| 2012年06月24日(日) |
ダルビッシュの「150球投げる」宣言は考え違い |
先日、ダルビッシュが会見で、「150球投げる」宣言をして、話題になっている。米国大リーグ(MLB)では、先発投手は中4日、100球が目安となっている。
そんなMLBの常識に反して、ダルビッシュは、ワシントン監督とマダックスコーチに「今日は球数を考えないで欲しい。交代するなら登板内容で。今日は150球でも投げる」と強く直訴したという。150球はオーバーな表現とはいえ、こんなことをいうピッチャーは米国にはいないだろう。
日本プロ野球(NPB)では、エースは先発完投しなければいけない、9回を投げ切れ、という風土がある。筆者が憎悪する甲子園野球では、高校生が一試合150球近く投げて、しかも3連投するなどの暴挙が常識で、それが賞賛されるくらいだ。
MLBとNPBにおける先発投手の価値観の違いについては、前者が「肩は消耗品だ」とするのに反し、後者は「投げ込みが強い肩を作る」とする、フィジカルに係る考え方の相違に起因すると説明されることが多い。筆者はスポーツ医学の専門家ではないので、どちらの考え方が科学的に正しいのか判定できないものの、直感的には、MLBのほうが正しいように思っている。
しかし、日米の先発投手に対する価値観の差異は、「肩は消耗品」か「投げ込みが強い肩を作る」かどうかという、フィジカルに対する考え方の相違の問題ではないのではないか。では、その差異はどこから来るのかと言えば、米国が、�/Χ般邉紊砲�ける雇用機会の増大、��多様な才能の発掘、登用(提示)――という側面を重視するのに反し、日本は、リリーフは先発失格者という考え方に固執しているからではないか。
NPB=日本の先発完投方式は、1試合1投手でシーズンを乗り切ることを理想とする。つまり、優秀な投手が4〜5人いれば、それで優勝という論理だ。しかし、先発完投という多い球数を投げる才能の投手もいれば、短いイニングをぴしゃりと抑えることのできる才能をもつ投手もいる。つまり、MLBのように、投手を分業化し、一試合あたりに登板する投手の人数を増やすことのほうが、選手の働き場所は増える。選手(投手)側にとって、雇用機会が増大する。先発完投には向かないが、短イニングなら150キロ以上の球速の出せる投手がいるのならば、その才能を観客に見せたほうがいいし、投手という職業の働き場所も増える、というのが米国の考え方なのだ。
先発が5〜6回(100球程度)、その後を受けたブルペンが複数で2〜3回を、最後に「抑え」が最終イニングをぴたりと3人で抑える。1試合に3人から4人程度の投手が、それぞれの特徴を生かして、観客にアピールして、雇用されるのである。それぞれに「見せ場」がある。もちろん、毎試合が勝ちゲームではないから、負け試合の備えも必要だ。
ダルビッシュの発言は、自軍のリリーフ陣に故障者が続出し、チーム状態が危機にあることから、チームのためを思ってのもののようだが、リリーフ陣が故障だということは、マイナーのリリーフ専門投手にチャンスが巡ってきたと考えたほうがいい。彼ら(マイナー選手)がこのチャンスを生かせるように願ったほうがいい。ダルビッシュが先発完投すれば、下の選手の昇格=雇用の機会を奪うことになる。
米国は、非常な実力主義の国だといわれる。もちろん、そういう論理が貫徹している職場もあるだろう。だが、社会がそれぞれの人間の資質に合った職業を選択させるというシステムが働いていることも無視できない。先発完投でエースといわれる投手ばかりが巨額の年棒を取るのではなく、試合を終わらせる「クローザ―」、クローザ―につなげる「セットアッパー」、1打者を打ち取る、クセ玉・変則フォームの「ワンポイント」・・・等々。先発投手ばかりが巨額の年棒を約束されるのではない。それが米国の投手の世界なのだ。ダルビッシュは、日本流の価値観に従ってばかりではいけない。米国野球の基盤にある米国社会の奥深さをバカにしてはいけない。
そればかりではない。日本の野球解説者は、「エースは9回を投げ切れ」と力説する傾向にある。このことは、解説者の多くが、日本プロ野球における成功者で占められているからだろう。彼らの多くは現役時代、一流選手のレギュラーばかりで、優秀な成績を残してきた。その威光を背景にして、解説者の職にある。だから、彼らは、試合に出られない選手の悲哀を知らない。投手ならば、「完投」で200勝近くをあげた者たちなのだろう。当時、その者たちの「完投能力」のおかげで、リリーフ専門投手は才能と職を奪われてきた。彼らはそんな現実を知らない。彼らが「完投」して200勝以上したおかげで、ブルペンの何人かの登板機会を奪ってきたということを、彼らは考えたこともない。先発完投は、職業野球における悪である。
| 2012年06月13日(水) |
情けないけど(オーストラリア戦) |
これがアジアサッカーの実態なんだな。W杯アジア最終予選B組最高峰の一戦だと報道されたオーストラリアvs日本だったが、すべてにわたってアジアサッカーのレベルの低さをさらけ出したものだった。
まず、TV映像からも認められるピッチ状態の悪さ。いたるところ芝が剥げて、凸凹で硬さそうな地面が露出している。ピッチの整備くらいしてほしい。
第二に、公正なジャッジが期待される主審は、イエローカードを出す基準が曖昧で、しかも感情的に笛を吹く。スタジアムの応援の高まりに呼応して、ホーム・オーストラリアに甘いジャッジが続く。その極みが、ペナルティー内で内田がとられたファウル(→イエロー→PK→日本失点で同点)。オーストラリア選手が2枚のイエローで退場になっていたので、いずれ日本のだれかが退場処分になるなとは思っていたものの、PKまでつけたのは、ホームチームに対するサービスのしすぎだろう。
試合内容はどうだったのか。相手オーストラリアは、W杯ドイツ大会(2006)のレギュラーがいまだに主力を構成する高齢者軍団。若手の台頭がまるで見られない。このままなら、オーストラリアはアジアでも没落する。そんな彼らの試合運びは粗野な肉弾戦、空中戦が専門。ロングボール、クロスをゴール前に放り込んで、こぼれ球をめぐる混戦から突進という、ラグビー流。日本はオーストラリアの高さとパワーに屈して、主導権を握られた。前半、日本が無得点でしのげたのは奇跡に近い。
予選2試合で大量得点をあげた日本の攻撃は、オーストラリアの「まとも」な守備の前にシュートが打てず、ドローという結果は、「ツキ」があったというほかない。一対一で勝負できたのは本田くらい。香川が俊敏性を生かして相手守備陣を外したシーンもあったが、ゴール前の決定的場面というわけではなかった。
試合を通じてもっともハラハラしたのが審判の笛(ジャッジ)という情けなさ。挙句の果てに、試合終了間際、アディショナルタイムを計測していない主審が、日本のゴール前の直接フリーキックをセットさせながら、蹴る前にタイムアップの笛を吹くというお粗末な幕切れ。観客は金を払っているのだから、蹴らせればいいではないか。
これがアジアのサッカーの実態なのだから仕方がないとはいえ、「老害」オーストラリア、「絶好調」日本、「気まぐれ」審判の三者がドタバタを演じた三文オペラは1−1の痛み分け。筆者は、ハイレベルのサッカーが見たいのであって、審判を見たいわけではないんだ。
| 2012年06月10日(日) |
ホーム2試合は楽勝だったが |
W杯アジア最終予選、日本はホームでオマーン、ヨルダンに楽勝して勝ち点6をゲット、幸先良いスタートを切った。オマーンはともかく、フィジカルが強いという印象を受けていたたヨルダンが、攻撃の意識を感じさせず、ずるずる後退したのは意外だった。
このグループ、筆者の思い込みにすぎないが、オーストラリア、日本、イラク、ヨルダン、オマーンの順で力があると見ていた。というのも、日本とヨルダンの試合の直前、CATVで見たイラクとヨルダンの試合の印象としては、攻撃における戦術多彩さ、選択肢の多さでイラクがヨルダンに勝っていた。結局のところ、ホームのヨルダンが1−1で引き分けに持ち込んだその試合運びは、粘着力があった。ホームの意地、隣国には負けられないプライドのようなものが感じられた。
一方のオマーンは、日本に負けた直後、ホームにオーストラリアを迎えた2戦目を引き分けに持ち込んだ。グループで一番力があると思われるオーストラリアと引き分けたということは、ホームでは相当厳しく来るということだ。このことは、ヨルダンにもいえる。
日本とは異なる気候、ピッチ状態、アジアの主審のジャッジ、もちろん移動による体調面への影響などもある。日本は、12日のオーストラリア戦、11月14日のオマーン戦、2013年3月26日のヨルダン戦、6月11日のイラク戦の アウエーの4試合でどれだけ勝ち点を上積みできるかにある。4試合で勝ち点4以上ならば、御の字だろう。
|