| 2007年10月30日(火) |
[亀田]対[金平]の利権争いか |
亀田騒動も終幕が近いようだが、未解決の課題が残った。亀田ファミリーを利用したTBSを筆頭とする周辺問題は別として、そもそもこの騒動の中心には、�〜�手・亀田兄弟の問題、��父・史郎氏の問題、�5掬腸箸閥睚織献爐量簑蝓宗修箸いΓ海弔陵彖任�ある。
�,砲弔い討蓮∈8紂�兄弟がスポーツマンとして対戦相手を敬い、実力を磨き、好敵手と見られる選手と試合を行い、内容ある試合を見せれば、解決する。亀田兄弟が勝つか負けるかはわからない、勝負は時の運、神のみぞ知る。負けが続けば淘汰され、勝てば世界挑戦の話もでてくる。問題解決の道筋は見えている。
�△砲弔い討蓮∋墨沙瓩�2回目の謝罪会見に欠席したことで、ボクシング界から自ら引退を表明した、と受け止められている。換言すれば、謝罪拒否=トレーナーライセンス返上と世間が解したかのように報道されている。
史郎氏サイドとしては、今後息子達の試合にセコンドとしては「つかない」と言いたいのかもしれないが、何度も繰り返すとおり、WBCルールでは、父親(親族)はセコンドに「つけない」のである。史郎氏の言い分であるところの、謝罪しないかわりにボクシング界から身を引くというのは、詭弁そのものだ。
JBCはこの時点で、史郎氏に「永久追放」を宣告すべきなのだが、それをしていない。史郎氏の、最後まで反則指示を認めないという頑なな姿勢が何を意味するのかは、いま現在わからない。わからないが、史郎氏が謝罪を拒否したということは、自らの「悪」の根本姿勢を今後も貫くという、固い意思表示だと理解するしかない。ことは重大なのだが、JBCに動きがない、なぜか・・・
��については、報道を読む限り、[金平ジム]と[亀田プロモーション]の内輪もめ、もしくは、利権争いだと見られる。興行の世界のことはまったくわからないのでコメントのしようがないのだが、報道からは、▽今後の兄弟のマッチメークに関するヘゲモニー争い、▽亀田ファミリーがこれまで培ってきた資産管理・今後発生する運用益(キャラクター使用、映像並びに著作物に係る権利、取材謝礼金、ファイトマネー・・・)――を巡って、両者が敵対的関係にあるということを公然化させたように解釈できそうだ。
亀田サイドは“亀田のものは亀田に属する”と考えるだろうから、金平側に渡すものなど何もない、と主張するに違いない。ところが、ボクシング界の規定や慣例もあるから、そうもいかない。金平ジム側としては、世間の亀田バッシングを追い風にして、これまでのような亀田プロモーションの独占状態を排除して、独占とはいかないまでも、これまで以上のシェアを確保したいところだ。
となると、今後の亀田報道のあり方については、一考を要することになる。史郎氏が「悪」だといっても、それはスポーツ界のルールを基準としたものであって、罪を犯したわけではない。亀田VS金平の抗争については、報道機関に中立性が求められる。両者の利権抗争に関する限り、金平=善、亀田=悪の構図は一方的すぎる。世間の亀田バッシングを利用して、利権拡大を図ろうとする金平ジムにも注意が必要だ。筆者の一方的かつ表層的印象を述べれば、金平ジムがクリーンだと確言できないような気がする。
いずれにしても、[亀田]対[金平]の攻防はスポーツの枠外の話なので、これをもって当コラムで取り上げる可能性はない。
| 2007年10月27日(土) |
父の不在が痛々しい。 |
一見、「亀田騒動」に終幕が訪れたように見えるが、TV報道で興毅の会見を見た限り、父・史郎トレーナーの不在が「亀田騒動」の闇の深さを暗示している。本来子供を守るべき父親が姿を見せず、長男が世間に詫びる姿は痛々しい。二男の不祥事に対して父親が逃げだし、父親の代わりに兄が謝罪する「家族」が、いったいどこの国にあるというのだろうか。
史郎トレーナーは自分が果たせなかったボクシングの夢を子供に託し、幸いにして子供達がボクシングで成功することにより、大金が転がり込んだ。しかし、安易な金儲けが続くものではない。このたびの二男の敗戦、反則騒動で世間の非難・批判が高まるや、一転して責任のすべてを、試合をした二男になすりつけ、形ばかりの謝罪会見でお茶を濁そうとした。
最初の会見では反則指示の疑惑を否定したものの、それを受けて世間の非難・批判がより高まるに及んで、長男を身代わりに立て謝罪をさせ、自分の疑惑をうやむやにした。父は反則指示に対する謝罪を最後の最後まで拒否した。
史郎トレーナーがセコンドライセンスを返上したといっても、WBCルールに基づけば、そもそも親族がセコンドを務めることはできないのだ。ルールが適用されれば、この先、父親は息子の試合に臨めない。史郎トレーナーに失うものはなにもない。父の本心は、謝罪だけは何が何でもしない、ということのようだ。父・史郎トレーナーの“ヒール”の面目躍如といったところか。何度も書くように、亀田史郎という人物は、“ヒール”そのものなのだ。
この先、亀田兄弟は金平ジムで練習をし、普通のボクサーとして、試合をこなしていくことになる。1年間試合ができない二男は、6回戦から出直して、日本ランカー入りをまず目標とするべきだ。3ヶ月試合のできない長男は、フライ級で世界王者を目指す前に、日本ランカー上位者と試合をすることが禊の条件の1つとなる。そこで負ければ、先の世界ライトフライ級王者の「実績」が作為であったことが証明され、勝てば、世界ランカーとしての実力が認められることになる。
かつて当コラムで書いたけれど、プロだからパフォーマンスが許される、演出は構わない、という日本のスポーツ風土は間違っている。プロというのは、その道の専門家なのだから、専門分野で人を惹きつけなければ、プロといえない。たとえば、米国MLBにいる松坂が投球で人を惹きつけられなければ、どんなにキャラクターや言動に特徴があっても、評価されない。松坂は投手なのであって、タレントではない。松坂が歌っても踊ってもかまわないが、野球で活躍できなければ、スポーツ選手として失格である。こんな当たり前のことが日本のスポーツ界に定着していない。亀田がボクサーとして実力があれば、それだけでファンは試合を見に行く。日本のボクシングが低迷したのは、実力のある選手が少なくなったからだ。その間隙を縫って、つくられた世界チャンピオン・亀田が出現したが、あっという間にメッキがはげた。
スポーツに即席、作為、演出は不要だ。物語は要らない。野球は筋書きのないドラマであり、サッカーはファイナルの笛が鳴るまで何が起こるかわからないのだ。だからこそ、人はスポーツに魅せられる。ボクシングだって、逆転KOシーンがあればこそ、ではないか。亀田の勝ちがわかっている試合に大金を出してチケットを購入する客がいること自体が不自然だとは思わないか。
| 2007年10月21日(日) |
亀田騒動と日本社会の変容 |
そもそも亀田ファミリーは違法商品なのだ。WBCルール第38条には「家族のセコンド禁止」の規定があるが、JBCが認めていた。元WBC世界フェザー級王者越本と、父英武会長らの前例もある。ルールよりも、「親子鷹」の人気を優先してきたのが日本ボクシング界だった。それが仇となって、今回のように史郎トレーナーは大毅の反則行為を止められなかったばかりか、反則指示疑惑まで浮上していた。しかも、史郎トレーナーにはトラブルを起こした「前科」があった。JBCがWBCルールを厳格に適用すれば、今回のような反則試合は起きなかった可能性が高い。それができずに、違法商品である亀田ファミリーの存在を許してしまったのだ。
いまになってWBCルールの適用がなされていないといっても手遅れというもの。亀田ファミリーがブーム化する前に、JBC、スポーツジャーナリズムがその違法性を指摘すればよかった。今回、内藤陣営が亀田ファミリーの違法性に異議を唱えたが、JBCもスポーツジャーナリズムも無視した。内藤陣営は孤立無援のまま試合を迎え、試合直前のルール説明のとき、史郎トレーナーから恫喝を受けた。JBCが亀田ファミリーという存在そのものの違法性に目をつぶったのだから、大毅が反則をしてもいいとまでは言わないが・・・
さて、筆者は当コラムで、亀田ファミリーは“ヒール”を演じているのではなく、“ヒール”なのだと書いた。“ヒール”とは悪役の意味。米国のプロレス界で発展したキャラクターで、“ヒール”を演ずるレスラーはルール無視、反則の常習者。反則技や凶器攻撃でハンサム(善玉)を痛めつけておいて観客の怒りを買い、ハンサムの反撃を望む声が高まった頂点で、結局はハンサムに撃退される。
米国社会は格差社会である。その構造を大雑把に言えば、WASP(白人・アングロ=サクソン・新教徒)を頂点にして、それ以外の白人が中位を形成し、イタリヤ系、アイルランド系等が白人社会の下層を形成する。さらに、その下にカラード(アフリカ系、アラブ系、アジア系、中南米系)が位置する。微妙なのがユダヤ系だが、プロレスの“ヒール”とは関係ないので、ここではそれに触れない。
米国プロレス界の“ヒール”は、概ねWASP以外である。プロレスの観客がWASP以外の白人層から支持された時代(1950〜1970年代)は、第二次世界大戦の敵国・日本人(日系)・ドイツ人レスラーが“ヒール”のはまり役だった。東郷兄弟、ハロルド坂田、ハンス・シュミットらが名高い。その後、プロレスの客層が拡大し、ソープオペラと呼ばれて階層の上下にファンが拡大するに従い、“ヒール”が人種・国籍に規定されることは少なくなった。日系、アジア系、アフリカ系レスラーがむしろハンサムになり、「汚い」白人レスラーをやっつけるという図式も広まった。
だが、いずれにしても、プロレスの“ヒール”は役割・役柄であって、演技の範疇にある。“ヒール”というキャラクターを格闘技風に演じるのがプロレスである。何が言いたいのかといえば、米国の“ヒール”には、米国社会の実相が反映されているということだ。大げさに言えば、米国のプロレスの“ヒール”は社会学の分析対象となる。かつて、社会の上層にいけない白人は表向き人種差別を控えたものの、心の奥底で非白人に敵愾心をもっていた。彼らのカタルシスは、プロレス会場で“ヒール”の非白人をののしることによって、解消された。
筆者は、亀田ファミリーは“ヒール”を演じていると思っていたが、実は“ヒール”そのものなのだ、と当コラムに書いた。
亀田ファミリーの「謝罪」会見で史郎トレーナーが記者からパフォーマンスをどう思うかと問われ、彼が「そのことはいま、わかりません」と答えたのが印象的だった。この回答から、亀田ファミリーには、「パフォーマンス」=「ヒールを演じる」という意識がないことがわかる。史郎トレーナーは「とりあえず」を連発し、「自分達のスタイルを続ける」といい続けていた。「自分達のスタイル」というのは“ヒール”を演ずることではない。“ヒール”=彼らの地で、この先も行くよ、と話したかったのだ。「とりあえず」というのは、「自分達にはそれしかない」「それ以外はない」「ほかに考え付かない」という意味だ。だから、彼らが普通のボクサーに戻る保証はない。試合が決まれば、おそらく相手選手に罵声を浴びせ、無礼な態度で記者会見に臨み、相手選手に襲いかからんばかりに睨みを利かせるだろう。
史郎トレーナーは、反則指示について記者から聞かれ、「(反則指示は)していない・・・そっち(記者)がどうとらえようと自由だが・・・」と答えた。おそらく、史郎トレーナーの頭の中では、二男大毅が試合で反則をしたとは思っていないのではないか。史郎トレーナーには反則という概念がないと思う。
そればかりではない。もう一つのキーワードは「そっち」である。「こっち」と「そっち」つまり「亀田家」と「社会」もしくは「世間」との対立軸である。史郎トレーナーは常々、「自分達の前進を邪魔する奴をぶっ倒す」という意味の発言を続けているらしい。筆者にとって、亀田ファミリーとは、プロボクシングの世界から突如出現したモンスターに見える。彼らはどんな生き方をしてきたのだろうか。彼らが頑なに「こっち」に閉じこもる所以はなにか、その価値観はどこでどのように形成されたのか・・・
報道によると、彼らは、プロボクシング界で有名になる前、大阪の下町で、あまり裕福とはいえない生活を送ってきたようだ。史郎氏はボクサーを目指すも挫折し、解体業を営みながら子供たちにボクシングを教えてきたという。その間、史郎氏は離婚。亀田ファミリーの父子の発言をテレビ出演、記者会見で聞く限り、かなり粗雑なしゃべり方をするし、相手に敬意を払うことや礼儀作法を知らない。社会常識、教養はなさそうだ。その態度・言動からうかがえる基本的姿勢は、邪魔は許さないというものだ――たとえば、車二台がすれ違えない狭い道路にあって、史郎トレーナーが対向車に道を譲ることは絶対にないだろう。彼らは混雑した電車の中で座席を独占し、そっくりかえって座席に腰を掛け、足を投げ出したり、足を組んだりして、周りの乗客に迷惑をかけるようなタイプだ。
こうした人物はどこにでもいるし、珍しい存在ではないのだが、ボクシングでのし上がり、しかもマスコミのおかげでその生き方が容認されだしてから、かれらはモンスターに成長してしまった。地球外生物が地球にやってきて、地球上の「悪」を吸収して巨大化し、凶悪なモンスターに変身するSF映画があったが、そのような現象が亀田ファミリーに起きてしまった。たとえば、およそ、読むに耐えない史郎トレーナーの「教育論」が活字になり、書店の“教育書コーナー”に並んでいるらしい。この本を出版した出版社と編集者は、責任を感じるべきだ。かれらは本質的な“ヒール”であり、反則容認の家族なのだから。テレビ特番もあったらしい。見ていないので間違っていたら訂正するが、この特番も家族論・教育論が視点のようだ。彼らが「理想の家族」ならば、日本は反則(犯罪)王国になってしまう。
「勝てば世間は、(自分達への)態度を改める」という勝利至上主義も話題になっている。これまで実際のところ、亀田ファミリーは勝つことによって、ルールを無視できた。親族がセコンドについてはいけないというWBCルールは適用されなかったし、勝つことにより周囲の亀田家に対する扱いは破格のものになっていったのだろう。残念なことに、マスコミ(TBSテレビ)やスポーツジャーナリストらが、亀田家を下にも置かない扱いをしたのだろう。彼らの哲学が正しいことが証明されてしまったのだ。
亀田騒動は収束に近づいているが、亀田史郎トレーナーの心の闇の部分が解明されたとはいえない。筆者には、日本社会において亀田家が象徴するものが仄かに見えているものの、そのイメージをいまだ言語化するに至っていない。彼らは日本社会の変容と無関係ではない。たとえば、学校におけるモンスターペアレントや給食費不払者らと共通するような気もするし、そうでないような気もする。あるいは、急速に進みつつある社会の階層化と無関係ではないかもしれない。指標は定かではないが、日本社会を構成する特定集団として彼らを象徴的に規定できるような気がする。もし規定できたとしたら、その存在が日本社会にとってプラスだとはいえない。
戦後、日本プロボクシングの歴史は白井義男から始まったといわれ、その後継者は具志堅用高だった。白井は貧しさから世界を目指そうとする戦後復興の象徴であり、カーン博士との二人三脚は日米安保体制の象徴だった。そして、ウチナンチュー具志堅が世界王者になったことは、沖縄本土復帰の完全なる成就(日本の完全独立)の象徴だった。二人が象徴する「日本人」が日本を支えてきた。つまり、日本のボクシング王者は強くして奢らず謙虚だった。彼らはまちがいなく、日本社会のプラスのイメージであり、日本ボクシング界には白井の遺伝子が脈々と伝えられたきたはずだった。
しかし、その王道は、亀田ファミリーによって大きく崩れてしまった。ストイックで謙虚で強いというボクシングのプラスイメージが変容したということは、日本人のストイックさ、謙虚さ、そして強さが否定されたことに通じている。
ボクシングファンの筆者が亀田騒動で言いたかったのは“日本人ボクサーの美学とは、実は、日本人そのものの美学にほかならない”ということだ。亀田ファミリーはその真逆の存在であり、筆者には、その存在が耐えられない。
本日、K・父のSトレーナーと負けたDの会見があった。テレビのニュースで見る限り、Dは精神的ショックを受けていることが見て取れたが、父・Sトレーナーは反省しているようにふるまっていたものの、内心は違うな、とだれもが感じたのではないか。
K問題で触れなかったことがあるので、書いておこうと思う。というのは、セコンドについた父・兄の反則指示疑惑についてだ。試合後、二人はこのことについて否定していたし、会見でも父・Sトレーナーがはっきりと否定した。ということは、反則は本人(D)の意思、本人が勝手にやったことだ、と父が断言したことになる。
筆者は、サミング、ローブローの反則については、セコンド(父・兄)の指示のもとに行われたと確信している。筆者の憶測が事実の場合、父と兄はDを見捨てたことになる。父・兄の反則指示否定は、反則の責任はすべてお前(D)が負えということだ。父(兄)が息子(弟)を裏切ったのだ。父(兄)が息子(弟)を見捨てたのだ。
筆者ならば、息子をかばう。息子が愚かなことをしてしまった場合、父は教育がいたらなかった、と関係者に謝罪する。親が指示したのならば、子供に罪はないとかばう。父親というのは子供の愚行に関して、その責任の一端を共有するのが常だ。親ばかは、息子を見捨てない。
Kファミリーの場合、父も兄もDを見捨てた。息子(弟)の愚行をかばわなかったばかりか、自己弁護に走った。これほどまでに非情な親・兄をもったDに同情する。もちろん、Dの反則行為は許されることではないが、反則を指示したにもかかわらず、俺たち(父・兄)は指示していない、本人(息子・弟)が勝手にやったことだ、と白を切った父と兄をもったDの不幸に同情する。父と兄は保身のために、負けたDにすべてを背負わせたのだ。これほど非情な父・兄をもったDを不憫に思う。
すべてはカネのためなのか。負けた弟(D)を使い捨てにして、強い兄(K)を使って早いとこ稼ごうという魂胆なのか。だから、パフォーマンスとしての「謝罪会見」を開いて反省をしたふりをして、ライセンス停止の解除を急ごうという計算か。
Sトレーナーのライセンス停止が解除される要件は何なのか、だれが停止解除の判断をくだすのか。筆者はきょうの会見をテレビニュースで見て、KSという人物の心の闇の深さに戦慄を覚えた。こんな人物がトレーナーライセンスをもって、これから先も息子達にボクシングをやらせるのかと思うと、背筋が寒くなってしまった。ここまで荒廃した親子関係が、ボクシングというスポーツの世界でこの先も繰り広げられるのかと思うと、ぞっとしてしまった。
| 2007年10月15日(月) |
“亀田的なもの”を生み育てた者たち |
報道によると、日本ボクシングコミッション(JBC)は15日、東京都内で倫理委員会を開き、11日の世界ボクシング評議会(WBC)フライ級タイトル戦で反則を繰り返した亀田大毅に1年間のボクサーライセンス停止、セコンドについた父・史郎トレーナーに無期限のセコンドライセンス停止、兄の亀田興毅に厳重戒告、協栄ジムの金平桂一郎会長はクラブオーナーライセンス3カ月間停止とした。だが、この処分を妥当だと考えるのは、亀田ファミリーとそのシンパ、並びに亀田ファミリーの元締め・TBSくらいだろう。
そもそも、WBCのルールでは、親族のセコンドを禁止しているという。このことは、筆者は不覚にも不勉強で知らなかった。だが、ボクシング評論家、スポーツジャーナリスト諸氏が知らないでは済まされない。彼らは、スポーツ報道・スポーツ評論でメシを食っているプロなのだから。彼らは、亀田家のルール違反を広く、報道すべきだった。
亀田ファミリーをスポンサードしているTBSも知らないでは済まされない。TBSは一応、日本ではジャーナリズムだとされている(もちろん筆者はTBSをジャーナリズムだとは考えていないが)。TBSは政治家のカネの問題では正義の味方面して、その違反を声高に報道するが、自らがスポンサードする亀田ファミリーのルール違反については黙認して興行を続けていた。
JBCにも責任ある。WBCルールを国内で勝手に変えて運用する根拠はなんなのか。ルール無視のコミッションなのだから、亀田ファミリーの反則行為を処分する資格がない。
結局、亀田ファミリーの反則を許容したのは、▽JBC、▽TBS、▽ボクシング評論家、▽スポーツジャーナリズム――ということになる。プロボクシング関係者が一蓮托生、亀田ファミリーにぶら下がって、亀田ファミリーが生み出すカネに群がっていたのだ。
さて、亀田ファミリーについては、かつて、やく・みつる氏がテレビのワイドショーの番組中、史郎トレーナーと大喧嘩をしたことが思い出される。今にして思えば、やく氏の亀田ファミリー攻撃の正当性が証明されたことになる。やく氏の慧眼に敬意を表するとともに、あのとき亀田ファミリーを擁護した人びとに反省を促したい。もちろん、筆者はこのコラムでやく氏を支持した。
スポーツに限らず、目先のゼニに飛びつくと、最も大事なものを失うことがある。スポーツ(文化)がルールを捨てて目先のゼニに飛びつけば、長年築いてきた「実力の世界」という原則を失う。日本プロボクシング界はいま、瀬戸際にある。「亀田方式」で目先のゼニを追うのか、それとも地道に実力を磨くのか――
| 2007年10月13日(土) |
亀田ファミリーに厳正な処分を |
報道により、亀田が犯した反則の内容が明らかになってきた。最も目立ったのが、最終ラウンドのレスリング行為(減点3)だったが、それ以外にも度重なる反則行為として、▽サミング、▽ローブロー(太ももをたたく)、▽エルボー(ひじでの打撃)、▽首絞め、▽スリップダウン時の攻撃…王者・内藤は「反則のオンパレード。うやむやに終えることはできない」と訴えたという。
それだけではない。試合前のレフェリーのルール説明の時に、突進してきた史郎トレーナーが突っ掛かってきて、「てめえ、このやろう」と脅してきたらしい。父・史郎トレーナーの威嚇行為だ。この場面の異常さはTVでも確認できたが、何を言ったのかはわからなかったのだが、王者・内藤の試合後のコメントを確認して驚いた。常識ではあり得ない行為だ。日本のボクシング界においては、レフェリーのルール説明まではお互いをリスペクトし合い、スポーツマン精神に則り、全力で戦うことを確認することが通例だ。それに反して、「てめえ、このやろう」と脅してきたというのは、日本の長いボクシングの歴史においてあり得なかった蛮行だ。この行為だけでも、史郎トレーナーのライセンスは剥奪されるべきだ。
ルール違反ではないが、判定後の亀田側の行為も見苦しかった。敗者は勝者の実力を讃え、勝者は敗者の善戦を讃えることは、規定にはないが、スポーツマンの最低限のルールではないか。筆者は試合終了のゴングが鳴り終わった後、互いの健闘を讃えあう選手同士の表情が好きだし、それこそスポーツ観戦の――とりわけ格闘技観戦のハイライトの1つではないか。K1等の格闘技で外国人選手が試合前に相手選手の悪口を言うが、あれは本気ではない。パフォーマンスだ。コメントしたほうもされたほうも意に介することはない。試合終了のゴングが鳴れば、互いに健闘を讃えあうのが常だ。亀田側はそれもせず、そそくさとリングから立ち去った。ゼニ儲けが終わったのだから長居は無用――の態度がミエミエだった。
筆者はこれまで、亀田ファミリーのヒール(悪役)ぶりはテレビ局と史郎トレーナーが仕掛ける企画・演出だと思ってきた。ところが、内藤戦における亀田側の言動、そして、先述した威嚇行為、試合中の反則行為を振り返ってみて、彼らは敢えてヒールを演じているのではなく、本当にヒールなのだ、と確信するに至った。この一家はボクシング(格闘技)をやる精神構造をもっていないし、格闘技に欠くことが許されない「心」を修練することもなかった。もしかすると、彼らは目の前の相手を潰すことしか考えていないのではないか、彼らは戦う機械なのではないか――と思うに至った。
報道によると、王者・内藤は、「ボクシングは町のけんかではなく、スポーツなんですから」と怒りを交えてコメントしたらしい。筆者は、王者・内藤の試合後の態度、コメントに救われる思いだ。彼は、善良な、そして、スポーツ文化を愛する国民的期待を背負い、戦う機械を排除した。喧嘩と格闘スポーツの截然たる境界を理解することのない野蛮な今日的な暴力信仰者を退けた。王者・内藤が守ったのはボクシングだけではない。視聴率至上主義のテレビ局と暴力集団から、日本人のモラルと文化を守ったのだ。
プロボクシングを統括する団体は、自らをスポーツ文化の牽引団体だと自任するのならば、亀田ファミリーに厳正な処分をくだすべきだ。カネ、反則、威嚇行為で汚れた亀田ファミリーをボクシング界から追放すべきだ。亀田ファミリーの悪行の数々をこれ以上見逃すことは、それこそ、国民の期待に反している。
試合前、父・史郎トレーナーは、王者・内藤を「ゴキブリ」と侮辱したうえ、「負けたら切腹する」と言い放ったという。切腹をしてもらいたいものだ。というよりも、スポーツマンは試合のすべてを勝つことができない。いかなる世界王者であっても、負けと勝ちを経験する。負けは恥でもなければ、失敗でもない。敗北や失敗から人は多くを学ぶ。
亀田ファミリーが敗北をきらうのは、彼らが戦う機械にすぎないからだ。負ければ機械はお払い箱になる。彼らにはボクシングしかない。だから、いまのうちに稼ぐだけ稼いで、引退後は何もしないで暮らそうと思っているのかもしれない。しかし、そんなことはあり得ない。経済的にはあり得ても、亀田兄弟は若い。彼らには第二、第三の人生が残されている。戦う機械のまま終われば、戦えなくなったとき、精神の荒廃が兄弟を襲う。史郎トレーナーはそのことを、父親としてわかっているのだろうか。
筆者には、ボクシングは最も美しいスポーツの1つという思いがある。もちろん、その一方でマッチメーキングを巡る不純さ、選手の過酷な減量という不条理があることは承知している。それでも、ボクシングは立ち技格闘技の中で、群を抜いて美しい。そのリングは神聖なものだ。
しかし、世界戦という最高レベルの場において、1ラウンド(最終12R)で減点3という、前代未聞の反則行為が挑戦者によってなされてしまった。またしても、亀田ファミリーの仕業である。神聖なリングへの冒涜である。王者に怪我がなくてよかった。一歩誤れば、世界戦で反則負けが起きたかもしれない。ルール無視のけんかが行われたかもしれない、と思うと・・・
亀田ファミリーについては、もうコメントしないつもりだった。ボクシング界から追放したいところだが、興行の観点から無理なのだろう。ただ、TBSという公共の電波が彼らをスポンサードするのなら、その対象のスポーツマンシップの有無、人間としての品位、品格の有無を問うたほうがいい。プロスポーツ選手には、その実力以上に、社会人としての品位・品格が求められている。高名なスポーツ選手が若者に与える影響が大きいがゆえである。それらを持ち合わせていない者は選手失格!与太者に過ぎない。与太者を支援するのは、与太者でゼニ儲けを企む与太者であって、公共の電波を扱う業者の資格を返上したほうが良い。
何度も言うけれど、亀田兄弟の見苦しさ、品位品格のなさ、スポーツマンシップの欠如の主因は、父の史郎トレーナーにある。史郎トレーナーが兄弟につきまとう以上、兄弟の蛮行、愚行はリング及びその周辺から消えない。
対戦する相手選手・関係者へのリスペクトの欠如、ガンとばし、年上の王者を口汚くののしってきた言動・・・そして、ついには、世界タイトルマッチにおける反則。
史郎トレーナーがその態度を改めることがないのなら、トレーナーの資格を剥奪したほうがいい。ボクシング界からの追放もいよいよ選択肢に上る時期に来ている。
さて、この試合の内容について期待していたボクシングファンは、多くはなかったのではないか。あるスポーツサイトが行った勝敗予想では、「王者・内藤の勝ち」が8割を超えていたと思う。この予想結果は、健全なボクシングファンが8割を占めているという裏づけ数値でもある。
多くのボクシングファンは、亀田の負けに期待していた。亀田ファミリーが負けて、凹むのを見たかったのだ。当然である。そもそも、挑戦者(18才)は、10戦全勝(7KO)の戦績を誇っていたものの、その対戦相手は実力が不明な外国人選手ばかり。世界戦に出てくる実力はない。「日本人と試合をするべきだ」という批判の声は根強かったし、体力は別として、ボクシングのレベルは6回戦程度。負けは当然だ。
内容としてはレベルの低い試合だったものの、それを補って余りあったのは、王者内藤のすがすがしい態度だった。「亀田に勝つという、国民的期待にこたえられてうれしい」というコメントが、この試合のすべてを表していた。日本のボクシング界がここまで築いてきた「神聖なリング」の伝統を、内藤が亀田ファミリーから守ったとも換言できる。
| 2007年10月06日(土) |
だんだん悪くなる松坂 |
ポストシーズンの対エンジェルス第2戦に松坂が先発。4回2/3、 打者24人、球数96、被安打7、奪三振3、与四死球3、失点3、自責点3で途中降板した。
試合はレッドソックスがサヨナラ勝ちをして松坂に負けはつかなかったが、投球内容は悪かった。松坂の投球の組み立てとしては、あいかわらずスライダーが中心。三振とるのもスライダー、打たれるのもスライダー。スライダーでカウントを稼ぎ、また、打者によっては決め球にもした。この日は角度、曲がり具合も最悪ではない分、KO負けは免れたものの、他の球種のコントロールが悪く、全体において安定性を欠いた。
この試合程度の投球内容ならば、ポストシーズンはもちろん、来シーズンは危ない。相手は松坂のことを相当研究して、松坂の得意のスライダーにタイミングを合わせてきている。スライダーが高めにきた場合や、角度、変化が甘いと、右打者ならばパワーで引っ張られ、左翼方向に飛ばされる。松坂のこのような打たれ方は、日本ではなかった。
松坂は、スライダーが打たれるとなると、もともとチェンジアップの制球が悪く、ストレートに威力がないので、米国では3Aでも通用しない。
松坂の活路はどうしたら開けるのか。とにかくスライダーに磨きをかけるしかない。まず角度をつけること。曲がるよりも割れるイメージだ。次にコントロール。右(左)打者の外(内)角低めにきっちり投げ切れれば打たれないけれど、言うほど簡単ではない。
スライダーを主体に、投球の幅を広げるという意味で、緩急をつけることも有効だ。1人の打者に最低1球は、カーブを使う手もある。スライダー、ストレート、カーブ、チェンジアップのコンビネーションだ。
MLBで松坂が野茂の実績を上回ることは難しいように思う。彼はもともと、「つくられた」メージャーリーガーなのだ。彼がMLBに移籍することが決まったとき莫大な移籍金が発生したが、筆者にはその根拠が理解できなかった。松坂がMLBで大活躍できる優秀な投手だとは思えなかったからだ。
ルーキーイヤーで15勝は、筆者の予想を上回ったが、防御率をみれば、彼は「並外れた」投手でないことがわかる。何度も書くことだけれど、来シーズンは松坂にとって、厳しい年になる。1年間ローテーションを守り、2年連続で10勝以上を上げられれば御の字だ。
松坂のレギュラーシーズンが終了した。戦績は防御率 4.40 、15勝12敗0S、 奪三振 201。投球イニング数204回2/3、奪三振201はいずれもチーム最多。登板試合数は32試合。
先発3〜4番手としてはまずまずの成績だ。32試合に先発登板して15勝だから、勝率は0.469と5割以下。強打のレッドソックスというチームでこの成績だから、下位チームなら勝ち数はもっと少なくなる。イニング数チーム最多の204回2/3は、松坂のこだわった先発完投の名残か。彼の契約金・年俸から見れば、さほどの成績ではないが、1年目、ローテーションを守って、1年間故障なく投げきったことは、ルーキーとしては立派だ。
ポストシーズンでは、うまくいけば2、3試合の登板があるかもしれないが、その成績については、筆者にはあまり関心がない。問題は來シーズンだ。
松坂の総イニング数を登板総試合数で割ると、1試合平均6イニング強になる。途中降板を含めて、このイニング数だと(データがないので確言できないが)、勝ち試合の平均イニング数は7イニングを超えるだろう。松坂が來シーズンも先発完投にこだわるようならば、成績向上は望めない。ルーキーイヤーの今シーズンを下回るかもしれない。相手も研究してくるし、ルーキーイヤーの疲労が抜けないままだと、取り返しのつかない故障にもなりかねない。
MLBで活躍した日本人選手の成績(先発タイプ)をみると、1995年から2005年まで現役を送った野茂英雄が抜群の実績で、ルーキーイヤーの1995年にドジャースで28試合に登板し13勝6敗0S、191回1/3、236三振、防御率2.54の好成績を上げている。勝ち星こそ今年の松坂に劣るが、防御率で松坂より2点弱勝っている。28試合で13勝だから勝率は0.464となり、松坂と変わらない。
野茂は、ドジャースで2年目16勝11敗、防御率3.19、3年目14勝12敗、防御率4.25とそれなりの成績を残すも、4年目、ドジャース/メッツ(に移籍)で合計6勝12敗と落ち込み、その後、1999〜2000年の2年間低迷するも2001年に復活し、レッドソックスで13勝10敗、防御率4.50、2002年にはドジャースに戻り、16勝6敗、同3.39、2003年に16勝13敗、同3.09と持ち直し、11年間、MLBで投げぬいた。
筆者の私見では、才能において野茂、松坂を上回ると思われる伊良部秀輝は、3年間在籍したヤンキースの2年目に13勝9敗、防御率4.06を最高として、エクスポズ、レンジャーズでは活躍できず、6年でMLBから姿を消した。伊良部より才能面で劣ると思われる石井一久も、ドジャース、メッツで4年しかもたず日本球界に復帰した。
実績で野茂に次ぐのは、意外と言っては失礼だが大家友和で、彼は1999〜2006年までMLBの各球団を渡り歩き、2002年にエクスポズで13勝8敗0S、防御率3.18の好成績をおさめている。しかしその後は低迷し、2006年にMLBから姿を消した。
このように、日本の投手は優秀だといわれる割には、先発タイプで野茂を上回る日本人MLB投手は出ていないのが実態である。松坂にはなんとしても野茂以上の成績が期待される。彼には、少なくとも、来シーズン以降10シーズン以上、MLBで投げ続けてほしい。そのためにも、今シーズンオフ、身体の手入れを怠らないでいただきたい。
何度も当コラムで書いたことだけれど、長距離移動とハードスケジュール、中4日のMLBの先発のレギュレーションにおいては、イニング数にこだわらないほうが、投手生命が長持ちするような気がするのだが。松坂はこのことをどう考えるのだろうか。
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