恒例のJ1順位予想。予想を始めてから3年ほど経つが、優勝チームすら当てたことがない。いわんや優勝から18位までの順位を当てることは不可能だ。
昨年は、「浦和優勝」の予想を外すことの方が難しいくらい、浦和の力が群を抜いていたが、筆者は贔屓の千葉を優勝に押して、失敗をした。阿部、坂本が去った千葉の優勝は難しい。上位(9位以内)がいいところか。
さて、Jリーグが概ね3つのカテゴリーに分けられるというのが筆者の持論で、今年もその見方は変わらない。昨年優勝の浦和を筆頭に、G大阪、鹿島、磐田、川崎の5クラブがカテゴリーA。その下に、横浜、清水、名古屋、千葉、大分、東京、広島の7クラブがカテゴリーBで続く。そして、大宮、新潟、甲府、横浜FC、柏、神戸の6クラブがカテゴリーCとなる。
優勝はもちろん、カテゴリーAの5クラブから出る可能性が高く、本命・浦和、対抗・G大阪、鹿島、磐田が続き、大穴で川崎といったところか。なんだ、昨シーズンの上位チームを並べただけではないか、と指摘されればそれまでだが、Jリーグの実力はクラブ経営力(資金力)に応じて固定化する傾向が強い。長丁場の1シーズン制では選手層の厚さが決め手となる。となれば、“日本のチェルシー”浦和が優勝するのは必然だろう。
浦和の不安材料は、オーストリア遠征(ブルズ杯)と先週行われたゼロックス杯での大量失点だ。オーストリア遠征で6失点、G大阪で4失点と守備に不安が残る。この大敗の主因は、筆者の想像では、調整の問題だと思う。トゥーリオのケガが完治し常時出場できれば、鈴木、阿部(長谷部)のボランチを含めた守備陣の能力は高い。
ただし、(オーストリア遠征は見ていないが、)G大阪戦における、千葉から移籍した阿部に精彩が欠けている点が気がかりだ。阿部は千葉時代、マンツーマンディフェンスで育ってきた。浦和のゾーンディフェンスになじまないのではないか。ゾーンではマークの受け渡しが重要で、なれない阿部がゾーンの穴となれば、相手に破られる可能性が高くなり失点が増える。
攻撃では、左サイドの三都主が抜けた穴を相馬が埋め、山田、平河、永井、小野、岡野を併せると、サイドの人材は豊富だ。FWはワシントン、ポンセ、田中にサイドもできる永井が加わる。
浦和の攻撃面の第一の課題は実は司令塔不在にある。昔ながらの10番はいらないとしても、とりあえず中盤で攻撃の基点となるキープ力のある選手は重要で、小野、長谷部、山田、ポンセらが思い浮かぶが、1シーズンまかせられる選手がだれなのかが定まらない。
第二の課題は、昨シーズン大活躍したワシントンだ。彼に対する他チームのマークは当然きつくなり、彼の得点は昨年に比べ減少する。
他のクラブに比べれば豊富な人材を有す浦和だが、ワシントンが封じ込められたとき、ポンセ(田中)、山田、相馬らがゴール前で暴れないと、得点は減る。阿部の調子が上がらず、長谷部・鈴木の2ボランチならば昨年同様、相手に与える脅威は低いわけで、浦和の苦戦は免れない。Jリーグに限らず、リーグ戦二連覇はどこの国でも難しい。
となると、G大阪が俄然、優勝候補として躍り出る。G大阪は、守備面でベテラン宮本がオーストリアに移籍したが、峠を越したベテランの移籍はむしろプラスに働き、おかげで理想の4バックを組むきっかけができた。
さらに、彗星のように現れたサイドの安田もいいし、加地も地力がある。中盤は二川、遠藤が技術的・戦術的にみて、昨年よりレベルアップし、FWには相変わらず好調のマグノアウベス・播戸にバレーが加わり、パワーアップした。昨シーズンに比べて力が落ちそうな浦和に比べて、G大阪は明らかに力が上がっている。
というわけで、順位は以下のとおり・・・
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プロ野球米国メジャーリーグ(MLB)でプレーする日本人選手が米国各地でキャンプインした。中で最も注目されるのは、松坂(西武⇒ボストン・レッドソックス)であることは間違いないが、ケガからの復活が期待される松井秀(読売⇒NY・ヤンキース)、そして、大阪の人気者・井川(阪神⇒NY・ヤンキース)も話題をさらっている。
こうした伸び盛りの選手と対照的なのが、38歳の桑田(読売⇒ピッツバーグ・パイレーツのマイナー)の渡米だ。桑田は読売を事実上クビになり、その経緯は定かではないが、パイレーツとマイナー契約を結んだもので、桑田、読売に多額の移籍金が入ったわけではない。
桑田の米国挑戦は、報道で知る限り、順調のようだ。感心するのは、桑田が通訳をつけず、しかも単身でMLBを目指す各国の若手と練習に励んでいる点だ。松坂に限らず、先駆者・野茂(近鉄⇒LAドジャース等)、イチロー(オリックス⇒シアトル・マリナーズ)、両松井(稼は西武⇒NYメッツ等)、井口(ダイエー⇒シカゴ・ホワイトソックス)らは、通訳付きで、しかも、いきなりのメジャーデビューだった。一方の桑田は野球選手としては高齢でありながら、厳しい下積みからスタートした。英語は独学、スペイン語もマスター中だという。
さて、MLBにおける成績は別として、米国野球生活に最もなじんだ選手といえば、長谷川(オリックス⇒アナハイム・エンゼルス等)ではないか。長谷川は米国マスコミの取材に英語で応対し、所属する地元社会(ファン)と最も緊密な関係を築いた日本人メジャーリーガーだった、といわれている。
長谷川に次いで馴染んでいるのが、田口(オリックス⇒カージナルス)ではないか。田口は報道によると、セントルイス(カージナルスのホームタウン)で人気が高く、“ソウ”の愛称で親しまれているという。筆者は、田口のユニホーム姿が日本人メージャーリーガーの中で、最もカッコいいと思っている。同義反復すれば、MLBのユニホームが一番似合っているのが田口だと思っている。
カージナルスのユニホームは赤が基調だ。赤といえば、松坂が移籍したレッドソックスも赤がチームカラーだ。テレビで知ったのだが、この両チームの練習用の帽子は共に真っ赤。でも残念なことに、松坂の赤帽姿は、小学生の運動会の赤帽姿にしか見えない一方、田口はしっかりと、MLBの赤になっているし、赤のTシャツ姿もきっちりきまっている。
ユニホームの着こなしというのは記号的な意味があり、松坂が似合わないのは、おそらく、メージャーリーガーとして実績がなく貫禄が伴わないためだと思う。松坂には、しっかりと実績を積んで、MLBのユニホームをうまく着こなしてもらいたいものだ。
ここで前出の桑田の話に戻ろう。桑田は日本のマスコミの取材に対し、「米国の練習方法は、自分の理想とするものだ」と語ったという。仮に、桑田の渡米がいまから10年前であったのならば、彼の実力からして、最低5年間、MLBの投手生活が続けられたと思うのだ。その間、桑田が英語、スペイン語に磨きをかけていたならば、彼はMLBと日本プロ野球の双方を知る、貴重な野球人になっていたと思う。そのことは、現役か否かを問わない。
もちろん、38歳のスタートだからそのことが達成できない、と断言するつもりはない。筆者は桑田に対し、米国の野球技術のみならず、米国社会、米国のスポーツ文化のあり方について、多くを学んできてほしいと思っているし、彼には、それを言語化する資質がある。桑田が日本プロ野球に指導者として復帰すれば、日本プロ野球を革新する可能性をもっている。いろいろな意味で、がんばれ、マイナーリーガー・桑田!
一人目はプロ野球オリックスの清原。清原については、シーズンイン後2ヶ月持たない、と筆者は当コラムで書いたばかりだが、報道によると、下半身の故障でキャンプを離れ東京に戻ったという。テレビ画面で見た清原の体型を見れば、野球選手のそれではないことくらい、素人にもわかることなのだが、スポーツマスコミからは、柵越何発だとか豪打復活だとか、威勢のよい記事ばかりが飛び出してくるから不思議だ。テレビの「キャンプ便り」を取材しているスポーツ記者諸氏は、一体全体、どういう視点で記事を書くのだろうか――筆者には彼らの存在こそ、理解を越えている。もちろん、清原は、シーズンインしても期待はできない。筆者は清原に引退を勧める。
二人目はサッカーFC東京の平山。安全運転を怠ったという。平山に社会人としてマナーが備わっていないのは、彼が高校時代、まともな教育を受けていなかったからだ。このことも、当コラムで何度も書いた。「恩師」であり、高校サッカー界の「名監督」の一人であるK氏の指導に問題があったことは明白。高校生活3年間の教育不在が、いまの平山を形成している。
清原がスポーツ選手としては晩年に当たるのに反して、平山は若くこれからの選手。このままいけば、資質を生かせず、選手生活は短いまま終わってしまう。プロ選手に必要なのは、セルフコントロールであり、同時に、厳しく自らの人間性を磨くことだ。
プロスポーツ選手としての成功は、自らの天分と努力の結果だ、と自惚れてはいけない。自分がまわりから活かされてきたことを忘れてはいけない。家族、高校時代の先輩、同輩、後輩、指導者、プロに入ればスタッフ、監督、コーチ、チームメート、ライバル・・・とあるが、なによりも、サポーターの存在が大きい。
サポーターの中には子供達も多く含まれている。プロ選手は選手として、指導される面はもちろんだが、サポーターに対しては、ピッチ内外で間接的に指導する立場に立つ。プロ選手は、いいプレーを見せることで、スポーツを志す若者に影響を与えることはもちろんだが、その言動、思想、日常生活(ボランティア活動等)において、若者達に強い影響を与えることになる。プロ選手は年齢が若かろうと、人々の範となることが求められている。だから、甘えは一切許されない。そのことが理解できなければ、平山はプロのサッカー選手になれないし、なってはいけない。
といえば、プロ野球オリックスの清原だろう。1〜2月のスポーツ端境期、「キャンプ便り」等のテレビ報道番組で清原をクローズアップしない番組はない。
オフシーズンには、可能性はだれにでもある。すべての野球選手は今年こそ――という意気込みでキャンプインする。前シーズン良い成績をおさめたものもそうでないものも、前向きでない選手は存在しない。そんな時期、清原はテレビにとって「絵になる」選手のようだ。
清原の今シーズンの可能性は・・・といえば、筆者の予感では「活躍できない」となる。テレビ映像で見た清原の印象は、相変わらず体重オーバー、上半身の筋肉のつき過ぎに映る。プロ野球の野手――打って走って投げて――を可能にする体型には映らない。おそらく清原はシーズンインした後、概ね二月でリタイアするだろう。
オリックスの新監督はアメリカ人だ。この新監督が清原をどのように起用していくか未知数だが、清原が指名打者で5番、6番を打つことになれば、一塁への全力疾走、次塁を目指す全力疾走の機会は少なくない。そのとき、清原の下半身が自らの重い上半身を支えることができなくなり、故障が生じる。
加えて、新監督が当たり前に勝つための野球を目指すならば、打つ・走る・投げる・守る、のバランスを重視するに違いない。野球においては、バランス重視こそが勝率アップの基本であることは、野球素人にも了解可能事項だ。そうなれば、清原の先発出場数は減る。“一振り”に賭ける代打専門という役割もあるかもしれないが、清原に代打専門で勝利に貢献するような資質はないと筆者は見る。
筆者は、清原について、上半身の無駄な筋肉を落とすこと、体重を絞ること、下半身を鍛錬すること――を繰り返し当コラムで書いてきた。一般的に言って、フリー打撃で何本柵越えするかよりも、実戦形式で投手の生きた球を打ち、状況に応じて動く練習を重ねることがプラスになる。スポーツ選手にとっては、実戦の動きを重ねることこそが、必要な筋肉の鍛錬に直結する。筋トレは基礎体力、筋肉の強度を高める効果があることを否定しないが、筋トレをいくら重ねても、実戦の筋肉が強化できるわけではない。筋トレをやりすぎれば、無駄な筋肉が選手生命を短くする。
清原は、シーズンオフ、総合格闘技の秋山のセコンドを務めたものの、秋山がルール違反で失格となった。秋山が犯したルール違反の責は、セコンド陣に帰せられておかしくないもののようだったが、そのことを指摘したスポーツマスコミはない。もっとも、秋山のルール違反の判定そのものが曖昧で、その真相は明らかでない。
清原がお飾りでセコンドを務めただけならば、清原に責任はないとも言える。とは言え、スポーツ選手は公正を旨とするのだから、この事件は秋山・清原の二人の高名なスポーツ選手の人生に汚点を残したと言える。しかも、セコンド・清原がこの件について発言したという報道は、管見の限りで見当たらない。都合の悪いことは言わない、という姿勢はいかがなものか。いろいろな意味で、オフの主役にふさわしい。
またぞろ、大相撲の八百長疑惑が世間を騒がせている。このテーマは当コラムで何度も書いた記憶がある。自説は以前とまったく変わらないのだが、繰り返す。
相撲は国技だが「技」が何を表すのかといえば、筆者の解釈では、演技の「技」だと思う。たとえば、技巧的という表現は、多分に人を欺くニュアンスがこめられているのであって、本質は隠されていることを意味する。相撲が「国技」と言われるのは、格闘・戦闘を象徴的(技巧的)に表現するものだからだろう。相撲は、神前の儀式として、神に奉納される。そのことが、相撲が国技と言われる本質だ。
疑惑の横綱・朝青龍の品格が常に問題となるところから推測すると、彼の言動には、問題が多いのかもしれない。大相撲=国技という位置づけからすれば、そのことは良いことではないが、だからといって、この横綱に「八百長」の嫌疑をかけるのは間違っている。そもそも相撲はスポーツではないのだから、「八百長」という概念は存在しない。関取に「八百長をやっているか」と聞けば、「やっていない」と回答するに決まっている。その質問は、プロレスラーに向かって、「君は八百長をやっているか」と問うことと同じくらいの愚問だ。プロレスラーはあくまでも「強い」のであり、「世界チャンピオン」でなければならない。マットの上で演じられる「強者」であり「王者」でなければならない。
近年盛んになった総合格闘技において、大相撲最高位にあった曙は全敗である。ルールが違うものの、曙の弱さは相撲の弱さを象徴する。プロレスラーである高山、ドスカラス、ケンドーカシンも総合では勝てなかった。柔道出身のプロレスラー小川も総合では勝てなかった。このことは、プロレスラーと相撲取りが共に演技者であり、この二つはスポーツのカテゴリーに入ることはなく、筆者の分類では芸能に属すことを証明する。
純粋スポーツでありながら、カネで勝敗をやり取りすれば、八百長が成立する。競輪、競馬、野球、サッカー、ボクシング・・・等々のプロスポーツに八百長があれば、それは許されない。勝者は敗者より多額の報酬を得るのだから、不正で報酬を得れば犯罪となる。一方、大相撲、プロレスは劇団のようなものだ。横綱、大関、幕内という格付けをもった俳優たちが、それぞれの役を演じることによって、相当のギャラを得る。主演をはる看板俳優(横綱)のギャラは、端役(幕内)よりは数段高い。それだけの話だ。
大相撲に「八百長」があるという報道は愚かだ。日本人はナイーブ(うぶ)だから、大相撲を本気だと思っている、という人もいるかもしれないが、相撲ファンというのは、横綱という「強者」が常に勝つことで安堵し、相撲取りが演ずる定型の美を楽しんでいる存在なのだ。彼らは演技と本気を区別できない時代遅れの愚か者ではない。彼らの相撲の楽しみ方は、スポーツのそれとは異なっている。スポーツのもつ偶然性を排し、決められた筋を楽しんでいる。彼らは筆者のようなスポーツ愛好家よりは、はるかにしたたかであり、屈折しており、伝統の技=国技を楽しむ洗練された存在なのだ。
「八百長報道」は、多くの相撲ファンの安寧を邪魔する騒音のようなもの、無粋以外の何者でもない。
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