーのパンチが急所にヒットすれば、脳に異変が生じる。だから、ボクサーはリング以外でその拳を使うことが許されない。ボクシングの試合は神聖なリング上で、ルールに従い行われる。だから、選手同士、終了のリングが鳴れば、あるいはリング外では、お互いをリスペクトする。ボクサーは絶対に「けんか」をしてはならない。ボクシングは「けんか」から、最も遠いものでなければならない。

筆者は、このコラムでTBSを繰り返し非難することを厭わない。
�,泙困發辰董■隠卸遒痢屬韻鵑�」というネーミングを外すべきだ。�▲廛蹈椒�シングがルールに則ったスポーツであることを再確認し、それに相応しいネーミングに変更すべきだ。�5掬張侫.潺蝓爾�発散する暴力を一掃するよう、亀田史郎トレーナーの言動を規制すべきであり、�さ掬朕道劼紡个掘�計量・調印式等のリング外において、暴力的言動及び飲食等の非常識的行動を行わせないよう指導すべきだ。

筆者は、亀田親子がTBSの演出で暴力的言動を行っているものと確信している。TBSの過剰な演出指導がなければ、亀田親子、少なくとも、亀田興毅・亀田大毅の2人の青年が、独断でかくも醜悪な言動をとるはずがないと確信している。換言すれば、TBSが父親である史郎トレーナーを通じて、亀田兄弟に暴力的かつ非常識的な言動を行うよう示唆しているはずだと確信する。

繰り返すが、ボクシングは危険なスポーツだ。亀田ファミリーはスパーリング中の負傷というこのたびのアクシデントから、これまで進めてきたTBSの過剰演出路線から目覚めてほしい。脚色を排した、スポーツとしてのボクシングという王道に戻ってほしい。なによりも若い才能を大事にすると同時に、普通の社会的常識をもった人間として成長させてほしい。


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