人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2003年06月30日(月) こころのことばをおとにかえて

すっかりと、慣れてしまった。

元々、人に話をするのが嫌いではない。自分のことを話すことが、あまり苦にならない。
この人は秘密を守ってくれる人、と感じ取ったら、何でも話してしまう。

虐待ケースに絡むことが多くなり、私は度々パニックを起こすようになった。パニックといっても、病的なものではない。ただ、普段の自分とは違うな、という感じのごく小さいものだ。
家事が思うように進まないだけの話だ。仕事にやりがいを感じられないだけの話だ。趣味にやる気が出せないだけの話だ。ただ、それらにちょっとした焦燥感と無気力感を伴うだけのことで。

仕事柄もあり、臨床心理士や精神科医と話をする機会が増えた。ケース連絡やケース相談でうかがうほか、自分のパニックを打ち明けることも出てきた。私の場合、大抵1回の相談ですっきりしてしまう。次に先生に会うときには、「この間はどうも〜無事解決しました〜」と笑顔になっている。

臨床心理士にしても精神科医にしても、なんて話が上手なんだろうと思う。やさしい、とはまた違う、やわらかな物言い。そういう解釈もあるのか、というほど柔軟な対応。
話をしながら、話術を少しずつ盗む余裕もあるにはある。先生の話術に、泣かされることも多々あるから、なかなか技を磨く暇がないのだけれど。

「佐々木さんだから、いいのかもね」
と、ある虐待ケースについて相談しているとき、精神科医は言った。そのたったひと言で、私は泣き出してしまった。
重い話を私に聞かせないで、だけど私以外誰が彼女の声を聞けるの、といつも揺れ動く心を、先生はうまく掴んでしまった。たったひと言で、誰かを救えることはできることを、実感させられた瞬間だった。

ことばは怖い。たったひとつの言葉で、傷つけることもしあわせにすることもできる。不信感を抱かせることも、信頼を得ることもできる。

何を望みながら音にするのかは、自分次第。


2003年06月26日(木) "主役は子より母"の子育て事情

うつうつじとじと。

育児支援目的で家庭訪問。児を外に遊びに連れたりすることを困難と感じているパワーのない母と顔合わせて、外は雨でも電気はつけずに薄暗い部屋でお話。

公園に行っても…もうグループ化しちゃってたり…この子遊びの中に入っていかないし…声かけてみようと思ったんだけどなんかこわくて…抱っこしたまま公園通り過ぎちゃったり…でも子どもの為にも外に出たほうがいいって分かってるんだけど…つらくて…雨も降ってるし…

元々内向的だった人が、夫の転勤やら夫の田舎に帰ったやらで、その地に馴染めず、慣れない子育てに疲れてしまい。さらに出産によりホルモンのバランスが崩れていると、さらに後ろ向き・鬱傾向が増すようで。

話を聞きに訪問するのも私の仕事。子どもの発達自体には問題ない場合は、お母さんの気持ちが立ち直るまで、最低限の助言しかしない。生活リズムと食事だけは守ろう、と。何度も話を聞いて、体内リズムを整えて、精神面も整理していく。

早く雨が上がるといいね。


2003年06月23日(月) 発情するならよそでやれ

おかげさまで、眠れませんでした。

別に、いちゃいちゃするな、と言っているわけではないのです。私だって、彼と一緒にいればこれでもかってほど外でだっていちゃいちゃするわけですので、その行為自体に対してとやかく言える立場ではないのです。

だけど、人の睡眠を妨害するほどの声でやって欲しいとは思わないのです。睡眠は大事です。生きる糧です。昨日は週末の睡眠不足を補おうと、いつもより1時間ほど早めに就寝したのです。だけど、いつも以上に寝不足です。目がむくんでますし、表情が険しいです。

ハトや人間の発情はおとなしいものです。ところが、どうですか、猫は。声を張り上げて追っかけまわして。うちの周囲は野良猫と放し飼い猫が多いようで、もう、大迷惑。猫の鳴き声が、時折赤ん坊の泣き声に聞こえ、ハッとしちゃうこともしばしばで。夜中に起こされること数度。下の部屋の1歳児の夜泣きのほうがまだまだかわいいものです。

発情するのはいいのですが、アパートの敷地内でするのはもう、勘弁してください。


2003年06月22日(日) 彼がいるのにコンパに同席するということ

行ったら、実はコンパニーだった。

同期の中じゃ比較的付き合いのある女の子から「飲み会やるんだけど来ない〜?」と2週間くらい前に連絡があった。日にち聞いて、一も二もなく私OKした。少しは女の子のいる飲み会に顔を出さないと、色々な意味で不利だし寂しい。一昨日に飲んだ同期は女2の男6とむさくるしかったので、女の子のお誘いにはうれしく乗った。

だが、待ち合わせの場所で、連絡してきた子じゃない同期の女の子が、「佐々木さんがこういうのに来るって珍しいね」とのたまった。「え?」と間抜け面をさらした私。飲み会のことでないのは明らかだった。
その日の私のお召し物は、30年くらい前に母が買ったHang Tengのオレンジ・赤・茶の派手な厚手のTシャツにジーパン、SOMETHINGのかかとのどっしりしたサンダル。
コンパだなんて聞いたら、もう少し小ぎれいな格好をしてきましたよ!って感じだった。いや、そもそも行ってないと思うが。

相手方のひとりが仕事が入り、結局女3:男2でお見合い。互いに共通の知り合いがセッティングしたコンパだったので、初顔合わせ。場所は横浜の"月"という、新しいお店だったのだけれど、食事がなかなかにおいしかったので助かった。話題がなくなったら、料理の話でつなぐ。
一応、営業している人たちだったので、それなりに話はできる。顔も悪くなかったし、年齢も2〜3年上のと、とってもいい具合だった。
私に彼がいなくて、奴らがタバコを吸わなければな。でも、今回同席した女ふたりはフリーだから、いいんではないかな。

年齢的に、相手方はもう、友人を探す年ではないであろう。友人と言うよりは、やはり恋人にできる相手を求める年であろう。彼女はいない、という言葉が真実ならば、なお、その傾向が強いと思う。

ひたすらでしゃばらずに、控えめに努めた私。学生時代もよく、彼がいてもそれは黙っていろと連れて行かれることがよくあった。こういうのは慣れている。だけど、学生時代のコンパとは、少しだけ雰囲気が違って感じられたのは私だけだろうか。

久々のコンパが、私にはひどく遠い世界に感じられた。


2003年06月21日(土) 梅雨時期だけど、今日も快晴

寝る直前に、目には見えない糸で彼と話した。

昨晩役所の友人たちと呑みすぎて、化粧も落とさずに寝てしまった。かろうじて服は脱いで、パジャマに袖を通したはいいが、ボタンはつけずに布団に入ったよう。朝起きたら、パジャマが半分脱げかけていた。

朝から太陽が顔を見せていて、布団に掛かる日差しが暑かった。横になったまま羽織っていたパジャマを脱ぎ、ズボンも脱ぎ、パンツ1枚で2度寝。再度起きると、さらに日は高くなっていた。

自分の肩口に出窓にかけてあるレースのカーテンの影が落ちていた。少し身体をずらすと、小さな胸元にかかるレース模様。彼と過ごすときによく見る、その情景。

昨晩彼が呼んだ私の名の響きは耳の奥に残っていて、彼の名を思わず呼んだ。


2003年06月18日(水) もう2度と彼に手を出さないで

生きていたのか、と思った。

「元気ですか? 謝りたくて」と、2年以上の沈黙のあとに突然掛かってきた電話に、彼は驚いたと言った。彼の衝撃度がどれほどのものだったかはわからないが、私も十分動揺するくらい驚いた。

彼は私のもの。

2年半前には言えなかったことば。あの頃、まだ彼に片想いをしていた私に、彼に手を出すなと年の離れすぎたあんたには彼をしあわせにすることはできないと、彼女はそう言いきった。そのことばに対し、私は何も言い返すことはできなかった。
けれど、今だったらはっきりと告げられる。

午前2時に電話をしてくる女なんてロクな女じゃないよ、と喉元まででかかったけれど、それをあわてて飲み込み、「過去は過去でしょ? 今は私でしょ?」と確認のことばを投げた。「当たり前やん」という彼の返事に安堵した。

自分は妻子ある男の愛人をしていたと、親から虐待を受けていたと、これから自殺してやると、子どもをおろしたことがあって子どもができにくい身体になったと、危うい言動ばかりを繰り返していたチャットで出会った彼よりも11歳年下の元彼女。彼と付き合おうと言い交わしながらも、同じチャットに顔を出していた既婚男性に秋波を送っていた彼女。
たとえ彼女の言う経験が本当のことでも、私、同情なんかしない。ただただ、これ以上、精神的に病んだ人を放っておけないようなトラウマのある彼を振り回さないでと祈るのみ。

また彼を傷つけたりしたら、私、一生あなたを許さない。


2003年06月17日(火) 喜んだほうがいいですか?

超複雑。

日曜日の夕方、髪を切りにいつもの美容院に行きました。髪を伸ばす予定なので、伸ばしやすいように切りそろえてくださいと依頼しました。
美容院では、ちょっとした時間の合間に読めるようにと、客のひとりひとりに雑誌を数冊置いてくれます。
私は裸眼がひどく見えにくい女なので、メガネをはずすとさっぱり見えず、美容院で雑誌に手を伸ばすことは少ないです。だけど、私の担当のお兄さんが新人さんらしき人の指導をしに行ってしまったので、手持ち無沙汰になって何の雑誌を置いていったのかしらと見てみたのです。

雑誌も色々あります。婦人雑誌、女性雑誌、少女雑誌、ユニセックスな雑誌。
私の目の前に用意されていたのは、『mini』と『OLLIE GIRLS』。
きっと、美容師さんは私の容姿を見て、厳選に厳選を重ねてくださったのだと思います。
私は一体、いくつに見えたのでしょうか?

「子ども連れてるみたいやん…」と彼の嘆く顔が脳裏に浮かびました。


2003年06月15日(日) 恋をしていない人たちを恋をしている人たちはどう思うのか

恋愛は小難しく考えちゃダメ。

別居している女子大生の妹が、またも彼氏が欲しいと携帯電話にメールして来た。彼女は筆まめ(メルマメ?)ではないので、こっちが送ったメール数の半分くらいしかくれない。しかも、メール内容に対する返事は非常に少ない。昨日だって私は、『ビーズアクセサリーにこっているので作って送るよ。何色系統が欲しい?』と送ったのだが、返事はいつになることやらと思っていた。なのにそんな彼女が、相変わらずのペースの中で突如メールすることを思い立ったらしい。いつもより早い行動にびっくりした。
しかし、
『いい人を見つけるという器用なことが相変わらずできず時々落ち込みます…』
という暗い題名で夜中の3時25分に送りつけてくると言うのはどういうことか。
いくら若いとはいえ老化の始まっている年齢なんだから、試験前でなきゃ睡眠はしっかり取れ。とも思ったけれど、どうやらその時間までやはり彼氏のいない友人と語り合っていたよう。奴は私以上に酒好きでなおかつ強いので、きっと飲んでいたのだろう。私は妹に何かと機会あれば搾取される現金がアルコール代になっているのではないかと、思うことがある。今度から新聞屋さんにもらったビール券でもやったほうが喜ばれるだろうか?
しかも、彼女のメールの内容は、私の質問にまったく沿っていなかった。

妹には好きな人がいないらしい。なのに、『彼女であるという肩書きが欲しい』『この年でまだ誰とも付き合ったことがないというのをあまり親しくない人に知られるのが本当に嫌。どう思われてるんだろって気になっちゃう』と言う。わが道を行っているようでいて意外に人目を気にするタイプの妹は、迷子になったときに道行く人に道を聞けない。私は迷子になったことをアピールしながらどんどん聞いていくタイプなので、同じ姉妹でも異なっている。だから一緒にいるとぶつかることもあるけれど、色々補っていける部分が多いでの楽。

齢21歳と8ヶ月。彼氏いない歴21年と8ヶ月。
それを、彼女は『人生歩むのが下手』『欠けているものが多すぎ』と評価する。私たち姉妹は多種多様な面で異なっているのだから、私を比較対象にしてはいけないと思う。男性に対する接し方も妹は消極的、私は気が乗れば積極的。そりゃ私には高校時代から彼氏がいたが、それは私が恋愛好きだったからの話であって、その後6年のブランクがあったりもする。まあ、だからって、同年代の他者の状況と自分の状況を比較するのもどうなんだろうか…。
『好きな人が見つけられない』から寂しいのか、それとも『誰かと付き合う』だけで満足なのか、その辺、私には分からない。
ただ、半同棲状態の同級生カップルを見たり、できちゃった結婚をした同級生カップルを見たりするうちに、思春期にはほとんど異性に興味を持たなかった彼女にも青年期特有の妙な焦りが少し出はじめたのだとは思う。

他者を見ていいのであれば、昨年嫁に行った友人Mは23歳で知り合った彼と24歳で結婚した。今年嫁に行った友人Aは24歳で知り合った彼と25歳11ヶ月30日で結婚した(26歳になる前に婚姻したかったそうな)。私の友人たちの中で1番かわいいTなんて26歳11ヶ月にして彼氏いない歴も同じ年数だ。カエだって、男いない歴年の数25年だ。

恋人がいるからって、いないからって、それが何だというのだ。『好きになる』っていうのは『好きになろうとする』ってことではない。『好きになる』っていうのは『好きになってしまった』なのだ。感情はコントロールしてどうの、というものではない。

萌、人の目など、あなたが気にするほどにはない。もし、恋人がいないことをとやかく言う人がいたら、それほど愚かな言動は他にないと思っていい。恋愛だけが人生じゃないと、私はあなたに伝えたい。とりあえず、あなたは自分のやりたい道を進んだ後、周囲を見てみなさい。要はタイミングの問題であって、好きな人がいないのであれば今は自分の生活を大事にしていいんだと思う。

ごめんね、萌。お姉ちゃんにはもう、そんなことしか言えない。あなたが遠方にいなければコンパくらいセッティングしたけれど、最初から遠距離交際でいいという人はなかなかいなかった。コンパで出会ったからってすぐに恋に落ちられるものでもないし。だからって、あなたにネットを使ってみてはなんて、私には口が裂けても言えない。あなたが大事だから。

私、嫌な大人になったね。


2003年06月14日(土) バカでもなれる職業に就きたい人たち

看護婦ってバカでもなれる職業だよな。

って、昔、満員電車の中でおじさんが話しているのを聞いたことがある。私、看護学科の学生だった。少しだけ憤ったけれど、おじさんの言うことも一理あるな、と一瞬にして思った。だって、私も経緯はどうあれ、そのときには看護婦になろうと思っていたから。

今でこそ、看護の世界も4年制大学に移行しているけれども、昔は高校で看護学んで卒業後は准看護婦として働き、その後また1年2年夜間や昼間の学校に通いなおして正看護婦の免許を取得してきた人も多かった。専門学校出で看護婦になった人も多かった。そもそも、短大、大学に看護学科のあるところが少なかったのだからしょうがないし、時代が看護婦にそこまでの学歴を求めていなかったのだろう。
今は、専門学校も短大も大学も看護学科は結構な倍率。ただし、場所によるのだが。

バカの定義ってなんだろう? 知的に劣っているとか、知的には問題ないけれどもそれを使いこなせていないとか、生きる知恵的なところが劣っているとか、やることなすことが考えなしに見えるとか、色々ありすぎて広義なものだと思う。
電車の中でであったおじさま『バカ』の定義がどのへんにあるのかはわからないけれど、確かに今でもバカでもなれるみたい。
試験に受かって免許取得できれば、みんななれるみたい。医師と一緒で、勉強ができればいいみたい。その中身である人間性はともかくとして。

先日、看護学生さんが、うちの事務所に実習に来た。地域の医療・看護・福祉事業を知るため、にだ。
うちは職員の少ない職場なので、2年目だとか関係なく学生指導につく。私も今年度に入ってから数回、数人の学生を受け持ったのだが…。

もう疲れました。

きっと彼らの学校の先生のほうがもっと疲れているだろうし、ここまで理解してもらうのが精一杯だったんだろうなあ、と感じられ、私もほどほどのところでお教えすることを諦めた。

私、中・高校時代は理系科目がどん底だった。数学も理科も嫌いで、わけわかんなかった。だけど、高校時代の他科目の評価が高くてそのおかげで全体がよく見えた。だから、推薦で短大に入れてしまった。看護は理系の分類されているけれども、本当は文系の力のほうが求められているのだと思う。だって、短大に入ってからは理系科目の授業はとても少なかったから。よっぽど看護記録の方が大変だったから。いかに上手に簡潔に自分以外の人に何をしたかを伝える方が難しい。

勉強する気のない人に実習に来てもらっても迷惑。自分はこの仕事につかないし、興味ないけどカリキュラムに組み込まれていたから来ました、みたいなのは殴り飛ばしてやりたい。めったに見られない職場なんだから、とくと見てほしい。私は、最初は興味のなかった実習先も、それなりに勉強して興味持ったところを中心に実習させてもらった。
ところが、看護学科で1年次から「私、看護婦に向いてないかも」と友人や教員に言っていた唯一の学生であった私よりもひどい実習態度。
あんたが将来看護師として働いて、介護保険適応のお年寄りが退院となったら? 低体重の赤ちゃんが生まれたとしたら?
どこと連携して地区に戻していくと思ってるのさ。

言ってもなんだか響かない学生さんたちだったので、私は溜め息を隠しつつ学生の実習の記録を手にした。今日の予定、目標、実習内容、実習の学びが書いてある、記録。指導者はそこにコメントしなければならない。
しかし、実習の学びの欄に「訪問に行った先のこどもが帰り際泣きながら『帰らないで』と言ってくれたことがうれしかった」なんてあったもんだから、私、憤死。
それはあんたの感想でしょうが!!! ここは学びの欄なのよ!!! 学校で何の説明受けてきたの?!
と思ったが、同僚に「ああ、あそこの学生さんね…私も昔、『こんなきれいなところで働けていいなあと思いました』(※事務所が立て替えられたばかりのときだったらしい)って書かれてて、コメントに四苦八苦したなあ」なんて言われ、肩の力が抜けた。まじめに考えるのはやめた。

実習って色々あると思う。看護実習だとか教育実習だとか介護実習だとか。今は就職活動でも実習をさせるところもあるとも聞いた。
少し、学ぶ姿勢を正してきてほしい。特に、身内である看護師希望者には。
だって、こっちは通常業務を中断してまでお付き合いしているのだから。

今月末にもくるなんて、ストレス溜まりますわ。ふう。


2003年06月12日(木) "我が子だからかわいい"という幻想

赤の他人も親も友人も恋人も伴侶も子も、所詮は"他者"なのだ。

40週前後、ずっとずっと一緒にいるイキモノ。つわりだの乳房の張りだの、腰や下腹の張りや重みだの、頻尿だの便秘だの、あっちこっちの皮膚や内臓が引っ張られたり、痔だの息苦しさだの、そういうのを引き起こされながらもひとつひとつを乗り越えて、下手をすると自分の命とも引き換えにしてまでオンナノヒトは生命を体外に出す。

時に身の内の他者の存在に違和感と畏怖感を覚えたり、かと思えば一見奇異なほど非常に強い愛着を示したり、生きているのか死んでいるのか五体満足で産めるのか不安になったり、ささいなことに敏感になって突然涙が出てしまったり。非常にデリケートで扱いにくい時期もあったり。
だけど、何があっても一緒にいる存在。それを、母はどういう存在として捕らえるんだろう?

身の内に宿った生命をかわいいと思えなくても、生んだ後にかわいいと思えなくても、それは、自分の自然な反応として認めていい。「腹を痛めて産んだ子なんだからかわいいはずだ」なんて、自分に言い聞かせなくていい。偽らなくていい。

人と人とが合わないように、母と児でも合わないことがあるのだ。血なんて関係ない。親子だからどうとか、そういう問題ではない。自分の性格と特性と我が子のそれがどういうタイプかを知って、合わないことを認め、そこから合わないなりにどうして行くかが、大事なのだ。

我慢することは、ないのだ。


2003年06月10日(火) 何故人は、危ない方に引かれてしまうのか

堕ちるのは簡単なように見えて実は難しく、要はタイミングなのか。

ひとりで歩けるようになった幼い児に対して「危ないからそっち行っちゃダメよ」と声をかけると、何故か自然とそっちに吸い寄せられてしまう、不思議な現象をよく目にする。うちの妹もそのひとりで、危ないから行っちゃダメよと言われた池のほうに吸い寄せられて、ぼちゃんと落ち込んでいたことがあった。
あとは、走る自転車にフラフラと行ってしまう児やどぶに誘われている児を目撃したことがある。
本当、何故なんだろう?

その延長なのか、人はなるべくならやめておいたほうがいいものや、やってはいけないことに惹かれて引かれる。
未成年の喫煙・飲酒に始まり、薬物、ギャンブル、売春、不倫、痴漢、その他各種犯罪…人に公言できないような、陰でやるということに燃え上がるのか、1回はまったらおぼれていく傾向があるよう。
悪いものに引っかかってみたり、怖いものにとっつかまったり、うかうかしているといつの間にやら身も心も金も未来も奪われていたり。

落ち着いて考えれば、危険を顧みずに冒険したいとは思わないのだけれど。


2003年06月08日(日) 『人生事件』の意味

気づけばWebサイトの方向性も予想外。

私的には2つ目の日記サイトである『日常茶話』。
「お茶を飲み飲みゆったり読める日記にしよう」で『日常茶話』だったのに、今はお茶どころの話ではありません。初っ端の日記を読むと端的な日常日記時々性について、だったのに、今や方向性はエロ一色。公開2〜3ヶ月くらいのどこかで内容がそればっかになっているのに気づいて、方向性を修正するのが面倒になって内容放置したような記憶がある。

それで、エロじゃない日記も書きたいわ、と立ち上げたのが『人生事件』。恋愛あり、お仕事あり、家族のことあり、日記才人ネタあり、とジャンル無茶苦茶。まさに、自己満足日記。
「生きている限りはストレス感じて色々あるのよね」で『人生事件』にしたけど、よく考えてみればどれだけの人が知っているんだろうか『人生事件』の意味…「人生事件」で検索すると、うちのサイトが初っ端に出る昨今。

本来、英語だと「Life event」。英語を日本語訳して「人生事件」になったよう。これは、人が人生の中で経験する、ストレスある出来事のこと。
アメリカの学者らがストレスに関する研究して、「社会再適応評価表」というのを作った。それは、人が遭遇する人生上の出来事に対してどれくらいストレスを感じ、それにより身体にどんな影響を及ぼされるか、という目安として作成されていて、これに「Life event」が使用されていた。それが、日本バージョンに書き換えられて、もらった資料では「人生事件」となっていた。
『配偶者の死』『離婚』から始まる43項目からなるその評価表は、上から100点、73点…とすべてが点数化されており、過去1〜3年以内(現在、学者により、年数が異なっている)の自分に当てはまる出来事のその合計得点により、健康障害を引き起こす可能性確率を出すものであった。300点以上だと病気・体調を崩す確率約80%、150〜299点だと約50%となっている。

これを、短大時代、授業で教わった。その記憶を引っ張り出して、自分の日記名にしてみたのだ。

ちなみに、私は21歳の時、急性胃炎による脱水を起こして1週間入院したことがある。そのときの、胃炎になる1週間前分の人生事件の合計は、268点だった。

やっぱり生きるって、大変みたい。


2003年06月07日(土) 予定外だし予想外

あの頃から見ると、今はすべてが予想外。

高校3年次、国家公務員試験�啓錣房�かり、いくつかの省庁に面接を受けに行った。試験に受かっても名簿に登録されるだけの話で、それから各省庁の面接試験があり、それに受かると晴れて入庁できるというわけで。

当時の私は制服がスーツ代わり。しかし、私は学校制服改革1期生で、既製なのに短めのグレーチェックのプリーツスカート、丸襟のブラウスに胸元のかわいい紺と緑のスプライトリボン、紺色に金ボタンのついた丈の短いジャケット。モデルはどうあれ、女子高生らしい、かわいらしさ全開。
そんな格好のが霞ヶ関歩いていると、はっきり言って浮く。着ている本人が自覚するほど、おかしい。他にも高校生がいたけれど、白ブラウスに紺の上下、グレーの上下で、目立つ度合いは桁違いだった。
まあ、そんな恥ずかしさもあったりしたけれど、省庁によってはお土産にお弁当くれたりして、結構楽しい体験をした公務員試験。
そこでも、セクハラはあったりして。

女子高生含む女性受験者に対し、「結婚についてどうお考えですか?」って何でしょね?

ある省庁では、職場の大半の男性が半年以上出張で、職場内結婚が多いと初っ端から言い、挙句面接待ちの間に若目の女性職員が「試験には全然関係ないので気軽に答えてね」と笑顔で結婚観、人生設計等口頭で尋ねてきて、答えればそれをメモしていたんだけどねえ。

実は私、すごく結婚したかったの、当時。18歳で公務員になって、そこで早々に男見つけて結婚して、子ども数人生んで、ヤングママになって、子どもが手離れたら新しいこと始める予定だったの。出産したら生理痛が軽くなるって話も信じていたし。

だけど、職員の人には「まだあまり考えたことがありません…仕事は結婚しても続けたいです」と当たり障りなくお答えした覚えが。

まあ、予定通りの人生もつまらないけれどね。

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しかし、Web上ではセクハラネタにみなさま敏感なのに、現実的にはその数が減ったように見えないのは、やはり日本では性差別が根強いからなのかしらん?
それとも隠れていた数が膨大すぎた?


2003年06月06日(金) それはとても晴れた日で

なにも、こんな晴れた日に。

午後、事務所内には私とMさんのふたりだけで、「いいお天気だわ〜。電話しても不在のおうちが多いし、今日はお出かけ日和なのかもねえ。こんな日は、何事もなく終わるといいわねえ」とゆったり仕事をしていた。
そんな中、若い女性がひとり、事務所に駆け込んできた。受付時間終了間際とか、そんなわけでもない明るくまぶしい日差しの時間に、何故か急ぎ足で。

「すみません、お聞きしたいことが」

少し、おかしな声音だった。丁寧に話そうとしているようなのに、どこか乱暴でヒステリックな響きを持っていた。

私は窓口に背を向けて事務作業をしていた。だから、同僚のMさんが直接対応した。
「どうしたの?」普段から、やさしいやわらかな声のMさんが尋ねた。

「あの、お腹の子……流産しちゃって、母子手帳もらってたから、どうしたらいいのかと、思って」

言いながら、女性は泣き出した。

今病院受診をしたら流産していたと。自分は流産していたことすら知らなかったと。明日お腹の中をきれいにするからまた来るようにと言われたと。なんでだめになっちゃったのかわからないと。
そう、泣いた。

市町村でもらった母子健康手帳は、どんなことがあっても返品しなくてもいい。妊娠した女性と、その赤ちゃんの為にあげた一冊なので、返してもらっても事務所側は破棄するだけ。持っているのもつらいのであれば返してくれてよいし、記念とひとつの生命の存在を忘れないために持っていてもいいもの。自分で捨ててくれたっていい。
女性は、持ち帰ることを選んだ。

しかし、医師は「お腹の中をきれいにするから」だなんてことばに置き換えているけれど、それは掻爬術のことだ。その字のごとく、金属匙などで身の内に残った児以外のもの、胎盤や羊膜をを掻き出す作業。
突然児を失ったかなしみにくれている元妊婦に、病院側はどう説明して施行し、その後どうメンタルケアしてくれるのか。心配になった。

私は何で、他人事ばかりじゃないことを人一倍見聞きする、この職業を選んでしまったのだろう?

女性が帰ってからも、私の気持ちはさざめいていた。


2003年06月04日(水) 同性からの性的嫌がらせ

セクハラは同性だけの職場のほうが陰湿。

子どもも相手にする職業についている私たちには、子どもをあやしていると「上手ねえ」「さすがプロねえ」と言われる。さらに、こちらが独身と分かると、「いいお母さんになるわよお」と言われる。

すてきな独身者がいると聞けば「佐々ちゃんどう?」と声をかけられ、「子どもは若いうちに産んでいたほうがいいわよ」とアドバイスされる。

同職種だからこそ、同性だからこそ、性に関する秘密なんか守られない。妊娠・出産・子育ての知識が人よりある分、やっかいな人たち。
××さんは3回子どもダメになっちゃったんだって、もう、習慣性流産…○○さんのところは結婚してだいぶ経つのにできない…事故のショックで流れたらしい…
同職種の話を耳にするたび、なんでそんなことを話題にするのかと、私は悲しくなる。過去のことでも、「そういえば、誰さんもさあ」と言い出す人が恨めしい。

市民のプライバシーは守らなくちゃね、相手の気持ちになって行動してね、などと再三言っておきながら、身内の不幸を平気で口に出す人々。
「私も女だから分かるわ」「経験者として言っているのよ」。なんて、簡単なせりふなんだろう。女だからって、何かを経験したからって、すべての人の気持ちが判るわけなんてないのに。

久々に月経痛がひどくて「体調不良で」と午後は有休取ったら、雨が激しく降ってきた。


2003年06月03日(火) もしも電話がなかったら

好きな人に電話をかけるという行為が、いつから緊張しないものになったんだろう?

彼と付き合いだしてから、とうとう2年半を過ぎた。ということは、はじめて電話で話したのは、2年半前ちょっと前のこと。何を話したのかなんてこと、もう忘れてしまった。
でも、ネットでしか会話をしたことのなかった彼の声を記憶しようと、私は必死で全感覚を研ぎ澄ましていた。それだけは、覚えている。

彼と電話で話した後、どうして電話線で声が伝わるんだろうとか、インターネットって電子って何なんだろうとか、そういうことをずっと考えていた。あんな線一本で、人と人との声が直に繋がるなんて。

彼の声があるのが私にとって当たり前のことであり、私の声があるのが彼にとって当たり前のことであり。「ことば」なんて、誰とやり取りしたって同じ。「こえ」があるからこそ、遠くてもより身近に感じられて、より愛しく感じられて。

遠距離恋愛に、電話は必需品だと思う、それこそ、ネットよりも。


2003年06月02日(月) 使えない男

使えない男が使えない女よりもたちが悪いと思うのは、私の偏見だとは思う。

いい年して、そう、うちの父と同じくらいの年齢で、すごく、使えない男が、役所にいる。小娘の私が一緒に仕事をしてそういった感想を抱くくらいなので、相当のものだと思ってくださっていいと思う。

公務員にも、アタリ年とハズレ年があって、そのせいもあって市民の皆様にはご迷惑をかけていると思う。アタリ年があってもハズレ年があれば、アタリ年がハズレ年を動かすことも、ハズレ年がアタリ年を使いこなすことも、難しい。どちらもまったくもってうまく歯車は回らず、結局仕事ははかどらない状態になる。お互い、同じ職場にいれば無視もできない。縛られる。だから、いつまでたってもサービスは向上せず、悪習も仕事内容もそのまま後の世代に引き継がれていくのだ。

ファザコンである私は、父が男の基準だ。父は、少しばかりお人よし傾向があるけれども、使える男だ。頭は決して悪くない。
だから、そんな父を見て育った私は、使えない男は好きじゃない。だけど、たとえ頑張りの1割しか有効でなくても、何事にも一生懸命な人であれば、好きだと思う。

使えない男は、よれよれの背広姿に、かばんもセカンドバッグも持たず、まさに手ぶらで通勤している。運悪く、毎朝通勤途中に会う。私は、彼におざなりの会釈をする。

使えない男を父に持たなくて、私はしあわせ者だと思う。


2003年06月01日(日) 散らばった気持ちをひとつひとつ拾って

昨日、短大時代の友人の婚姻お祝い会(披露宴の2次会)に参加してきた。

台風のせいで警報だの注意報だのが楽しく出ていた神奈川県を、ドレス持参で脱出して東京へ。23区内は、風も穏やかで小雨だった。
某デパートのトイレで服と履物を替え、待ち合わせ場所へ。短大時代は4人でつるんでいたのだけれど、今回は花嫁以外の3人で仲良く「黒を基調に」と合わせてあったので、系統は異なけれども全員黒のワンピース姿で顔合わせ。

お祝い会会場は若者に人気の多国籍料理の店。その2階にある小さなフロアを貸切で、花嫁花婿の友人全12名+主役2名。
25歳で婚姻した友人は、両肩むき出しの、花柄のふんわりフレアスカートワンピース姿で出現。会うなり、私の視線は彼女の胸元に釘付け。溢れこぼれんばかりの色気ある脂肪。Fカップ。
「それはさらに胸の縮んだ私への嫌がらせ?! もう、あんたとは今日限り絶交よ!」と泣き崩れる私を慰めてくれた、BカップとCカップの友人。「単に肩幅があると大きくなるだけだと」と花嫁は言ったけれど、そういう問題じゃないと思われる。

この花嫁と私は、字違いの同じ名前の響きを持っている。だから、花婿が花嫁を「きさ」と呼ぶたび、私も反応してしまう。それが、やさしいやわらかい響きでなくて、えらそうな、威張るような、命令するような、そういう言い方で。それが、いちいち癇に障ってしょうがなかった。
友人がそういう男でもいいらしいので、私はとやかく言わない。ただ、私の嫌いなタイプの男であるのは確かで。話の端々、私は暴れだしたい気持ちを抑えていた。どうにか保っていた私の笑顔は、間違いなく営業用。
もう7年目の付き合いになる友人たちは、私のその我慢具合をよく見ていたようで、「最後は頼みに頼みまくってカシスオレンジ一気飲みし続けてたから、そうとう我慢しているんだろうなと…」と帰り際、苦笑いされた。

友人を泣かせるようなことをしたら、私は間違いなく彼を殴るだろう。それくらい、合わない男だった。

だけど、別に花婿だけの問題でなく、私の気持ちはささくれ立っていた。
花嫁よりも2歳年上の花婿。その友人たちと集まる2次会は、まるでコンパ。独身の友人たちは華やぎ、花婿の友人たちと話に花を咲かせていた。
私は、それを少し遠くの席で見ていた。例え、私が現彼と結婚するにしても、こういう会は設けないだろうなと。彼の年齢と私の年齢が離れているように、彼の友人たちと私の友人たちとの年齢も離れているわけで。

気持ちがごちゃごちゃ、まるで台風のあとのよう。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2 |




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