トヨタプレゼンツ、クラブ・ワールド・カップ(CWC)は、マンチェスター・ユナイテッド(MU)がリガ・デ・キト(キト)を1−0でくだして優勝した。日本のG大阪は、パチューカを1−0でくだし3位に入った。
大陸別順位は、欧州、南米、アジア(=開催国)、北中米、アジア(=ACL準優勝国)、アフリカ、オセアニアとなったわけだが、本イベントで明らかになったのが、欧州と他地域との実力さの拡大化。そもそも、決勝戦前から、MUの優位はだれが見ても明らかなものだった。キトが勝つ確率は、MUにミスもしくはアクシデントが発生した場合だと考えられた。
決勝戦の展開を大筋で追ってみよう。前半、キトが守りに徹し、MUが決定機を外すというシーンが続出した。キトの流れ、MUとしてみれば、「いやな感じ」だ。
そして後半、MUに退場者が出た。焦りからの無意味な暴力行為だ。ここまでは、先に当コラムで筆者が論評したとおり、MUがG大阪戦でやってしまった(5−3)、粗っぽい戦いの反作用で説明できる。明らかに乱戦の後遺症だ。筆者は、MUに危ない風が吹いてきた、世紀の番狂わせが起こるかもしれない、と期待した。
キトがMUに勝つ可能性としては、0−0によるPK戦のみと言って言いすぎでない。リベルタドーレス決勝の第2レグ、キトは、フルミネンセのホームの試合をPK戦に持ち込み制した。キトはあの試合の再来をイメージしていたに違いない。
ところが、キトそして筆者の願いを打ち砕いたのがC・ロナウド、ルーニーの卓越した個人技だった。ひとり少なくなったMUだが、攻撃の手を緩めず、ロナウドからルーニーに絶妙のパスが渡る。そして、ルーニーがきっちり決めた。
粘ってきたキトの守備だったけれど、力及ばず。ひとり少なくなったMUだが、その影響はまったくといっていいほど見られなかった。もしかすると、11人対11人であっても、同じような結果で終わったかもしれない。実力差が点差に反映されるとは限らない。1−0であっても、 MUの辛勝とは言い難いし、キトが善戦したとも言えない。
筆者はCWCというイベントをまったく、評価していない。開催時期、開催場所、大陸代表、開催国出場、組合せ…と、その矛盾点を数え上げればきりがないし、前回の当コラムでそのことは言い尽くしたので、ここでは繰り返さない。
反対に、開催国であり、サッカー後進国である日本にとって、プラスとなった点を挙げておこう。
一つは、このイベントを通じて、日本人が世界のサッカーの今日的傾向を知リ得るという点だ。日本のスポーツマスコミは、これまで、南米サッカーといえば個人技、ラテンのリズムという、現実離れした形容詞で表現してきた。現実の南米サッカーは、もちろん、そんなものではない。
CWCにおいては、05年、リバプールを1−0でくだしたサンパウロ(ブラジル)しかり、06年、バルセロナを1−0でくだしたインテルナショナル(ブラジル)しかり、トヨタカップの時代にまで遡れば、0−0のPK戦の末、FCポルトに惜敗したオンセカルダス(コロンビア)しかりである。人材を欧州に放出した南米勢が欧州王者に勝つ条件とは、少なくとも90分間、相手に先制点をあげさせないことだ。南米サッカーはそれができる。
本イベントでは、テレビ解説者諸氏が、「南米といえば堅い守備ですね」と、わけしり顔で断言するようになった。昨日まで、南米といえばサンバ…と言ってきた彼らも、世界の現実を語るまでに成長したのだ。
日本のスポーツマスコミは、本イベントに出場する南米クラブ王者を見ることにより、世界のサッカートレンドを正確に表現できるようになった。トヨタカップ開催から数えて、どのくらいの年月を要したのかをしらない。とにかく、日本のスポーツマスコミが世界のサッカー潮流を正しく理解できようになったのは、本イベントの成果だと言える。
二つ目は、世界のクラブ運営のノウハウを知り得るという点だ。キトは南米の貧しい国の1つ、エクアドルのクラブだ。当該クラブの収支、運営状況等の詳細を筆者は知らないものの、欧州や日本のクラブより運営予算が小さく、かなりの困難な環境において、クラブ運営を行っているものと推定する。にもかかわらず、南米王者に輝き、本イベントにて、北中米王者を破り、金満の欧州王者を慌てさせるような試合ができる。
キトの選手構成としては、エクアドル代表を数人含むものの、南米の超一流選手とは言えない者が主力となっている。キトは自前の選手を育成しつつ、足りない部分は潜在能力を秘めた外国人選手を招聘し、組織力、すなわち、訓練と戦術の練磨により、南米王者に上り詰めることができることを証明している。
厳しい経済下、日本のプロサッカークラブの経営も難しくなっている。強化費用はのきなみ削減されるであろうから、代表クラスの外国人選手との契約も難しくなる。それでも、キトに比べれば、まだまだ恵まれているに違いない。選手及び指導者に係るスカウティング、リクルーティング、そして、自前の選手の強化・育成、組織力の醸成、戦略・戦術の研鑽…と、弱小といわれるクラブだからこそ、やることはいくらでもあるはずだ。キトは、日本のクラブ関係者に対し、もっともっと勉強し、努力を続けることを教えている。キトの存在は、金がないから弱い、という言い訳を封じている。
何度も繰り返すが、CWCというイベントは、筆者にとって、あまり好ましい存在ではない。けれど、学べる機会を与えてくれる存在であることも確か。日本開催でなくなれば、世界のクラブチームの趨勢も分からずじまいになるかもしれない。それはそれで寂しいしことだし、日本サッカーの発展を遅らせるかもしれない。日本サッカー界(スポーツマスコミ等を含む)がスター軍団・マンチェスターユナイテッドばかりに目を奪われているうちは、素人の域を脱せない。リガ・デ・キトの凄さ、偉大さに着目し、彼らから多くを学ぶことができれば、本イベントがまったく無駄だったとは言えなくなる。
クラブW杯でG大阪がマンチェスター・ユナイテッド(MU)から3得点をあげた。最終スコア5−3でMUの勝利だから、実力差は歴然としている。試合としては緊張感のない、親善試合のような大味な内容だった。見ている分には得点シーンが多くていいのかもしれないが、筆者の趣味ではない。
試合展開の詳細は省略する。前半序盤からMUがプレスをかけないので、G大阪がボールキープできた。その結果、ある程度自由に攻撃の組み立てが可能となり、シュートが打てた。とはいえ、28分、47分、コーナーキックで2点とったのはマンチェスターU。実際の試合はここまで。
後半、G大阪の山崎がゴールを決めてから、ノーガードの打ち合いになり、華々しい“ゴールショー”となった。交代で出てきたルーニーが、G大阪の高いDFラインの裏をついて2ゴール。終盤には遠藤のペナルティーキック成功もあり、盛りだくさんの内容となった。こういう試合を好試合というのかどうか、G大阪が善戦したといえるのか。筆者の価値観ではいずれも「ノー」である。敗戦覚悟の玉砕にすぎない。確率は低いかもしれないが、勝利を追及してこそサッカー。格下の戦い方はほかにある。
心配なのは決勝に進出したMU。次の相手は堅守のリガ・デ・キト。守備に関しては、G大阪とは質がまるで違う。しかも、選手の心構えが違う。負けてもともとなどとはさらさら考えない。南米サッカーの意地と生活をかけて、ガンガンくるだろう。
MUは、G大阪の試合で乱れたDFを建て直すことが第一。さらに、イージーに点がとれた攻撃陣がキトの厳しい守備でリズムが狂うと、大変なことになる。
決勝でMUがキトに負けることがあるとしたら、準決勝で、G大阪とこのような大味な試合をしたこと。おそらく、敗因の1つとして挙げられよう。スター軍団の攻撃陣が、緊張感のない準決勝で大量得点した反動が怖い。名将ファーガスンがチームをどう立て直すか。
| 2008年12月17日(水) |
盛り上がらないクラブワールドカップ |
トヨタプレゼンツ・FIFAクラブワールドカップ(以下「CWC」という。)が開催されている。賞金総額は200万ドル(20億円)近いといわれており、経営悪化のトヨタ、派遣労働者等を切り捨てている企業にしてみれば、相当な負担であり、しかも無駄遣いに等しい。20億円あれば、派遣労働者を切らずにすむだろう。
G大阪がマンチェスターUと公式試合をするというのが「売り」だけれど、だれがみたって実力差は歴然としている。サッカーに「絶対」ということはあり得ないから、マンチェスターUが赤っ恥をかくこともないとはいえない。100回試合をして1回負ける試合を見るのも悪くないけれど、筆者の趣味ではない。
この大会の仕組みが気に入らない。南米、北米、アジア、アフリカ、欧州、オセアニアの王者に出場権が与えられ、加えて、開催地枠で日本のJリーグ王者が出場できるのだが、オセアニアの王者というのはアマチームで、欧州・南米のクラブのレベルとはほど遠い。大陸王者の1つがアマチームなのだから、大会のレベルを云々しても始まらない。
開催時期にも問題がある。欧州王者はどこの国の王者であってもリーグ戦真っ最中のため、強行日程で日本にやってくる。筆者は、コンディションの悪いチームの試合を見る趣味がない。
日本のクラブ王者がACLで決勝まで進むと、ACLで2回戦った相手が、この大会に出場することになる。昨年は、浦和とACL決勝を争ったセパハンFC(イラン)がACL準優勝の資格でCWCの出場権を得て浦和と試合をしたし、今年もACL決勝でG大阪に負けたアデレード(オーストラリア)がCWCでG大阪と試合をした。
2008年ACLで決勝まで進んだアデレードは、決勝の相手が日本のG大阪であることを確認の上、ACL決勝で手を抜いたといわれている。勝っても負けても、CWCに出場できるのだから、ACLはどうでもいいというわけだ。むしろ、手の内を明かさないという意味で、戦力を温存したうえ、全力プレーもしなかった(ACL決勝戦のアデレードの成績はG大阪にトータル0−5の大敗を屈した)。アデレードがACL決勝戦を捨てた理由は、賞金額の差のためだろう。ACLの優勝賞金よりもCWCの出場賞金のほうが高額でしかも、G大阪に勝てばマンチェスターUと試合ができる。プロのクラブならば、アジア王者よりも、CWCを重要視するの当然のことであって、アデレードは責められない。
日本で開催されるCWCは今大会が最後だという。新しい開催地とともに、大会のレギュレーションの見直しもあるのだろうが、あまり興味がない。筆者は、南米と欧州の王者がそれぞれの本拠地で試合をして、世界一を決める昔の「トヨタカップ」の姿に戻ったほうがいいと思っている。アジア、アフリカ、北中米はどうなるのか、というのならば、それぞれがレベルを上げるしかないだろう。
各地域(大陸)のレベルが均等になったところで、そのとき、クラブワールドカップの意味が出てくる。そのとき、大陸間の王者が一堂に集まり、いまのようなトーナメント戦を行えばいい。21世紀中には可能だろう。
日本サッカー協会がオシムとのアドバイザー契約を更新せず、日本サッカー協会とオシムとの縁は、これをもって完全に切断した。オシムが自らの退任について、朝日新聞のインタビューに答えた。短いものだったけれど、日本サッカー界が見失っているものを改めて思い出せる内容だった。
オシムは、日本サッカー界に多大な貢献をした数少ない外国人の一人だ。その功績は、計り知れないものがある。手始めは、平凡なクラブチームの1つジェフ・ユナイテッド千葉を劇的に変えたことだった。千葉に属していた無名の若手がオシムの手腕により、日本代表級にまで上り詰めた。
それまでの日本サッカー界において、千葉の阿部勇樹・巻誠一郎・山岸智・羽生直剛・坂本将貴・佐藤勇人・水野晃樹・水本裕貴らの名前を知る人は少なかった。オシムが千葉の指揮を執り、リーグの順位を上げ、ナビスコ杯で優勝するころになると、サッカーファンのみならず多くの日本人が、バルカン半島からやってきた、鋭い目をした大柄な人物の存在に注目するようになった。そして、オシムがジャーナリストの前で披瀝する話のユニークさがもてはやされ、『オシム語録』と呼ばれるようになった。『オシム語録』は、スポーツ界のみならず、日本社会にまで影響を及ぼすに至った。
日本の近代化のはじまりとともに、多くの外国人が日本社会に影響を及ぼしてきた。中でも明治期、お雇い外国人の一人で、‘Boys Be Ambitious’という言葉を残した米国の農学博士ウイリアム・クラークが有名だけれど、『オシム語録』の影響力は、クラークを凌ぐものがある。旧社会主義国の出身者らしく、レーニンを引用したことが筆者には特に印象に残っている。スポーツの監督としては珍しい。
それくらいの影響力をもったオシムが日本代表監督に就任した後、病魔が彼を襲った。病から回復したオシムだけれど、彼が日本代表の指揮を取ることはなかった。オシムの退任は、日本サッカー界にとり、最大の損失の1つに数えられよう。
日本サッカー協会と完全に縁が切れたオシムが日本のサッカー界に戻ることがあるとするならば、それはクラブレベルでの話になる。たとえば、凋落した浦和を再建する指揮官として、オシム以外の適任者はいないと筆者はいまだに信じているし、若手の宝庫である磐田はオシムの指導を受ければ、もっと強くなるはずだとも確信している。
代表監督ほどではないかもしれないが、ACLをも戦うJリーグの監督は激務である。オシムの体調がそれに耐えられるかどうかはわからない。年齢からすればおそらく、無理だろう。ならば、われわれは、当時ユーゴスラビア代表監督だったオシムが発見し、育てたといわれるストイコビッチ(現名古屋監督)のW杯イタリア大会(1990)のプレーぶりを思い出すことをもって、オシムの偉大さを思い出す以外に方法がない。
バルカン半島は、日本から遠く、20世紀まで互いの交流も少なく、21世紀のいまでもそのことに変化はない。彼が代表監督を務めたユーゴスラビアという国家は、いまはすでになく、それは20世紀に生まれ20世紀に消えた、社会主義国家という遠い記憶に重なっている。しかし、サッカーというスポーツを介して、両国がそれまで感じていた遠い距離感と消え去ろうとしている記憶を超えることができた。サッカーを文化というのならば、オシムがそれを体現することによって、日本人に可能性や思考方法を伝えたことになる。
オシムは日本政府が招いたお雇い外国人ではない。たかだかという言い方は不適切だけれど、プロスポーツの監督にすぎない。けれども、というべきか、それゆえ、と言うべきなのか迷うところだが、オシムは日本の各層に多大な影響を与えた。一人の外国人が与えた影響力の大きさという意味で言えば、オシムに匹敵するほどの外国人の名前を挙げることが難しい。
| 2008年12月08日(月) |
今年も外れたJ1順位予想 |
12月6日(土)、J1最終節が終了し順位が確定した。優勝が鹿島、自動降格が札幌と東京ヴェルディ、入れ替え戦出場が磐田となり、J2仙台と戦うことになった。
最終順位は以下の通り。 1 鹿島アントラーズ 2 川崎フロンターレ 3 名古屋グランパス 4 大分トリニータ 5 清水エスパルス FC東京 7 浦和レッズ 8 ガンバ大阪 9 横浜F・マリノス 10 ヴィッセル神戸 11 柏レイソル 12 大宮アルディージャ 13 アルビレックス新潟 14 京都サンガF.C. 15 ジェフユナイテッド千葉 16 ジュビロ磐田 17 東京ヴェルディ 18 コンサドーレ札幌
リーグ開始前の筆者の順位予想は以下の通り。順位予想は難しいものだ。 � ̄栽臓↓■蚤膾紂↓�川崎、�ぜ�島、�ダ郷紂↓μ掌轍亜↓�磐田、�┸生諭↓�F東京、��横浜FM、��柏、��新潟、��大宮、��大分、��京都、�飴ニ據↓嬰豕�V、�伽虱�
浦和の優勝を予想したが、7位と大きく外れた。G大阪はACL制覇をしたものの、リーグ戦では8位と順位を下げた。筆者の予想1位、2位が実際は7位、8位というわけだ。鹿島の優勝、名古屋の3位、大分の4位、磐田の16位(入れ替え戦)は驚きだ。
筆者が降格を確信していた千葉が最終節奇跡的(4−2でF東京に)勝利を飾り、降格を免れたのも意外だった。東京V、磐田が勝点1を取れずに敗退したのが幸いした。
最終節の鹿島は早々と降格した札幌が相手、しかも引分以上で優勝だから、緊張感が乏しかった。その一方、降格争いはスリルに満ち満ちていた。なかで不思議な試合展開を見せたのが、川崎と東京ヴェルディ(V)の戦いだった。前半26分、川崎ゴール前の混戦で、東京Vの福西が川崎DFに暴力行為を働いた件で一発退場。テレビ映像では福西の振った手が偶然相手DFの腹か胸に当たったように見えた。サッカーでは腕や肘を振ってバランスをとるプレーがある。福西の当該プレーを故意のパンチと見るか、一連の動作が相手DFにぶつかったと見るかだが、筆者には故意のラフプレーには見えなかった。主審岡田は、躊躇なく、レッドをかざした。筆者は主審岡田のレフリングには前々から疑問を持っている。あの程度で退場にすると、試合の興味が半減する。だが、福西も問題が多い選手。ラフプレーが多く、主審の目を盗んで肘を使う前科者であることも確か。福西が“ラフプレー常習者”というイメージをJリーグの審判団に与えていたことが、この大事な試合のレフリングに影響を与えたものと筆者は見ている。
この試合の乱調ぶりを更に印象付けたのが、再三の好機にシュートを外しまくったジュニーニョのプレーだ。究極はPK失敗。東京Vの降格を忍びないと思ったのかどうか。結果は2−0で川崎が勝利したので問題にならなかったが、もし、東京Vが勝ったならば、ジュニーニョの度重なるシュートミスは、手加減を加えたプレーとして、問題になった可能性もあるし、降格を争っている千葉、磐田等に礼を失するものだ。
さて、最終節においてもう1つ特記すべき試合は、Jリーグ中最大の人気クラブ浦和の惨敗だ。ホーム最終戦、5万人近くの大観衆を集めた浦和だが、なんとも不可解な先発陣。まず、契約更新しないDF内館の登録がない。攻撃陣は新人高崎のワントップ、右に山田、左にエスクデロ、トップ下にポンテ。ボランチに磯貝、鈴木、DFは左SB阿部、CB坪井・堀之内、右SB平川。FWの控えに永井、田中。そして、闘莉王(故障)、高原、エジミウソン(出場停止)はベンチ外だ。
最終節、優勝戦線から脱落した浦和なのだから、岡野、内館を試合のどこかで使うことは試合を捨てたことにならない。要は二人がどれだけのパフォーマンスを観客に見せるかだ。ワントップに高崎を先発させたということは、来季への期待の現われだろう。ならば、相馬、梅崎も一緒に使うべきだ。過去3試合の先発のエスクデロはまったく、期待にこたえていないだから。ポンテは峠を過ぎた選手、この試合で使う意味はない。
監督は、調子のいい選手を見極め先発起用するのが常道。エンゲルスに限ったことではない。ところが、先発エスクデロの故障退場により交代起用された相馬のほうが、先発エスクデロよりはるかにパフォーマンスがいい。エンゲルスの選手の調子を見極める目が怪しい。控えの梅崎もこのままならば、先発の機会を奪われたまま塩漬け状態だ。永井に至っては、干されたままシーズンが終わってしまった。
試合展開については、説明するまでもない。結果論でなく、横浜のゴールに向かう運動量に浦和の選手がついていけない。体力・走力の問題だ。躍動する若い横浜、ずるずる下がる浦和、走りこむ横浜の若手にいとも簡単にゴールを割られ、終わってみれば1−6の大差の惨敗だ。やる気のない浦和、ノビノビとプレーする横浜。この2チームの年俸を比較してみたいものだ。
浦和の不振の原因は、選手の驕りにある。ゲーム中に走れる体力をつけず、個人技で点が取れるといううぬぼれがある。浦和のサポーターは厳しいというが、浦和のサポーター諸氏は、浦和の選手の練習からチェックすべきだ。試合中、大声で応援するのもいいが、自己満足に過ぎない。リーグ最高のサポーターを自認するのならば、浦和が正しい練習をしているかを監視すべきだ。浦和の選手が基礎体力を養う練習を怠っているのならば、そこから、浦和の監督と選手を批判しなければ嘘だ。組織的プレーを叩き込んでいないことがわかった時点で、クラブ首脳陣、指揮官、選手を批判したほうがいい。ふがいない試合の後、クラブ関係者と団交しても始まらない。サポーターがパフォーマンスでクラブ首脳陣と団交しても意味がないし、手遅れだ。
浦和は、序盤に監督交代のゴタゴタがあり、新しく指揮官になったエンゲルスの資質に問題があったことが敗因だけれど、それよりも個々の選手が走力、運動量を上げる練習をしていないことのほうが問題なのだ。たとえば、この試合で、PKを与えた阿部が浦和の現状を象徴している。阿部は、シーズンとおして調子があがらなかった。とりわけ、運動量が不足している。故障もあるのだろうけれど、巧さ、器用さ、読みのよさだけでは、モダンサッカーでは用をなさない。年間通じて良好なコンディションを維持しなければ、チームに貢献できない。
阿部は、浦和において、左サイド、CB、ボランチの3ポジションで、磯貝、鈴木、闘莉王、坪井、堀之内、平川、相馬らと、複合的ポジション争いをする必要はない。浦和を飛び出して、彼のボランチとしての能力が生かせるクラブに移籍すべきだ。そのほうが、阿部の力は増すし、良いパフォーマンスが年間通じて可能だと思う。選手生命も長くなる。
| 2008年12月03日(水) |
浦和は選手の頭脳を鍛え直せ |
第33節、浦和はG大阪に0−1で負け、優勝の可能性を失った。この敗戦は相手に負けたというよりも、選手が自分に負けたといったほうがいい。前のコラムで書いたとおり、浦和はまず、選手の頭を鍛え直さなければ、来季も浮上できない。
前半終了間際、G大阪のFW山崎が退場となり、浦和は優位に立った。前半の浦和の出来は悪く、G大阪が決定機を外し、いわば相手ミスに救われての0−0だった。それはともかくとして、こんどは、浦和が相手のミスで優位に立てたのだ。勝負の世界、ツキを生かして当然だ。
ところがところが、後半開始10分以上経過しても、浦和は数的優位を生かせない。もたもたした展開のなか、浦和の欠陥頭脳の問題が表面化した。なんと、FWエジミウソンがG大阪のDF中沢への暴力行為で一発退場になったのだ。このシーンはTV中継画面に映らなかったので、詳細は後から知ったのだが、副審がしっかり暴力行為を見逃さなかった。
さらに、このジャッジに不満をもった闘莉王が抗議でイエローをもらう。“どうしようもない”とは、このことだ。浦和は相手FWの退場で絶対優位に立ったにもかかわらず、自ら、優位性を放棄してしまう。その原因がなんと暴力行為、さらに、ゲームキャプテン(闘莉王)が無意味なイエローだ。
浦和は多くのサポーターを抱えたビッグクラブ。子供たちからも注目される存在だ。選手たちはフェアプレーを見せる責任があるはずだ。こんなシーンを見せてはいけない。
試合結果は、数的不利を解消したG大阪が勝利をものにした。自滅しかけたG大阪だったが、相手の欠陥頭脳に救われた。ここで浦和の優勝の可能性は完全に消えた。
繰り返すが、浦和は闘莉王を放出し、規律重視、組織プレー重視のチームへと改造すべきだ。状況を冷静に読めるよう、選手全員の頭脳を鍛えなおすべきだ。野放図な本能中心の個人プレーを中止し、選手一人ひとりが戦略戦術を習得すべきだ。もちろん、選手の頭脳を改造するのは、監督(指揮官)の仕事。監督批判をするような選手は、即刻、放出もしくはサテライト行きで当然である。筆者はオシムに浦和の監督になってもらいたいが、無理か。
| 2008年12月02日(火) |
浦和よ、闘莉王を放出せよ |
第33節にG大阪に負け、6位に後退した浦和。その浦和の今季を象徴するキーワードは、「混乱」だと思う。そのことをよく象徴していたのが第32節――浦和が清水に1−2で負けた試合だった。
筆者は、闘莉王が浦和の“癌”だと指摘し続けてきた。この試合においても、闘莉王の規律(バランス、役割、約束等をいう。)を無視したプレーが目立った。
清水に先制された後の浦和は、闘莉王が前線にしばしば飛び出し、シュートや決定的パスを出し続け得点機会をつくった。彼がJリーグにあって格別の運動能力をもった選手であることを認めよう。だが、彼の存在は、草野球や高校野球レベルにおける「エースで4番」にたとえられる。いくらJリーグのレベルが低いとはいえ、DFが自力でボールを相手ゴール付近まで運んで得点に至るケースは稀である。4バックでCBの2人のうち一人が前に出れば最終ラインは1人となることは当たり前で、極めて危険な状態を招く可能性がある。闘莉王が上がることによって、ディフェンシブな選手の負担が重くなる。時間経過とともに、チームとしての攻守の切り替えのスピードは落ちる。
さて、モダンサッカーでは得点に結びつく攻撃機会は、サイドから生じることが多い。サイドから供給されたクロスはDFにとって守りづらく、マークをはずしやすい。ところが、この試合を失えばリーグ戦優勝の目がなくなる大事な試合、浦和は4バックの右SBに磯貝を入れた。筆者は磯貝がSBに適正があるとは考えないが、これがエンゲルスの選択である。左SBには平川。磯貝は、今シーズン、守備的中盤にあって能力を発揮してきたにもかかわらず、この試合に限って彼の定位置を崩す必然性が見当たらない。もちろん、彼が決勝ゴールを叩き出した試合もあった。
しかし、必然性の伴わない結果ばかりを求めてはいけない。エンゲルスの選手起用は、偶然のナイスショットを出展する素人写真家を大家だと確信してしまう写真批評家に似ている。意図した写真を撮影できるのがプロなのであって、偶然のナイスショットに依存するのがアマである。もちろん、アマがいい写真を撮ることもあるが、写真で生活はできない。
そればかりではない。先発の攻撃陣には、ワントップ=田中達、左=相馬、右=エスクデロ、トップ下=ポンセ、一方、ベンチにはエジミウソン、高原、永井の豪華FW陣。素人には、控えと先発が入れ替わったように見える。
浦和がアジリティ、スピードを攻撃のコンセプトとしてチームづくりをするつもりならば、選手補強をその線に沿って進め、シーズン最初からそのようなコンセプトで試合をしなければいけない。今シーズンの浦和は、そういうチームづくりをしてこなかったはずだ。これを「混乱」という。
浦和は、シーズンで最も重要な試合の1つにこれまで結果が出ていないとはいえ、実績のあるFWをベンチに置き、左右の攻撃陣に、カタールで快勝した日本代表の陣形にならったような選手を起用した。ところが、このにわか・即席・日本代表もどき・の攻撃陣がまったく機能しない。そこで、前述のとおり、業を煮やした闘莉王が前に出て攻撃を仕掛けるに至ってしまう。
さらに不可解なのは、リードされた80〜90分(タイムアップ)までの時間帯に、なぜパワープレーを選択しなかったのか。ハイボールのターゲットは闘莉王1人という選択肢もあるし、阿部を加えた2人という考え方もある。とにかく、残り10分はスクランブルでゴールに迫るべき時間帯のように思える。なぜならば、浦和がこの試合を失えば、優勝の可能性はゼロに近づくのだから。
もちろん、パワープレーはバランスを崩すから一切採用しないという哲学もあるが、浦和は、闘莉王の攻撃参加というバランス無視の攻撃を持ち味としているチームではないか。
しかし、浦和のアンバランスというのは、先制されると、とにかく追いつかなければという(闘莉王の)本能に基づく前進にすぎず、チーム戦術でないところが問題なのだ。昨シーズンの浦和のACL制覇は、FWワシントンという個人に負っていた。ワシントンが退団した今シーズン、前で得点が取れなくなると、闘莉王の本能だけで得点を奪おうとする。結局、チームとしての戦い方が2年間を通じて追求できなかったのだ。
いまの浦和は、闘莉王を放出することによって、本脳依存からら頭脳(知性)重視のオーソドックスなサッカーチームに変身できる。そのうえで、攻撃と守備のバランス及び運動量を追求すれば、田中達、エスクデロ、相馬、平川らの選手が生きるし、鈴木、磯貝、梅崎らの中盤も安定度を増す。また、高原、永井、エジミュウソンのだれを残し、だれを放出するかも明確になる。もちろん、既存の選手にこだわらない、まったく新しい攻撃陣を補強するという方向性も出てくる。
闘莉王のいない、ACL出場権を失った浦和の来シーズンは、リーグ戦をじっくり戦いながら、常勝軍団の基礎をつくる絶好の機会だ。「本能から頭脳へ」が、浦和のコンセプトだ。
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